プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

解散にあたり、劇団WEBサイトは残すべきか否か

お世話になっております。

 

(脱稿後の注:この記事はいつにもまして論理がぐっちゃぐちゃしており、思考があちこちに飛んでいます。肯定と否定も行ったり来たりするので、どうかどちらか一方の意見記事としてではなく、「思考の過程」として読んでくだされば幸いです。僕は強固な意見を発信したいわけではなく、思考の過程がエンターテイメントになると思っていつもブログを書いています。何か意見がございましたら、一文を切り取ってではなく、この記事全体をお読みになったうえでお願いいたします。長くてごめんなさい。6500字あります。なんでこんなことになるんやとは思っています。)

 

がっかりアバター解散と、アーカイブの話。

別に炎上しているわけでも何でもないが、なんとなく心が動いたので書く。

がっかりアバターという劇団が解散するにあたって「WEBサイト、ツイッターは折を見て消します」と発表。それについて「アーカイブとして残したほうがいいと思う」という意見の人たちが登場。そんでがっかりアバター主宰のアンディさんも「それはそうだと思うし、正論。でも今言う?SNSで言う?ちょっと心がしんどいです」的なツイートを投稿。

 

 

正確にはこうね。ただ、アーカイブ保存一派の意見も「いや消すとかアホやん!残せよ!なんなん!?」みたいな感じではない。BGYさんが保存推進の人で、たぶんなんか「保存せよ」的なことを書いていたのは見た。が、投稿はひとつ削除済み。なんだか残す話の真っ最中に、さらっと削除が行われたことを滑稽に感じたりもするけど、まあツイートなんてもんは誤解も招くし、そーゆーもんだとは思う。実際にどんなふうに書いていたかの原文は忘れた。アンディさんもわりとツイート消しがちな人だから、このブログに引用しているツイートも、いつリンクが切れるか分からん。

 

僕自身は、アーカイブ精神はそれほど無いんだけど、なぜかジャーナリズム精神があって、物事を大きくしたいとか「みんなー!」的な魂がある。だからこういうブログを書くんだと思う。アーカイブ精神とは、ちょっと違うような気もしてる。僕もわりとツイートは消してきたし、ブログ記事を消すこともある。

多分、劇団のサイトも解散するなら消すんじゃないかな。初期の頃みんなで回していた劇団ブログも、更新が滞り、「このまま更新が滞ったものが残ってるのって、良くなくない?」という話し合いの末、消した。アーカイブ的な観点で考えると、「このブログの更新は終わりました」的なことを書いたうえで残しておいても良かったかなと思う。

 

実際、ほんと僕はハンパモノでさ。ツイートを全消しする前に全部テキストを保存してるし、劇団ブログも確かテキストで保存はしたのよ。ただ、そのデータがどこにあるかはもう謎。どっかのUSBか、深層フォルダに紛れ込んでると思う。「残しておいた方がいいだろう」と漠然と思っていて、軽く取り組むくせに、結局見失う。たぶん「残す」って、結構「残すのだ!」っていう強固な意志がないと難しいんだと思う。技術が進歩したインターネットでも同じなんだろうなぁ。リベンジポルノ的なエロ動画も、誰かが強固な意志を持って残してるから残ってるんじゃないかな。みんなが漫然と「へへっ…インターネットに流れりゃ消えねえのよ…」とマスかいてるだけだったら、たぶん消えるんじゃないかな。

(そう考えると、リベンジポルノ的なやつを強固な意志で保存してるやつマジでタチ悪いな。悪魔かよ。基本的には「そんなやつはいるわけではなく、一度ネットに解き放たれたものは、誰かの意志に関わらず永遠に彷徨ってしまうというだけだ」と思ってたけど。もしかして、悪魔が実在する?というより、そういった悪魔がバトンタッチしていくことで、「消えない」という事象が生まれる?)

 

演劇作品って、残すのが難しくて。そりゃ映像としては残せるけど、「それってなんか、ちょっと違うじゃん?」とはたぶん演劇を作る人はみんな思ってるだろうし。

(語弊があるといけないので急に具体名出すけど、観劇三昧さんは超応援してる。実はVRもわざわざ買って観た。もっと進化して、VRスーツを着る時代になったら「ちょっと違うじゃん?」の理論も崩れてくるんだろうなぁ。余談。)

脚本はわりと後世に残す気満々で書くこともあるだろうけど、上演作品はどっちかっていうと、「ハデな花火、ぶちあげようや…!」みたいな感じが近いと思う。勝手に役職別性格診断をするとしたら、演出家寄りの人は残す残さないに全く興味のない人、脚本家寄りの人は残すことについて興味がある人、っていうことが言えたりするんじゃないかな。テキトー

