お世話になっております。
最近、「劇場に花を送るより、多くの人間で観に来てもらった方が嬉しい」という意見があって、それに対して「花だってサイコーだろ」とかなんじゃらほいじゃら意見を見かける。このあたりの内容については、あまり興味がなかったのでスルー。
個人的には「花だって嬉しい」っていう意見はそりゃ好かれる意見だし、その意見で嫌な思いをする人なんて誰もいないから、そりゃそうだろと思った。好感を持たれる意見を言って、好感を持たれてて、ずりぃぜと思いました。
ただ、なにか、正体を見つけた気がした。バズるなり、炎上するなりの正体は、多分これだ。
「代表者」になること。
これ、僕がもっとも忌避してること。なにより気を付けていること。でも、バズったり炎上したりするのって、大抵「代表者」なんですよ。
どういうことかというと、例えばこのツイート。
【制作目線】役者さんにとってスタンドのお花も勿論嬉しいでしょうが、友達大勢呼んで一緒に観に来てくれる方が嬉しい人が大半です。綺麗事ではなく今後の彼、彼女らの活動においても「お客さんが多く来ていること」は励みと同時に実績になり、結果、より多くのチャンスに繋がります。これは事実です。
— 黒田哲平 (@TK0096) 2017年3月24日
これ、制作目線と書いてるけど、「役者代表」なんですよ。「この国にいるほとんどの役者代表」なんです。一連のツイートで「この国のほとんどの劇団を代表して、代弁します」的な書き方になっていたりするんです。制作者・黒田哲平さんの個人の意見に見せかけて、「代表」になっているんですよ。それが自覚的かどうかはわからないですけど。
だから、多くの人に伝わるんです。多くの人を巻き込めるんです。
ぽんと、膝を打ちました。僕は、こういうことは良くないと、できるだけ避けているんです。たまに「でも、僕多数派ですよ」と言い訳っぽく付け足すことはしちゃいますけど。できるだけ、個人の意見にしようとするし、それさえもバリアバリアでごまかします。らんまらんまで日が暮れます。これじゃ一生バズれないんだな、と。
昔、特定の批評家を名指し同然でディスって、70リツイートくらいでした。どんな書き方をしたのか忘れちゃいましたけど、たぶん、いち個人のいちエピソードに留めてたと思うんですよね。それをこう「批評家をあてにしてる作り手なんていない」とか、「作り手代表」な書き方をすると、もっと炎上したと思うんですよね。
(ちなみに、僕が書いたのは「あてにしてる、してない」とかいう話じゃなく、もっとほんとに個人的な小さなエピソードですけど。便宜上。)
もう30歳近い大人なのに、いまだに「常識」とか「当たり前」、「普通」に嚙みつくような性格だから、そういう言い方ができないっていう。僕がチンケってだけの話ですけど。
どっかの社長が、「私のツイートを読んでいない者は不採用です」ってツイートしてたんですよ。多分、それだけならバズらないんです。でも「常識です」って書いてるんです。急に、「世の社長代表」になるんです。だから、炎上したんです。だと思いません?
多分、しばいのまちのチラシのやつも、山口さんの言葉の端々に、「世の小劇場チラシ制作者代表」が見えてたんじゃないかなあ。ちょっと覚えてないですけど。でも、添削したとき、そこらへんを修正した気がする。「みんな」じゃなく、「僕」。
でも、それじゃ小さくってねえ…。
でも、個人の意見でも炎上することがたまにあって。
例えば、茂木さんのやつとか。
「日本のお笑いはオワコン」、全然意見としてありだと思うんですけどねー。
「みんなもそう思うでしょ?」が見え隠れしてたのかなぁ。
それとも、あまりに少数派な意見は、個人的であれ炎上するのかなあ。
僕がめざせるとしたらそこだけど、それはちょっと、あまりに居た堪れないぜ。
(了)