プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

劇王全作品感想、および暴言。(上演作品のリンクもあるよ!)

お世話になっております。

劇王Ⅺ~アジア大会~に、関西代表として参戦してまいりました。結果は、予選Aプログラムにて敗退。ただし、僕はこの結果に思う所がありまくります。Aプログラムで上演された作品の中では、関西代表の作品が最も面白く、それが決勝へと進めなかったのは、「劇王の審査システムと、観客の頭に欠陥があったからだ」とさえ思っています。

さて今回の文章では、なかば確信犯(誤用)的に、今のような強い表現、強い言葉を使っていこうと思っているので、不快な思いをさせてしまうことがあるかもしれません。先に弁解しておくと、劇王の審査システムはこれで十分だと思っているし、「観客の頭に欠陥がある」だなんて暴言はもちろん言い過ぎです。少しばかり、あえて、そんなふうに表現することで、なんだろうな、伝えたい想いがあるのです。

表現を抑制して遠回りするより、まずあえて強く放ってから、後でこんなふうに言い訳をしたほうがきっと書きやすいし、意味が伝わりやすいだろうな、と考えて、このように書くことを選びました。すみません。

 

それでは各作品の感想を書いていこうと思います。審査員の方々の意見が割れて、なおかつ意見が強固だったことがすごく「カッコイイな」と思ったので、僕も「僕の感想」として、しっかり書こうと思いました。目ん玉かっぽじって、全部見ましたから。

ほぼ作品の内容を書かずに、「感想」だけ書くので、見ていない方にはほとんどわからないと思いますが、そこはしょうがないと思って書きますね。

 

Aプログラム

韓国代表「視線」

この作品は、僕が終演後脊髄反射ツイッターに「もしもCMのパクリだったら許すまじ!」というようなことを書いた作品です。すぐに、「そもそも、そのCMをモチーフにして作ったものですよ」と観客の方からご指摘を受けて、大変失礼なツイートをしたと反省しました。(ツイート削除済)

ちなみにそのCMとは、これです。

www.youtube.com

ツイートではこのCMがモチーフになっていると公言されているという情報を知らないまま、決めつけるような書き方(決めつけないように“もしも”という言葉を使っていたにせよ)をしてしまい、申し訳ございませんでした。

CMについては、講評の場でも言及がありました。僕には全部ピンとこなかった。

 

僕は、この作品は論外だと思います。はっきり言って、審査対象になっていたこと自体が不可解です、今も。この作品は、CMの内容と何も変わりがありません。CMの内容と、同じです。そこに僕は、何の表現もないと思います。登場する先生も、医者も、ひどくステレオタイプで、CMをモチーフに世界を広げるというよりは、CMに余計な(本当に余計な)補足をしているだけに見えました。これが、イム・ジョンヒョクさんの「作品」だそうです。馬鹿にしているのか、とさえ思いました。どういった審査基準で、彼はここにいたのだろうか。

なにより、腹立たしかったのが、作劇の動機を西田シャトナーさんに尋ねられ、彼は「日本のこの素晴らしいCMを、皆様に知ってもらいたいと思った」というようなことを言っていたことだ。もちろん、このCMを知らない人もいただろう。あるいは、その人には「こんな素晴らしい話があるんだねぇ」と感動を与えられたのかもしれない。

ただ、僕は、知っていた!そして、このCMは、さほど無名のものではない。日本のテレビで流れていたCMなのだから、「埋もれた創作物」でも何でもないのだ。日本の、テレビの、CMなのだ!その素晴らしさを知ってもらうために、「韓国代表のあなた」が、「日本の劇場で上演する作品」に、「これ」を選び、オリジナリティ、独自の視点、目が覚めるような揶揄や風刺、そんなこんなのオマージュやらパロディやらの「魂」がないまま上演した…。

僕は、そう感じて、腹立たしく思った。Aプログラムにおいて、韓国代表に与えられた34点は、僕は「奪われた34点」だと感じた。CMを知らずに投票したなら、知った上で考え直して欲しいし、知った上で投票したなら、作品を見る目がない阿呆だ。以上。

言い過ぎです。今はそこまで思っていません、しかし、作品を見ている間、そんな想いで頭がいっぱいで、冷静に見ることができませんでした。だから作品の感想というより、ちょっと違う、暴言よりの書き方になっています。大変申し訳ございません。