 

ヤバい。論点がズレてると今思ったけど、そもそも論点がなかった。今この文章読みながら「……あれ?……こいつ何の話がしたいん?」と思った方、すみません。基本的には、アンディさんの盾になって「お前らなァ!劇団を解散することがしんどいことだってわかるやろ!今はなァ!お疲れさまでしたでええやんけ!今、求めるなよ!今は何ひとつ、求めるなよ!」みたいなことがしたかったはず。でも、そのそっとしておけ的スタンスとは真逆で、むしろジャーナリズム精神で話題として担ぎ出してもうてるし。すんません、アンディさん。

 

まー難しいよねー…。実際消えちゃったら、そこから復活させるのは手間もかかるから。消される前に「ちょっと待って!!」みたいなのはあるかもしれんけど。なんかこう、普通にアーカイブ論が発展しちゃってるのも、アンディさん的にはしんどいと思う。すぐ追悼番組の打ち合わせ始まったみたいな。「いや…この温度を保ちたいとか…鮮度とかあるからしょうがないんでしょうけど…ちょっとあの…ちょっと待ってくださいよ」みたいなところはあるだろうから、同情する。推測するに、乾さんの『のぞみちゃん』というグループがガッとアクセル踏んだり、アンディさんもさっそく「昔がっかりアバターという劇団で、作演出をしていた坂本隆太朗というものです。」ってツイートしたり、もともと「よっしゃ!前に行こうぜ!」的なスタンスではあったと思う。

 

とはいえ、っていうことなんだろうな。そりゃ前を見るし、次に進むけど、「解散します!サイト消します!あ、でも確かに、残すことは有意義ですもんね!残しましょう!よしじゃあ、ドメインとかサーバー代どうします?これ払い続けるのもアホらしいんで、そーゆー専門のサイト作っちゃいますか!よっしゃ、よっしゃ!公演のチラシデータとかまとめますね!あ、つーかサイトそのものを魚拓します?htmlもコピペしときますか!いやぁ、腕が鳴るなぁ!」みたいになるのは、結構厳しいものがあるだろうとは思う。ポジティブサイコパスやん。もちろん、そんなことが求められてるわけじゃないけどね。ただ残しておけばいいっていう話なんだけど、それがさ、っていう話で、あ、これ最後に書こう。

 

ここまで書いて「僕の意見はこんな感じかな」っていうのが見えてきたけど、多分、「俺が消すっつってんだから、それは誰にも犯されたくない。ただ残すっていうなら、俺もそれは犯さない。」っていうふうに思ったかな。

例えばさっきツイートもブログも消しがちって書いたけど、でも実際に書くときは永遠に残るつもりで書いてる。何年後かに僕がテレビスターになったとして、「こいつ、こんなこと昔書いてたんすよ!げへげへ」って出されることになっても、それを受け入れるつもりで覚悟して書いてる。たぶん、そのことと、僕が「消す」って行為とは、関係がないんじゃないかな。残すことと消すことは、あまり関係がない。残したい奴が残す、消したい奴が消す。それが互いに、犯されてはならないってことだと思う。あ、あくまでこっちが意識的に発信した場合においてね。リベポは別。

 

……これ論理として成り立ってるかなぁ?なんかおかしなこと書いてる気がするけど、しょうがないね。例えば、僕のこのブログは僕の裁量で好きな時に消すけど、これを誰かが残すことに関しては何も言いません、ってことなんだけど。

(あれ?でもそれって本当に勝手だと著作権の侵害になったりするのかな?ちょっと話がややこしいから無視しよう。例えば僕、めぼしいツイートはスクリーンショット撮る癖をつけてるんだけど、もしその画像って勝手に投稿したらアウトなのかな。もし弁護士さんとか読んでたらコメントください)

それは懐かしがれる良い材料になったり、責任を負うためのネガティブな歴史になったりするかもしれないけど、それはそれで結構という。というかむしろ、残すという行為に対するリスペクトは持って然るべきだし、持っているし、そこに非協力的な姿勢を取るつもりもないんだけど。

 

あー、まあでもさあ!!結局、解散仕立てでなんか議論のタネにされたりするのちょっとしんどいよねー、ってことがすべてかもしれんなぁ!!この記事、なんかアーカイブとして「情報」(記録)を残すって話と、「作品」(記事、表現)そのものを後世に残すって話がごちゃついてる気もする。しかも結局「議論のタネにすんな」に行きつくとしたら、この記事がすでに張り紙禁止の張り紙的矛盾に陥ってるなぁ。

 

##

 

