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プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

浅野いにお地獄

 

「先輩、そんなに浅野いにおになりたいですか?」

 僕はただ、電車に乗っていただけなんだけど。後輩、演劇部の高橋結菜が僕の目の前に仁王立ちしていた。そういえば、彼女はいつだって仁王立ちしているような気がする。やることなすことがいちいち大袈裟なのだ。無論、それは演技にも反映されていて、演出の大塚も頭を悩ませている。……僕には関係のないことだけど。

 一旦は驚いて顔をあげたものの、どう答えていいものやらよくわからない。いじっていたアプリゲームはどうでもいいものだったけれど、夢中であるということにして、再び顔を伏せた。ぱんぱんに膨らんだ彼女の学生鞄が視界にちらつく。

「高橋。今日、稽古は?」

「今日は休みです。先輩、そんなに浅野いにおになりたいですか?」

 高橋はまた、よくわからない質問を繰り返した。なんなんだ、それは。まず僕は、そんなことを彼女に言った覚えがない。そして、そんなことを一人で思った覚えもない。ひとまず、僕が浅野いにおになりたいと思っていた(あるいは、言った)として、それを高橋は良く思っていないのだろう、ということだけはわかった。感情表現が豊か過ぎるのだ、彼女は。

「……浅野いにおになりたいと言った覚えはないけど」

「けど?けどってことは、言ってはないけど思ってるってことですか?」

 言葉尻を捕らえられた。けど、というのは単なる僕の口癖だ。損をすることも多いので何度も直そうと試みたが、なかなか直らない。この口癖のせいでいつも、何か文句があると思われてしまうことがほとんどだ。とはいえ、無意識に口走っているわけだから、もしかすると無意識下に何か抱えているのかもしれない。しかし、仮に僕が浅野いにおになりたいと無意識下で思っていて、それが「けど」に現れたとして、一体なんだというのだ。

「それの、何が悪いの?」

 思わず反発してしまった。これでは、本当に浅野いにおになりたいみたいではないか。

「先輩は、先輩でいて欲しいです」

「……隣、空いてるから」

 僕は高橋を隣に座らせた。いつまでも仁王立ちされているのも居心地が悪いし、なにより突然、彼女が目に涙を浮かべ始めたことに戸惑ったからだ。全く、彼女の演技と同じだ。事実と挙動が釣り合っていない。僕が浅野いにおになりたいとして、それが一体、なぜそこまでの反応になってしまうのか。少しだけ、演出の大塚の苦労がわかる。

「先輩の台本、昨日、読み合わせをしました」

 読み合わせ、というのは台本の音読のことである。役者が輪になって、台詞を読んでいく。配役が決定している場合もあるし、配役を決定させるために行われる場合もある。僕はこの読み合わせがとても苦手だった。読み合わせだけでなく、稽古の初期段階がたまらなく恥ずかしくて、できる限り本番、もしくはそれに近い時期しか自分の台本の劇は観ないようにしている。不思議なもので、本番ともなれば自分の脚本との距離はとても遠くなって、素知らぬふりで観ていられるのだ。それに、そもそも僕は演劇部ではないから、稽古に顔を出す必要もない。

「先輩、浅野いにおって読んだことありますか?」

 今更。僕は、浅野いにおの熱心なファンという訳ではない。ただ、作品の内容にはシンパシーを感じるし、面白いと思って読んだことがある。

「あるよ」

「どう思ってますか?」

「面白いと思ってるけど」

「けど、なんですか」

 ああ。また。

「……面白いと思ってるけど、ワンピースのほうが好きかな」

 僕は思わず吐いた「けど」の隠し場所を、適当に選んだ。

「ワンピースのどこが面白いんですか?」

 高橋は怒っていた。ワンピースがあまり好きではないのだろう。今にもぷんぷんという音が聞こえてきそうなほど、頬を膨らませている。嘘みたいな子だ。

「ワンピースは……、冒険するところが、いい」

「なんですか、それ」

 確かに。なんなんだろう、それ。

 きっと、今回の僕の台本が浅野いにおの作風を思わせる仕上がりになっていたのだろう。彼女はそれが気に食わないらしい。作家に直談判とは恐れ入る。

「高橋は、浅野いにおが嫌いなの?」

「……よくわかりません」

 彼女が、珍しく曖昧な表情をした。ぜひ、演技にも反映してもらいたい。油断すると思わず見とれてしまう。演出の大塚も、彼女のこれを引き出したくて、いつも躍起になっているわけだ。あまりじっと見続けるのも気恥ずかしいから、窓の外を眺めるふりをした。