 

東北代表「アツモリ」

Aプログラムを通過し、決勝に進出した作品だ。夫に離婚届を提出させようとしている妻がいて、プロレス風の演出で過去のあれこれを語る。しかし、離婚届かと思われたそれは、実は震災で亡くなった妻の死亡届だった…という話だ。

まず、離婚届の提出を求める妻と、それを拒否する夫だと思って、観客は見る仕掛けになっている。ところが、そこがなんだかよく分からないのだ。「本当は死亡届」だというタネを避けて通るため、どうもフワフワとした実感のない会話になる。妻が押印を求める理由も良く分からない、夫が拒否する理由も良く分からない。(だって離婚の話じゃないから、具体的に話せない。)かつ、さほど笑えない。二人の関係が描けていないので、妻がつけ麺をアツモリで食べることや、夫が妻をサルと呼んだ過去の面白さが立ち上がってこない。

「……うーん?」と思って見ていると、死亡届だったというタネ明かし。あぁ、そうだったのね、と思う。だったら、最初から死亡届だと明示して、それと葛藤してりゃそれでドラマなのに、と思う。んで、死亡届だと判明してからドラマが始まるかと思えば、もう特に何も起こらない。なんだかよく分からない感傷的なムードで、特に何もないまま、夫は妻の死を受け入れて押印する。この数年間はなんだったのか。プロレスであることも意味不明。理由は多分ない。

僕はキョトンとしていた。まさか、この作品に自作が負けるだとは予想していませんでした。

断言しておきたいのは、戯曲ベースで考えると、今回の僕の本を上回っている点はひとつもないと感じたこと。この作品は、本がほとんど書けていないと思います。しかしながら、役者の熱演が客席に届いたことと、「なんだかよく分からない感傷的なムード」を作ることが上手かったことで、負けてしまったのだと考えています。その点はちゃんと認めて、勉強させてもらおうと思います。こんな本に負けたことがとても悔しい。多分こういう書き方は、西田シャトナーさんや天野天街さんには良く思われないだろう。「本が」「本が」と考えるのは、なかなか治らない僕の悪い癖だ。ちゃんと机から顔を上げて、役者と客席のほうを少しでも見られれば、勝てたんだろうな……。すごく、悔しい。ぐぎぎ。

 

関東代表「サマータイム

戦場のピクニックみたいな話、かな。僕が最も苦手で、よくわからないと思ってしまうタイプの作品。(戦場のピクニックは面白いと思えるんだけど。)樋口ミユさんの本みたいな。こういう作品は「あ、ダメだ。僕のオツムが足りないや…」と思ってしまう。花火の音が恐ろしく聞こえてきて……、で……、「…で、つまり…?」と思ってしまう。多分これは本当に馬鹿だから。なんだかよくわからなかったけど、東北代表の作品は「ここがダメで、これが足りてなくて、ここをこうしたら」がたくさん浮かび、関東代表の作品の方が「なんかわからんけど、夏が終わったし、花火が怖かった」と感じたので、僕らの作品かこの作品が通過するだろうな、と思っていました。サマータイム、たぶん「なんかわからんけど、めっちゃ泣いた」になる可能性のある作品だと思いました。

 

関西代表「コミュニケットボール」

本がうまい。天才というより、秀才の本。地頭で作った作品という感じ。

上演したときは、観客の咳払いで7個くらい台詞を潰されたので(マジで泣けた)、そうならないように作らないとダメだったなと思いました。台本の販売はしていないのかという問い合わせもあったようなので、このブログの最後にリンクを貼っておきますね。著作権は僕に帰属します。余談ですが、作品のことを「我が子」っていう人のこと、僕はちょっと気持ち悪いなと思っています。我が子ではないでしょ。我が作品です。我が子は、もっと、あれだろ。心臓とか、あるだろ。我が子だとしたら、我が子産みすぎだろ。そんなに育てらんねーだろ。

 

