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プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

「サヨナラ、きりたんぽ」タイトル変更について

お世話になっております。

大阪で劇団やってます。

 

akita.keizai.biz

 

このニュース、ちょっと考えたい。

「サヨナラ、きりたんぽ」ってタイトルで、男性器を切断する内容のドラマが4月から始まる予定だったんだけど。それに対して秋田県が、県内外からの「あのタイトル、やめさせてくれ!」という声を受けて、「きりたんぽを男性器の比喩として使うのは不適切。変更求ム」と申し入れて、結局タイトルは変更になるそうだ。

 

まったくもって、理解不能である。今のところ、タイトル反対派の気持ちが分からない。もちろん、今のところなので、ちょっと待ってほしい。そこを考えたくて、これを書いている。

僕は、こんなツイートをした。

 

 

本当にそう思っている。

これは単に、「秋田県民のきりたんぽへの想い」と、「僕のたこ焼きへの想い」に差があり過ぎるせいなのだろうか。確かに僕は、郷土や名産というものに愛着がないほうではあるのだけれど。その辺りは、「郷土愛」というものが想像できない僕がダメかもしれない。

 

秋田経済新聞が8日、対面とインターネットで行ったアンケート調査では、タイトルに問題があると答えた回答者は約85%(106人)、問題ないと答えた回答者は約15%(19人)だった。

 

なんという比率だ。でも、やっぱり、僕には何が問題なのかさっぱりわからない。新聞にはこう続く。

 

「ばかにされているような印象を受けた」「食べ物と性器を結び付けるのは問題」などの意見が寄せられたほか、「SNSで炎上させることを通じて、ネットニュースやテレビ報道につなげた宣伝なのでは」との声も聞かれた。

 

……やはり、理解不能だ。

「ばかにされているような印象を受けた」とあるが、なぜそんな印象を受けるのだろう。ばかにされていないと思う。……まず前提として僕は、「ばかにされたところで問題なくね?」と思ってしまう人だが、それは僕の「郷土愛欠落症候群」だとしておこう。さすがに、きりたんぽをばかにされたら腹立たしい、という所には立っておきたい。じゃないと話が進まなくなる。

 

ここで問題なのは、「ばかにされているような印象を受けた」って、完全に印象の話をしていることである。びっくりしてしまう。印象って、印象じゃないか。ばかにされているかどうかの検証は、まだしていないじゃないか。まだばかにされているかどうかもわからないのに、「ばかにされているような印象を受けた」と攻撃を開始するのは、ちょっと暴力的だ。

 

SNSで炎上させることを通じて、ネットニュースやテレビ報道につなげた宣伝なのでは」、これについては一蹴したい。違うと思います。根拠はないけど、あなたもないからいいですよね。「炎上商法だろ?」「売名行為だろ?」っていうツッコミは、仮にそうだとして「そうですね」で終わる話なのでどうでもいいです。ビジネスの話だし。僕、関係ない。

 

「食べ物と性器を結び付けるのは問題」、これには大いに反論したい。食べ物と性器なんて、結び付いて表現される代表格ではないか。最近のグルメ漫画表現なんてポルノ化が激しくてすげェぜ。なにより、だったらグラビアアイドルがバナナを食べるのは何事だよ。キュウリだってナスビだって、奥さんが頬を染めながら手に取ったダイコンだって、少年が胸を高鳴らせて温めたコンニャクだって、ぜんぶ性器の代替品だぜ。

そしてそれは、あらゆる古今東西の作品で表現されてきたんだぜ。

 

(※知らんけど。日本特有の陰湿エロ文化やったらごめん。そんな気がしてきた。でも筆が乗っているので無視します。これはもうごめん、マジで許して。)

 

そのたびに、キュウリ農家もナスビ農家も、夜中に枕を濡らしてたってか?