と、ここまで文章をしたためていたが、アンディさんと会う機会があって、お話しすることに。

「ここまでしたためてるんスよ」と言ったら、そこそこ本気で嫌がられてしまった。あまりここに書くべきではないので曖昧に書くが、「こっちはこっちで話してて、その話は一応落ち着いてます」と言ってて、「だから、何も書かんでいいっすよ」みたいなことを言ってた。

そこで僕は「でも、もう、しょうがないです」と投稿する意志を告げたら、「何がしょうがないんですか…?自分でやってることでしょ…?」と言われた。

そのことをあまり考えると頭がおかしくなりそうだったので、「いや、ちょ、もう、しょうがないです」で押し切った。何がしょうがないのかを考えると、僕の脳が哲学的ショートを起こしてしまう可能性があった。あぶねー…(汗)

 

そーいえばだけど、思えばミジンコターボさんが解散したときだって、僕、「解散公演という興行をどう考えるか」みたいなことを書いたかもしれない。どうだったかな。少なくとも、そんなことを考えたのは事実だろう。書いてはないかもしれないが。

結局、どんなことだって第三者はタネにして考えて、ときには議論するもんだ、って話だったりもするのかなぁ。やっぱり、この記事ががっかりアバター及びアンディさんに肩入れしてるっぽい論調なのは否めない。別にどこぞの劇団が解散するにあたってサイトを消すと言ってるという事実があって、その事実をタネに「サイトは保存すべきか否か」の話が始まること自体は否定するもんじゃないからね。アンディさんを憑依させるとすれば、「ちょっと今その話は心がしんどい部分があるので、できれば見えないところでやって欲しい」ってことかな。

 

あまり関係ないけど、関係させる、モノモースの件。

実は「エンドルフィンについて」の記事に関して、尊敬する人からメールでお叱りを受けました。「肯定とも否定とも取れない文意で、妙にハイテンションな文体で、茶化したような記事を書くのは如何か」と。もちろん、もっと細かく指摘を受けた。とても反省した。少なくともあの記事に関しては、「この記事に一体どういう価値があるのか?」を考えたとき、僕も「無い」と反省してしまったので、消すことを考えています。つまりあの記事に、アーカイブする価値はないと僕は判断しました。ある一時の、妙にハイなチャラついたニュアンスしか記録できてない。

何を反省し、なぜ消すのかを書きたいですが、お叱りを勝手に公開することはできないため、僕が返信したメールを一部抜粋します。

 

たしかに「盗作ではないかという疑惑をネタに、おちゃらけている」と指摘されて然るべき文章だったと、反省しております。向き合うべき態度が曖昧なまま、調子に乗っていたのだと思います。「盗作かどうかは本人同士か裁きでしか決められないが、私個人は盗作だと考え、そしてそれを許さない立場である」ということは明確に表明しなければならなかったと思います。この「盗作だと考え、許さない立場」を隠した上で、そう考える人を味方につけようとしていたり、あるいはそうではない人を敵に回さないようにしたことが、(送信者)さんには良く思えなかったということだろうと思います。そしていただいたメールを良く読み、たしかにそれはいちびっているということに他ならないと、気づかされました。(中略)他人に言及する前に、もっと自分と向き合わなければと思います。謝罪、反省と同時に、感謝いたします。ブログ記事を削除、あるいは再度明確な意思表示をしようかとも考えますが、僕自身山崎さんからの言葉を今待っております。触れたい、触れなくてはならない、事を荒立てたくはない、黙っていると思われたくない、……ぐるぐるとして、ふざけた真似をしてしまいました。

 

(これは当時のメールです。今は原作クレジットが下り、さらに山崎さんが盗作ではないと断言しています。よって僕も、モチーフが行き過ぎて原作レベルになってしまったという出来事、だと認識しています。「原作レベル」とは記事中に明記しましたが、「盗作」という表現は、悪意があったりわざとだったりといったところがポイントになると思ったので、そのあたりを誤魔化したのです。誤魔化したうえで、何かを書こうとしたという反省です)

 

非常に、反省しました。

 

ほんと話があちこち行って申し訳ないが、戻します。そして僕は、ひとつ記事を消そうとしているわけです。そしてそれは、やっぱり僕の裁量で自由にしていいと思う。

でもね、でも、何も言わずにスッと消すことにはとても違和感があって。それはやっぱり、読み手の存在を大いに意識しているからかな。何か、代替する言葉を置いてから消さないと、まるで無かったことにするのはオカシイとは感じていて。だから、エンドルフィンの件に関しては、原作者との折り合いがついてるわけだから「原作者との折り合いがついたようですので、この気持ち悪い記事は消します」でいいんだけど。