Bプログラム

シンガポール代表「いつも側にいるよ」

面白かった。ただ、字幕と並行して見るのがどうしても辛かったな。異国語で演じられていることや、字幕を追うことがストレスで、ほんと単に、「この話、日本語で見たいっス!」と思ってしまった。そーなんだよねー…。僕は「観客は選ばれて然るべき」と思っているのと、「ノンバーバルの面白さ」より「特定の人にしかわからない特定の言葉で作られた面白さ」のほうが良くね?と思ってしまうタイプで。わからないやつにはわからないでいい、ってほど強くは思ってないんだけど、みんなが美味しいと思う平均ラーメンより、俺だけがうまいと思う俺ラーメンのほうがうまい、みたいな考え方が根深い。あれ、なんか関係ない話をしてしまったかも。

娘と母の関係が、あまり見ない感じで面白かった。

 

九州代表「まみれまみれ」

男が女を好きになったきっかけも経緯もないし、男が夢を追っていたときの「追っていた度」の描き方も足りないし、女の夢を「追っている度」もやや低く見えるので、もうこれはほんとに「全然だめな男が、急に好きになった半端な夢追い女を励まそうとして、やっぱり全然だめだった話」。全然ストーリーになってないし、本が書けていないとは思うんだけど、全く不快な作品じゃなかった。それどころか、最後は掲げられた右手に気持ちよく拍手を送った。気持ちよく拍手を送って、「いやー!こんな作品が勝ったら世も末やで!」とか思った。(冗談です。)観終わって楽屋に行って、「まあ中国代表が通ると思うけど、ワンチャン九州が行けるかも。」と劇団員に言った。観客表が最も少なかったのは、すごく意外だった。「えぇ!?Aプログラムの観客たちどこ行ったん!?」とか思いました。ははは。僕のAプログラムの恨みは根深いです。

 

中国地区代表「前兆とか」

よくできた作品。ここに関しては、明確に役者の力量で負けちゃったと感じる。二人とも、すごくうまい。本もうまい。いや本もうまいねん。本も負けちゃってると感じる。ここの作品とぶつかってたら多分負けていたと思います。まあ本よりも役者かな。本にあるちょっとしたムラ気をきっちり抑制した芝居で、役者の身体に内包された物語がタップリあった。ただ、こういう作品ならもうちょっと関係で笑いをとる箇所があったほうがいいと感じました。きっとあの先生二人の間で、あの二人の「関係」でたくさん遊べると思いました。

僕は伏線のことを面白がる人を「伏線病の患者」と呼んでるんですが、ことわざで前兆を送っていたことなんて、ほんと「伏線病の患者」に向けて与えられた「ただの処方箋」なのだと思います。たぶん亀尾さんのドラマはそこじゃないと感じます。亀尾さんが自分の一番武器だと思っているのは、きっとそこじゃないと思います。知らんけど。でもこういう賞レースみたいなのは、伏線病の患者を喜ばせた方が有利だもんねぇ。Bプログラム通過で結果を出しているし。うらやまC。

 

東海代表「怪盗パン」

どんな話だったか、忘れかけている。確か、ジャンバルジャンがいて、ジャンバルジャンじゃなかった。なんか、盗みを働いていた男(男?)が、それを、辞めて、辞めたけど、また盗もうとしてもうてる、みたいな、話、だった、の、かな…。なんだか、レミゼがむしろ邪魔をして、話が分かりづらかった。

盗む、ということが、どう煌いているのか、よく掴めなかった。

「この足を退けると、コインがある」という状況と、その葛藤はドラマチックだと思ったので、もっとシンプルに楽しみたかったと思いました。足をどかそうとすることが「どれだけのこと」なのかが、こう、ガツンとピンと来ず、アツくなれませんでした。

 

余談

Bプログラムでは、僕の隣でいびきをかいて寝ていた人がいました。うるさかったので、起こしました。彼は、全作品終了後、投票していました。僕は少なくとも彼がひとつの作品を見ていないことを知っていたので、とてもとても不愉快でした。「つまらないと感じたから寝て、そうじゃなかった面白いモノに投票するんだからいいじゃないか」と、僕の中で唱える妖精もいましたが、カンケーねー、ムカつくんだよ、妖精を右手でグチュ。テメーに投票権なんてあってたまるか、バーカ。自分のことだと思い当たるやつがいたら俺の劇には二度とくんな。こんなやつを楽しませるためにベロベロバーをすることがサービスで、おもてなしで、観客を喜ばせる精神なら、そんなもん捨ててやる。幼稚園じゃねーんだよ。ここは劇場だ。覚悟して来い。

