プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

言い訳しないと息もできない

何にも向いていない、私は

 

 はじめは竹馬だった。何度かチャレンジしたものの、一向に乗って歩くことができなかった。周りのみんながヒョイと乗り、カッコカッコと歩き回る姿を日陰から眺めていた。そこで「私は竹馬に向いていないのだな」と結論を出したのが、一番はじめだった。

 次に一輪車だった。一輪車が苦手な者は、私の他にも何人かいた。その中には、竹馬には乗れるものがいた。どちらもできなかった私は、「バランスを取ることに向いていないのだな」と思った。ローラースケートも、キックボードも、うまく遊べなかったから。

 「バランスじゃない、運動だ」と気が付いたのは、跳び箱だった。「運動も、スポーツもだ」と気が付いたのは、みんなで遊んだ野球だった。そして同時に、「スポーツじゃない、物覚えだ」と気が付いた。ルールを覚えられなかったから。すなわち、これまで向いていないと感じたあれこれは、身体をうまく使えないからではなく、身体をうまく使う方法をいつまで経っても覚えられないということが原因だと気が付いたのだった。

 「何か好きなことなら、楽しんで覚えられるんじゃないかな」と声をかけてくれたのは国語の先生だった。少し、ほっとした。それから私は、何か好きになれることを探した。竹馬も一輪車も、野球も、うまくできないから退屈だった。退屈だから好きになれず、好きになれないからうまくなれないということに、なんだか混乱したけれど。私は勉強も苦手だった。国語も算数も理科も社会もできなかった。全部、よくわからなかった。中学生になったころ、「ああ、私は、何かを好きになるということに向いていないのだな」と思った。それは、苦しいことだった。とても、辛いことだった。

 それからしばらくは、死ぬことばかり考えていた。死んだらどうなるのだろうと考えていた。死んだらお母さんとお父さんが悲しむな、と思った。それは嫌だな、と思った。お母さんとお父さんが好きだからかな、と考えた。それも、よくわからなかった。死ぬことばかり考えて、死ぬふりをしてみたこともあった。とても怖かった。私は、死ぬことにも向いていなかった。

 それから、ただ生きている。今日も、何にも向いていない、私は。

 下を向いて、呼吸をしている。

 

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奥田さんを殺したい

 

 奥田さんは、人のことを馬鹿にする。奥田さんは勉強ができるから、勉強ができない人のことを馬鹿にする。僕は勉強ができないから、よく奥田さんに馬鹿にされる。奥田さんは優しい。奥田さんは優しいから、優しくない人のことを馬鹿にする。僕は優しくないから、よく奥田さんに馬鹿にされる。奥田さんは、気遣いができない人のことを馬鹿にする。チンピラを馬鹿にする。木偶の坊を馬鹿にする。たまに、「ああいった人間は存在しなければ良い」といった趣旨の発言をする。奥田さんは授業中、戦争映画を見て泣いていた。人類の悲しい過去を嘆いて、本気で泣いていた。そして、泣いていない僕を馬鹿にする。僕の感受性を疑う趣旨の発言をした後で、「こういうやつがいるから、歴史が繰り返されるんだ」といった内容のことを言った。奥田さんは犬を飼っている。僕は犬を飼っていないし、犬がそれほど好きではない。それも馬鹿にされた。犬を飼っていないことというより、犬に対してさほど愛着がないという僕の感性を、馬鹿にされた。なんたって、奥田さんの優しさは、犬を飼うことで培われたものらしいから。ああ、もう、奥田さんを殺したかった。僕は優しくないから、奥田さんを殺したかった。奥田さんは結婚して、子供ができた。結婚しないで、子供がいない僕のことを、奥田さんはまた馬鹿にする。生物学や人類学を持ち出して、「お前って何のために生まれてきたの?」といったようなことを言う。僕は奥田さんを殺したい。戦争映画を見て泣いていた奥田さんを、犬も好きになれない僕がひとりで殺したい。

 なんだこれ。結局僕が人でなしってだけの話だ。僕は何も言ってないのに。僕はただ、静かに、自分どおりに生きているだけなのに。奥田さんを殺したら、奥さんも子供も、他のたくさんの人が悲しむってわかっているのに。なんなんだよ。なんなんだよ、これ。

 ……おい。……なんなんだよ。これ。

 

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鎧の騎士

 

右手に劣等感を、左手に敗北感を、胸ポケットには罪悪感を。

背中にはもちろん背徳感があって、足元には疲労感が転がっている。

 

ただ使命感だけで立っている。このポーズのまま。

 

ああ。

 

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言い訳しないと息もできない

 

僕は何にもできないんです。生まれて来なければ良かったんです。そんなことはとっくに、とっくの昔に、わかっているのです。じゃあなんで生きているのかって、指摘されてしまうけど。それとこれとは関係がないんです。関係がないんです。僕が生き続けていることと、生まれて来なければ良かったってことは、兎角関係はしないのです。生まれてきたあとは、死ぬのが怖いから。ただそれだけの理由で生に、生にしがみついてしまうのです。死ぬのが怖いうちは、死ななくていいって神様が。死ぬのが怖くなくなったら、死んだらいいからねって神様が。だけど僕は思うんです。死ぬのが怖くなくなるのは、病気です。それはただの病気です。生きているってことは、生きている状態を、保つために脳が、心臓が、汗が、機能しているわけです。生きる機能が壊れたあとで、死ぬというのは、当たり前の話で。それはただただ当たり前の話で。死ぬのが怖いまま死ねたらなんて、そんな夢を見るけど、それができないように、人間は、人間は出来ていると思うのです。もちろん、言い訳です。だけど、言い訳をしないと、死にそうなんです。産んでくれてありがとうって言えないのは、それが生きるために必ずしも必要なことではないからだと思うのです。産んでくれなんて頼んでないと、涙を流して怒り狂ってしまうのは、きっと、そうしないと生きていられないからだと思うのです。そうしないままで、生きる機能が壊れるのもまた、怖いのです。

 

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憂鬱は計画的に

 

 私は気分が沈みそうになったとき、自覚的に気持ちをネガティブな方へ持っていくようにしています。「死にたい」という気持ちが湧くかもしれないな、と思った時は、先に「死にたい」と自分から思うようにしています。そうして私は、自分で自分の気持ちをコントロールしているのだという自信を持つのです。私はこれを「憂鬱の先払い」と呼んでいます。

 この文章を読んでいる多くの方は「憂鬱の後払い」をしている、あるいは「憂鬱のリボ払い」が習慣になってしまっている方もいらっしゃるかと思います。まずあなた方に伝えたいことは、憂鬱には「支払い義務」があるということ。図に乗って衝動買いした憂鬱もあれば、騙されて背負う羽目になった憂鬱もあります。どんな形であれ、それは発生した時点で「支払い義務」が生じるのです。後に回そうが、少しずつ払おうが、基本的には全額収めなければなりません。また、生じた「憂鬱」を元気や明朗、幸福で支払おうとする方も大勢いらっしゃいます。ただし通貨が異なるので、レートが違います。市場の状況によっては損をしてしまうことがありますので、専門家でない限りは避けた方が無難です。また、そういった知識のない方をターゲットにした、憂鬱と元気の両替代行サービス業者も多くいます。気を付けましょう。多くの場合は、「憂鬱」は自分で支払うのがベストです。そういうものだと思ってください。そういうものだと思って、きっちり、しっかり「憂鬱」は「憂鬱」で支払いましょう。少なくとも先払いしておけば、憂鬱の引き落とし日に、入金に焦ることはありません。

 憂鬱は、計画的に。

 

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きっと、君なら大丈夫だよ。

 

(了)