だからまあ、消しますね。とにかく消す宣言をしてから消したかったんです。全然別の話題だったのに急角度ですみません。この記事については、本当に曖昧かつ非常に不適当な文章になっていたと思っています。

(ただ、現時点で出来事の流れがこうなったので、「やはり盗作とは断言しなくて良かった」なんてふうに感じざるを得ないのも事実です。表現者として、肯定も否定もしない曖昧な態度を恥じ、ハイテンションな文体を猛省すると同時に、その曖昧かつ軽薄な執筆態度でナニゴトかの責任を回避できたような気がしており、複雑ではあります。)

 

「消せ」と言われて消すわけではないということ。そして、なんぴとたりとも僕に「残せ」と要求しないこと。まずはそれを大事にしませんか、ということかもしれない。

急に自分のことを例に出してすみません。正直言って、モノモースという単語をここで出すことは、なにかとても混ぜっ返しているような気がして抵抗もありましたが、自分にとって「消す」「残す」とは何かを考えるうえで、不可避でした。実際、「エンドルフィンについて」の記事は、「この文章をここに残す」ということを強調していました。 今反省し、「これ残す価値ねーな」と「僕」が思ったので、「僕」が消します。ただ、もちろんこの文章そのものは「残す価値がある」と信じて書いています。

 

アーカイブの歴史的価値云々は、個人の意志を上回るのか。

「消す」ということは、「なかったことにする」ことなのか。「消せば」責任はなくなるのだろうか。誰かの「残したい」という想いは、本人の「消したい」を超えるのだろうか。僕がすでに消した記事を、誰かが保存することは許されるだろうか。それを発信することは許されるだろうか。それを止めることは許されるだろうか。

……あ、なんか話の流れ的にまるで「がっかりアバターはサイトを消したいとすごく思っている」みたいな感じになってるかも。それ、全然知りません。消すというアナウンスがあっただけです。色々大袈裟にしてるので、誤解に気を付けながら。

 

例えば絶滅危惧種の保護には、やっぱり価値がある。多様性の研究に不可欠だし。でももし、もし880体のマウンテンゴリラが、「いや、俺もういいんスよ」と言ったとしたら、……おあー、これを言い出すと自殺を止めるなっていう話になっちゃう。意志を尊重しろが行き過ぎて、話がキモくなる。できれば僕は自殺を止める側には立ちたい。いいや、そろそろやめよう。絶対に書き過ぎだし。この先は大体宇宙の話だし。

 

特に結論も無いです。

 

あ、でもこれだけは。そうだそうだ。最後に書こうって言ったやつ。

サイトを残すってのも、べこっと放置してりゃ残るってわけじゃなくて、わりと「残す」っていう意志が必要だから、「残せば?」って簡単に言うなよ、とは思うかな。放置でいいなら放置するけど、それって管理下から離れるってことだからね?基本的には、「残せば?」=「管理継続すれば?」だから。解散するっつってんのに。「解散するなら、情報を残すための段取りはした方がいいかも」っていう話はもちろんなんだけど、もし「いや別に消さんでもえーやん」ってかるーく思ってる人がいたら、それは簡単に言い過ぎじゃない?ってことは言いたい。この件に関して、「別に残しといてくれても…」なんて「別に」とかいう修飾をして語るのは、ちょっと安易だとは思います。劇団解散後に残ってるサイトって、残されてるわけではなく、放置されてるだけでしょ。多分、それってその後の活動に悪印象じゃないかな。

あ、ちなみにこれはそんなツイートを見かけて、空リプ的にそれをめがけているわけではないです。わりとWEB観(ウェブかん:僕が今作った言葉。世界観みたいなやつ)が甘いとこう思いがちな気がしたので、そこはきっちり前提として否定しておこうと思って。ここにきて前提て。時系列が。

 

いっぱい考えて疲れました。僕は、こうやっていっぱい考える思考の過程って、ひとつのエンターテイメントになるんじゃないかなって思っています。論文には程遠く、随筆とも言えないほどに散らかった文章ですみません。場合によって、肯定も否定もしないという態度にはこれからも気を付けたいと思いますが、肯定と否定を頭の中で戦わせることは続けたいと思います。それは態度を曖昧にすることではなく、態度を明確にしなければできないことであるとも思います。 

 

みなさんはどう感じますか。良かったらコメントをお願いいたします。

 

がっかりアバターが解散したのは喪失感があるし、一緒に作品を作った仲だからもうちょっとがっかりアバター自体について書きたいところ、変な話題で申し訳ない。

がっかりアバターについては、またちゃんと書こう。

 

もし劇団員の皆様、ここまでお読みでしたら、本当、お疲れさまでした。

今後とも、よろしく。

 

(了)