(※お芝居で寝てしまうことはある程度しょうがないと思っているし、そりゃ面白かった作品に投票もしていいと思っています。あえて、強く書きました。このBプログラムには途中入場も多く感じたので、賞レースである以上そこは注意喚起したいです。全然僕の劇にも、フラッと来てほしいです。ぺろぺろ。)

 

Cプログラム

香港代表「高野山で僕のアイドルに出会う」

面白かった!ドキドキした。なんだろう、この、次の瞬間には恐ろしいことが起こってしまいそうな感じ。それをぼかすような、とぼけた作り。なんだろう。カタコトで演じられるから、否が応でも親近感。でも、その親近感がそら寒い。父が好きだったAV女優と、高野山で出会う?僕も好きだった?あなたの「足指」の動き、すべて、意味がある……。

なんだよ。すげえおもしれえよ。こええよ。なんだ、お前、こええよ。なんの話だよ、ずっと。ただ、その理屈が分かりにくい怖さが、終盤、掴みどころを失ってしまう。あの尺八を演奏しながら二人で歩くところが、もっともっと、もっと「理解不能」であれば、超面白かったような気もする。すっ飛んでいけるかと思ったけど、惜しい思いをした。

 

信越代表「記憶より記録」

全然面白くない。単に、ウケてない。コントであるなら笑いをとらないといけないのに、全然ウケてない。面白くないから。それは、緊迫感がないから。迫ってくる壁が単なるオモシログッズになっていて、状況になってない。シチュエーションコメディのシチュエーションが構築できていない。数字を思い出せない男に緊迫感がなかったのは、自らの安全が保障されていることを知ってたからだそうだが、それって何が面白いの?だったら途中でそれが判明して、関係が変わった方が面白くない?女と付き合っていることが判明して、何が変わった?何も変わらない。だからドラマがない。こういうのは、途中で穴には一人しか入れないことが判明するんだよ。そして、恋人同士という関係の意味を変えるんだよ。数字を思い出したフリをするんだよ。間違った数字を入力させて、相手を殺して自分の安全を確保しようとするんだよ。必然を持って、登場人物を動かすんだよ。本気で助かろうとするんだよ。そうしないと、面白くないんだよ!ずっと、ごっこ遊び。もう明確に、はっきりすっぱり、お笑いの構造を理解していない人が書いた本。

ちなみに、思い出した数字9999が、6666だったと判明して、大爆笑していた人もいました。今僕は強い口調で書いていますが、この作品を面白いと思う人の感性は決して否定しません。あくまで、「僕にとって」、お笑いの構造を理解していない人が書いた本、です。

……ので、「全くウケてない」という冒頭の記述は卑怯でした。申し訳ございません。もちろん、笑っている方はいらっしゃいました。自分の意見の前に、周りの反応を先に書くという卑怯な真似をしてしまいました。

ディスりまくったものの、石川さんの他の作品も見てみたいと思います。

 

四国代表「オオカミ少年

おままごとをベースに、虐待されている子供の、…子供の、…子供の、……何を描いたんだろう。子供の、心情?子供の、思考?子供の、可哀想さ?そのあたりの、何がこの物語の核となっているのかがわからなかった。「僕はこの子供を見て、可哀想だと思えばいいのかな?」と誰かに尋ねたくなってしまうような。多分、ご飯を食べさせてもらえてない系の虐待をされていたと思うんだけど、その苦しみは伝わってこなかった。苦しみ…。うーん、例えばそれは、ハンバーガーと出会った時の「喜び」でもいいんだけど。それも異様な。

ハンバーガーに対して、周りの子供と違って、「異常に喜ぶ」とか。そうすることで、この子の苦しみが伝わったり、とか。おままごとのシーンも、ちょっと良く分からないんだよねぇ。「おままごと」って、すげー面白いと思うのよ。全部バレると思うの。