んなこたーねーだろう。どら息子が納屋でコンニャク持ってしごいてたらそりゃあ悲しくもなるが、そんなシーンのある作られた作品を見たとして、「コンニャクをォ!!」なんていちいち言ってられないよなァ。……いや、どうだろう。確かに、コンニャクを愛していたら、そんな表現を見ると不快な気持ちにはなるのかもしれない。なるか。そうか。

 

確かに、丹精込めてキュウリを育てていると、AVなんかでキュウリ挿入シーンがあったりしたら、不愉快になるかもしれない。なるね、これは。うん。そこは、思慮が至りませんでした。だから、そうだな。

きりたんぽを愛している人は、やっぱり不快になってしまうんだろうな。

 

でも、でもね。

そして結論が出た。すごくきつめの結論で、申し訳ないけど。

 

結論:んなこた、知らねーよ。

 

いや、わかる。これは、きつい意見、過激な意見。ごめん。

でもさ、キュウリ農家を傷つけようとも、「キュウリを男性器に見立てた表現」がなくならないのは、「それが有効」だからなんだよ。

それが、価値のある表現になってるから、あり続けているわけなんだよ。

 

コンニャクとエロ本を買うシーンが今でもたまにあるのは、やっぱりギャグとして有効だからなんだよ。有効である限り、それは、素晴らしい表現なんだよ。

 

(※…うわもう、性器の暗喩として食品を使うっていう話と、性器の代替品として食品を使うっていう話をすり替えてしまっていることに今気づいた。ごめん、これも筆が乗ってるから無視したい。ほんまごめん。これが論文やったら遡ってちゃんと検証していくけど、もうこれはブログやから許して。もう、これは、僕のブログだから。ほんともう、プライバシーの侵害なんで。もうあかん、この記事むちゃくちゃや。最悪や。)

 

悲しむ人がいる、傷つく人がいる。それは、表現を自粛する理由にはなるんだ。僕だって、誰かを傷つけようとして本やブログを書いているわけじゃない。なんなら、面白がってもらおうと全力でピエロをしているつもりだ。だけど、それでも傷つけてしまうことがある。悲しませてしまうことがある。

そのたび、僕は問いかける。僕は、どうあるべきなのか。

 

僕は、表現がしたい。

だから、表現を許したい。

できることなら、すべての表現を僕は許したい。

これはもう、自分が表現したいからというわがままなのかもしれない。

 

真っ白なきりたんぽが焦げて茶色くなってさ、それに齧り付くシーンがあったとして、それは比喩として、表現として、芽吹いたかもしれねーじゃねーか。

それの何がダメなんだよ……。

 

きりたんぽを馬鹿にするなとか…うるせぇよ…きりたんぽはそんなふうに使うものじゃないとか……うるせぇんだよ……。きりたんぽに、単にきりたんぽにかじりついただけのシーンが、とんでもなく痛々しくそこに現れたかもしれねーのに。

 

キュウリなら良かったか!?ソーセージなら良かったか!?

それともチンポじゃねーとダメだってか!?

 

……ちくしょう。

なんだか、「表現の自由」ちっくな話になっていて気に入らない。

そんなつもりはなかったのだが。

 

結局、考えてみた結果、タイトル変更を要求する気持ちがわかってしまったから。わかってしまったから、もう、どうしようもなくなってさ。

「確かに、きりたんぽを愛している人に失礼だね」って結論は、「じゃあ、きりたんぽを男性器に見立てた表現は、やめようね」に発展するから。それがどうも気に入らなくて、「結論:んなこた、知らねーよ。」に逃げ込んでしまいました。

 

しかもかなり論理がぐちゃぐちゃ。申し訳ない。

 

やっぱり、相反する感情が渦巻いています。

「そんなことで抗議して、表現を抑えつけるような人間になりたくない。」という気持ちと、「表現である以上、あらゆる批判にさらされるべきで、時には自粛することも必要。表現の自由とは、何を言ってもいい、何をしてもいいという意味では、ない。」という気持ちと。

 

でも、うずまいてて当然だよなぁ……?

抗議してる人、うずまいてねェと思うんだけどな……。

 

そこがまた気に入らねぇし、タイトル変更もやけにアッサリしやがって、作り手側もうずまいてなさそうだし、なんだか……なんで俺だけ、なんで関係ない俺がこんなにうずまいてぐちゃぐちゃのブログ書いてるのかわかんないけど……。

 

ご愛嬌。

 

(了)