「あたしには、浅野いにおの漫画が、よくわかりません」

「それ、ハムレットを読んだ時も言ってなかった?」

「ワンピースも、意味がわかりません」

 彼女には、一体何がわかると言うのか。

「でも、先輩の台本は、わかっていたつもりです」

「なら良かったけど。あ、けどって、別に」

 高橋は、僕をまっすぐ見つめて、こう言った。

「先輩は、浅野いにおにはなれませんよ」

 少し、腹が立ってきた。

「ちょっと待って。そもそも、浅野いにおに憧れた覚えがないんだ。もし、今回の台本が浅野いにおっぽいなら、謝るよ。でも、わざとそうしたわけじゃない」

「あたし、年の離れたお姉ちゃんがいるんですよ」

 何の話だ。いっそ、軽く小突いて終わりにしてしまおうか。

 そう思ったけれど、今度は彼女の表情がわかりやすく悲壮感にあふれていたので、すぐに心配になった。最大級に悲しみを表現している表情だ。それにしても、訳が分からない。どうしてそんな顔をすることになったのか。

「お姉ちゃんは、綿矢りさになりたくて仕方なかったみたいです」

綿矢りさ?」

「そんなに、今どきの若者を切り取りたいですか?」

「ごめん、意味が分からない」

「そんなに若者の代弁者でありたいですか?そんなに今風の若者でありたいですか?」

「あのさ、高橋。そんなふうに思ったことはないけど、実際に俺たちは、今どきの若者だろう。そんなにも何も、自然とそうなるものなんじゃないか?」

 もう高橋は、すでに号泣していた。大粒の涙をぽろぽろと零している。

「つまり、なんというか、時代を切り取るのがうまい人は、いつだっているわけでさ。僕らは実際、若者だから。実際の若者である以上、その切り取られた時代の、作品の、中にいてしまうのは、ある種、当然なわけだから」

「あたしたちは、切り取られた側ですか」

「その、だから、普通だよ。それは。うん。普通、普通」

 僕は慰めなのか何なのかよくわからない言葉を繰り返すしかなかった。彼女の言い草は少し不愉快だったけれど、かまわない。とにかく、泣かないでほしい。電車の中で泣き出す女の子をフォローできるほど、僕はまだ大人ではない。もちろん一緒に泣くほど子供でもない。ただどうしたらいいのかわからずに、なぜかスマホで時刻を確認してしまう今どきの若者なのだ。17時15分。それがどうした。

 電車は貝戸駅に到着した。ここで特急に連絡する。乗り換えた方が、10分ほど早く自宅に到着するのだが、どうしたものか。そもそも、高橋はどこまで帰るのか。

「高橋は、このまま、この電車?」

 僕はおずおずと尋ねた。泣いている女の子に対してはいささか冷たすぎるかもしれない。

「先輩、海に行きませんか」

 高橋は、顔を伏せたまま呟いた。耳が、真っ赤だった。

「どうして?」

「先輩のことが、好きだからです」

 ……ああ、僕たちはこうしていつまでも、浅野いにおの漫画から抜け出せないのだと、そのときやっと気が付いた。高橋の手を取って、電車を降り、反対側のホームへ向かった。どうせ、海に着いてからも、作品についてや恋愛について、虚しくも情熱的に議論を重ねるんだろう。そして、どうせ、キスだってしてしまうんだろう。これがヤングマガジンなら、どこか海の家でセックスもしてしまうんだろう。くそったれ。

「高橋。俺、浅野いにおにだけは絶対になりたくないんだよ」

 僕は言った。

「先輩。あたしだって、そうなんです」

 高橋は言った。

 

 舞台の幕は、まだ上がらない。

 

(了)