なんかね、ともすればあの女の子はさ、「酸っぱいモノばかり食べさせられる系の虐待をされていて、酸っぱいモノばかりが出てくる日常だからこんなおままごとをしている」可能性があるよね。でも、それが、単に「酸っぱいモノばっかりやないかーっ!」っていうギャグなのか、なんなのか、わっかんないのよ。これは、説得力がないってことなんですよ。あの子供たちがどこまで実在しているのか、何がギャグなのか、虐待は「実際には」どこまで行われているのか。多分、この作品を作るにあたっては、もっと「実際はこう」を決めていくことが必要な気がする。ハンバーガー工場は、「実際はこう」で、「実際はこう」のメタファーなんだと、それを伝えるか伝えないかは別にして、骨が太くないと、ビンビンにならない。

 

北海道代表「言いにくいコトは、、」

これも僕、ごめんなさい。全然本が書けてない、お笑いの仕組みになってない、と思っているんですけど、Cプログラムを通過し、今大会の2位です。

あのー、僕はつまり、笑えるためには条件が必要だと思っていて。あれは、「早口言葉を言わなければならない理由」がないと、全然意味がないですよね。アンジャッシュのコントでね、しりとりで面接を受けるやつがあるんですよ。ヤンキーに脅迫されて。それは、そうせざるを得ない理由があって、そうしているから、面白いんだと思うんです。

僕は見ていて、ずっと不可解でした。なぜ、早口言葉を言っているのか。前半部分、その言い換え語で言いやすく話していたはずなのに、どうして早口言葉になったのか。僕は、この人は狂っているのだと思いました。「今日急きょ休暇の東京特許許可局局長のお父さん」って、言わなくていいのに、言ってしまう。なぜか。わかりません。でもそれは多分、その方が面白いからなんです。ベロベロバーなんです。笑わせるために、言っているんです。

それって、そんなに面白いことかなぁ。

例えばこれが、あのお父さんとの三人のシーンから始まれば、僕は笑ったと思います。なんだかわからないけどそういう世界で、とにかく言いにくいことばっかり周りにある状況っていう設定で、進める。なぜだか分からないけど、「今日急きょ休暇の東京特許許可局局長のお父さん」と表現してしまう。むしろ本来なら言いやすい言葉、なんだろう、iPhoneとかも、高機能なんちゃら液晶なんちゃらみたいに表現してしまう世界、とか。「不条理な、そういう世界です!」なら、面白いと思うんです。

 

でもね、フリのときに、「言いやすい言葉」で言ってるんですよ!言えてるんですよ!全部。表現できてるんですよ。早口言葉じゃないまま。それがじゃあ早口言葉になる理由って、なんなんですか?「言いにくい言葉って、なんか勘違いしてない?」では、処理できていないでしょう。だって、手土産に「生麦生米生卵」を持ってくるんですよ。なんでですのん。早口言葉を言うために持ってきてるやん、もう、それは。笑わせようとしてるやん、俺を。笑わせようとすんなや。お父さんにあいさつに来たんじゃないんや?俺を笑わせようと思ってるんや?そんな目的じゃなく、早口言葉を言ってくれよ。

 

早口言葉を言おうとしている役者の様が面白い、というのは分かります。でも、それは多分、全日本早口言葉選手権大会を観に行けばいいと思います。(あるのか知りません。)人が噛むかどうかをハラハラして見るなら、24時間テレビの提供読みを見ればいいと思います。

「早口言葉を言う理由」が「劇」に組み込まれてないと、演劇としてはダメダメじゃないの?

僕はそう思いました。

 

第9代劇王「救急車を呼びました」

大笑いしました。状況で、関係で、ワードで、笑わせられました。すっごい面白かった。日常、何の問題もなくサンドイッチを食べている人に、突如「救急車、呼びましょうか」と話しかける男。異常事態へシームレスに移行していく感覚、気持ちよかった。平塚さん演じるヤベーやつ、面白かったなあ。ヤベーやつでもね、筋が通ってるんですよ。最初の、「救急車、呼びましょうか」という無茶をポンと放り込んで、あとは筋が通ってるんですよ。だから笑えて仕方ないんですよ。救急車呼びましょうかと尋ねれて、自分の体をそっと触る男。筋が通ってるんですよ。この世界に、だーれも、笑わせようとしてる人なんていないんです。……いや、それって笑わせる本を書く基本も基本だと思うんですけど……、そうじゃない作品で「笑わせるタイプの作品の顔していて、観客が笑うかどうかが相当作品のキモだと思うけど、僕はあまり笑えないなぁ…」と思っていた作品群の中、最後に、ほんと爽快でした。

