プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

逆転サヨナラ満塁エラー

 青空の下、僕は小学六年生だった。

 ゲームは9回の裏。1点差で、僕たちが勝っている。この回を抑えれば勝利だが、ツーアウト満塁。ヒットは許されない。僕は、マウンドの樋口健を眺めていた。真剣な顔つきだった。キャッチャーのサインにゆっくりとうなずいて、大きく振りかぶる。渾身の力を込めて、ボールを投げた。代打の長身がバットを振る。カキーン、と気持ちの良い音が鳴って―――。

 

 少年野球において、ライトは馬鹿にされがちである。ライトは、一番ヘタクソが守るところだと思われがちである。そして事実、そうであることが多い。地域の小さな野球チームでは、所属するもの全員がレギュラーメンバーになることがほとんどだ。どうしても運動能力の高い者から順に内野を守らせることになるし、右バッターがほとんどであるからして、レフトかライトならやはりレフトを優先して守らせる。よって、ライトは一番ヘタクソが守ることが多いのである。

「えー、俺、ライトなんてヤだよ。だっせー」

と言ったのは、中田壮馬だった。前述したとおり、ライトにはネガティブなイメージがある。中田壮馬はそれを嫌ったのだろう。しかし、その言葉に監督が激怒した。壮馬の頭を強めに叩いて、叱った。監督は、怒ると怖い。怒ると怖いので、怒っていない時も怖い。

「ポジションに優劣はない。野球をなめるな」

 そう言って、僕を指さした。

「川口は、ヘタクソでも文句を言わずにひたむきに努力しているだろう。壮馬、俺はお前の技術を買っている。川口よりも、壮馬の方がうまいと思っている。しかし、そんなふうに野球をなめるやつはいらない。この試合は、川口にライトは任せる」

 壮馬は泣きじゃくりながら謝ったが、許しは貰えず、結局僕がスタメンでグラウンドに出ることになった。僕は、野球が下手だった。しかも、好きではなかった。監督は僕をひたむきに努力していると言ったが、そんな覚えはない。ただ、意志薄弱なだけだ。親から言われて始めた野球を、理由なく続けているだけだった。得意でもなく、好きでもないのに。

 実際、グラウンドに立っていても、何の感慨も湧かなかった。できるだけ、ボールが飛んでこないことを祈っていた。練習して、うまくなりたいと思ったことがないわけではない。しかし、どうにも野球のことが好きになれなかったのだ。正確に言うと、野球をプレイすることと、野球の試合を見ることが好きになれなかった。

 僕は、漫画が好きだった。

 キャプテン、ドカベン巨人の星おおきく振りかぶって、MAJORなどが好きだった。クロカンのような監督もの、タッチのような恋愛もの、グラゼニのような金銭もの、どれもこれも好きだった。好んで、野球が題材の漫画を選んでいた。同じチームのメンバーが、セリーグパリーグの話をしていても僕にはわからない。そんな実在のチームより、明訓高校や墨谷二中に興味があった。星飛雄馬三橋廉に興味があった。すべての現実の野球に興味がなく、すべての架空の野球を愛していた。

 ただし、僕は、どちらも選ばなかった。上杉達也やイガラシキャプテンのようなプレイがしたいと練習に励むわけでもなければ、茂野吾郎や黒木竜次のような熱い男を描きたいとペンを走らせるわけでもなかった。ただの、野球漫画好きだった。だけど、そんなものだろう。小学生のころから夢に向かって走っている奴なんて、稀有だろう。そんなやつがいたら、プロ野球選手や漫画家になってしまうじゃないか。僕は、―――。

 

 ボールが、降ってきた。逆光だった。言い訳になると思った。ボールは取れなかった。相手チームのランナーが二人、ホームベースを踏んだ。逆転サヨナラエラー。僕のエラーで、チームが負けた。

 特段、これは決勝戦ではない。引退試合でもない。だけど、マウンドの樋口健は歯を食いしばって僕を睨んでいた。ベンチへ戻ると、本来のスタメンだった中田壮馬も僕を睨んでいた。負けたことを、本気で悔しがっていた。

 監督から軽く慰められて、僕は家に帰った。僕は、悔しくもなんともなかった。ただ、申し訳なかった。自分の部屋で、漫画を開く。ふと、気が付いた。

「この架空の世界に、僕がいたら、どんなに場違いなんだろう」

 今頃、樋口健はシャドウピッチングをしているだろう。中田壮馬もライトに誇りを持ち、素振りをしていることだろう。僕が漫画家なら、それを描く。僕は読者で、それが見たい。そうか、と気が付いた。僕が現実の野球を好きになれないのは、僕がいるからだ。僕という余計な登場人物が、この世界の野球を退屈にしているのだ。僕が野球漫画を好きなのは、そこに僕がいないからだ。

 

 中学生になって、僕は野球をやめた。野球をやめてから、少しずつプロ野球を見るようになった。高校野球を見るようになった。面白かった。ときには、漫画よりも面白かった。現実の野球は、こんなに面白かったのかと気が付いた。

 

 僕さえ、関わらなければ。

 

 

END

 

 

 ……。

 

 ……ふーん。

 ……へー。

 

 …………………………。

 

 ……なんだよ、それ。

 

 僕はバットを握って、庭に出て、素振りを始めて、それからはまた別のお話。

 それからが、僕の野球のお話。

 

(了)