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プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

鈴木先生、感想

お世話になっております。

 

漫画「鈴木先生」を最近読みました。抜群に面白かったです。

つい先日、

tokumeigekidan.hatenablog.com

という記事を書いたばっかりで。書いた後に一気読みしたわけだけど、自分の考え方に通じることがたくさんありました。鈴木先生的価値観は、非常に僕を勇気づけてくれるものでありました。鈴木先生は自問自答系キャラではあるものの、大胆。「女子児童を性的な目で見てしまう」という、おいおいそれ大丈夫かよっていうヘビーな悩みをかなり序盤で持ってくる。でも、だからこそ信頼できた。この作者は絶対に欺瞞を描かないぞと、キャラを超えて作家への信頼もできました。

 

欺瞞がないのに外連味があって、表現が過激なのも良い。表現に誇張があるのに、展開に誇張がないのが良い。キャラがショックを受けたときの表情など、ほとんどホラーのレベルで怖い。鈴木先生も、考え過ぎで怖い。だけどそれが、嘘じゃない。ほんと、「漫画」がうめぇんだ、この作者。器用な絵に騙されて、強引な展開に巻き込まれることは一切ない。むしろ、強い絵や強い言葉に騙されて気づかないうちに、とても繊細なところが静かに悪化していく。最高なのだ。

 

2巻まで読んだ段階で、「正しさ」とか「正論」の基盤はぐらぐらだった。この漫画は、安易な結論を許さない。「正しさ」を簡単に決定しない。だからこそ、教育の地平線が見えて、大興奮した。一体この漫画はどうなってしまうんだろうと、ワクワクした。彼方へ、彼方へと舵を切り、来たる鈴木裁判での世界の広がりっぷりは半端ではなかった。本当の意味で、「この中学生の子たちには、無限の可能性が秘められている」と思えた。金八先生が言ったなら鼻白んで終わりだが、鈴木先生の教室では違う。「無限の可能性」という言葉もまた、プラスだけではなくマイナスの場合もあることを、表裏一体で考えることができるのだ。鈴木裁判が終わるころ、生徒の成長を目の当たりにした。

 

終盤では演劇の話になる。文化祭での劇づくりを通して、中学生たちにさまざまな教育を施していく。しかもこれがまた、これまであった数々の事件の解決が、複合的に意味を為していくんだな。鈴木先生の教育が、有機的に働き出してシビれるんだよ。生徒が生きていることを実感するんだ。学校には、確実に意味がある。

そして鈴木先生の「これからも教師を演じ続ける」という決意のラストが、胸に沁みる。「演じる」なんて言われると聞こえが悪いかもしれないが、「それがどういう意味を持っていて、我々はどう受け止めればいいのか」を、鈴木先生は11巻かけて、すでに僕たちを教育してくれている。読み終わった後、「教師を〈演じる〉たァどういうことだ!」なんて考えは微塵も湧き起らない。あるいは湧き起ってわめきたてたとしても、あのクラスの面々が冷静に相談に乗ってくれることだろう。

 

とっくに評価されている漫画で今更だが、読んでよかった。

全11巻、おすすめです。

 

(了)