補足

この作品に対する西田シャトナーさんの講評は、ギョッとした。理解はするし、納得もできるんだけど、なんというか、「それはもう、この世のそういう作品のすべて、並びにこれを笑った我々を否定するということ?」というふうに思えて。いや、僕もロンドンハーツ的ドッキリとかで、全く笑えず不快になることがあるし、笑ゥせぇるすまんで「いや、この不幸で誰が笑うねん…」と思ったりすることもあって、そんな感性は間違いなく自分の中にあるとは思うんだけど。僕も今回のこの記事で、たくさん「笑えない」と断言しているけど、多分、なにか具体的、かつ技術的な言及をしないと、「そーゆー笑いの拒絶」みたいになってしまうんだなと今思った。西田シャトナーさんの講評は、基本的に僕の考えとは対立することが多かったので、一番印象に残っている。メリハリの利いた得点の振り分けもカッコ良くて、「うわ、俺もこんなふうに喋りてえ」と思ったのが、このブログのきっかけ。

 

最後に

ふぅっ!!

本当は、こんな話を劇王参加者の皆様ともっともっとしたかったです。直接、作劇についてディスカッションしたかった。逃げてブログに書いていると思われるのは仕方ないのですが、本当に口下手で、すみません。直接話すと、慣れるまでは思ってもない嘘を並べ立ててしまう可能性があるんだよなぁ…。直したいなぁ…このクセ…。文通なら、流暢に喋ります。コミュ力が低くて、申し訳ありませんでした。

 

「審査員の得点が、観客の票を大きく覆す」という事態はあまり理想的じゃないな、と思っていて。だから、Aプログラムではきっちり観客票の差で負けることができて、ホッとはしています。悔しいですが、観客票で負けているのに、審査員票で勝つというのは、なんだか気持ちの悪い感じがするので。(なんでだろうね。)

「お客様との向き合い方を、僕は見失い始めているのだな」と感じた劇王でした。もしかすると、僕はお客様のことを見下している可能性だってあるなと思いました。自分の心だけど、うまく理解できないです。僕の一票と、あなたの一票は違う。そんなふうに思っているのかもしれない、いや、そんなふうには思っていない、と、頭がぐるぐるしています。

負けるって、すごく悔しいんです。

「自分の何が劣っていたのか」をしっかり考えて、考えて、でもそれに2秒間くらい耐え切れなくなって。「いや、単に評価する側が劣っていたって可能性もあるよね?」なんて悪魔のささやきが聞こえてきたりもするのです。今、僕、相当ショージキに書いてます。

 

でもね、そんなの、絶対に違うって知ってます。

僕が負けたのは、僕が劣っていたからです。

嫌なこといっぱい書いてごめんなさい。観客としての感想と、勝負相手としての妬みが混じった、すごく不愉快な読み味になっていると思います。何をどうしたって負け犬の遠吠えだから、それを逆手に取っている部分もあります。

 

名古屋からの帰り道、僕は相当荒れました。二度と賞レース的な場になんか来るもんか、なんて思いました。「おもろいと思っておもろいもん作ったのに、おもんないもんをおもろいっていうやつらのせいで、おもんない扱いされたやん!」みたいな思いで頭がいっぱいでした。なんでこう、潔く負けられねーかな。みんな、すげえなあ。

 

心がたくさん動いた四日間でした。

 

っていうか、賞レース的なモンに出ると大体こうなるんだよ。俺。何回目だよ。疲れるなぁ!毎回嫌になってんのに、なんかまた出てもうたなぁ!また出ることもあんのかなぁ!クセになってたりすんのかなぁ!ったくよぉ!

 

やれやれだぜ。

 

(了)

 

下記より、関西代表福谷圭祐作「コミュニケットボール」がダウンロードできます。

https://files.acrobat.com/a/preview/13a707ec-5132-49d2-acac-05cd86acd0eb

無断上演とかは禁止するので、ツイッターやホームページにご一報ください。

裕福な大人がやるときはちょっとお小遣いください。学生はお金いらないです。