プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

チケットノルマについて

 今日はチケットノルマのことについて考えてみる。と言っても、一般的な小劇場界のアレコレを論じるつもりはなく、あくまでも匿名劇壇をベースに。もしこれを読んでいる学生劇団がいたり、小劇場界を研究する社会学者さんがいたら、ひとつの事例(ひとつの気持ち?)として参考にしてもらいたい。全て書き終わってからこの部分を書いてるが、ま、そんなに大それたブログでもないので、どうぞ気軽に呼んでもらえれば結構。コケコッコー。(この記事唯一の笑い所)

 

 先日、劇団会議をした。年内、次回公演についての詳細を詰める。さて、そこでチケットノルマの話になどならなかったが、帰り道、佐々木が熱く語っていたので、考えてみることにする。主な主張はこうだった。とりあえず乱暴に発言を要約してみよう。佐々木の本来の発言の意図とはずれているかもしれないが、「僕にはそう聴こえた」あるいは「一日経って諸々忘却の彼方へ消え去った結果の、単なる残滓」ということで許されたい。

 

佐々木の発言の趣旨

「我が劇団は集客力が弱すぎる。しかし、自分自身は集客に対して非常に貢献している。前回公演は赤字だったが、赤字分は各劇団員で平等に負担した。”何人呼んだか”を考慮せずに、単に平等に割るのはおかしいのではないか。」

 

 実際に佐々木は多くのお客様を呼んでいる。そして匿名劇壇には特にチケットバック(チケットを売るごとに、売った人間に対して幾ばくかのお金が入ってくるシステム)も設けていない。当然と言えば当然発生する気持ちだろう。しかし僕が「貢献」という言葉を捕まえて(というより僕がそう解釈し言語化して)、「お客さんを呼ぶこと」「いい芝居をすること」「劇団活動の様々な雑事をこなすこと」などの色んな評価軸を打ち出し、「"お客さんを呼んでいる"ということが突出して劇団に貢献しているかどうかは分からない。下手にそこだけを数値化するのは危うい」というようなことを言ったような気がする。ただ、主に佐々木の主張は「お金と集客」のみに絞られていたので、ここで妙に話が噛み合わなくなった。しばらく会話をしてこんな展開になる。

 

続く佐々木の発言の趣旨

「自分だって劇団そのものが赤字の中、チケットバックが欲しいなどと言うつもりはない。ただし集客に対する努力を、ある程度義務化しなければならないのではないか。例えば一人につき30枚のチケットノルマを課し、売れない分は自分で責任を負う。そのようにすべきだ。」

 

 これもある程度は納得することが出来る。50枚のチケットを売った人間と5枚のチケットを売った人間の「赤字負担額が同じ」という事態は、実際に起こった出来事として存在する。つまるところ、それに納得がいかないということだろうと思った。

 しかし、どうも佐々木の発言意図は「集客を増やしたい」という所にあるようで、僕が発言から読み取った「納得のいかなさ」について言及すればするほど、また更に話が噛み合わなくなっていった。全体の集客を伸ばす手段は、決して「チケットノルマ」だけではないはずだ。集客を伸ばす手段としてチケットノルマに固執するのは、全体ではなく個々の売り上げに文句("文句"は過激な言葉だが、便宜上)があるからだと感じたが、そんなことを言えば言うほど泥沼。会話は出口の無い迷路の中を彷徨った。ぶっちゃけると二人とも酔っていたし。

 ただ、噛み合わなくなればなるほど、表現は露骨になる。さて、次に書くのは佐々木が普段から言っていることで、僕の解釈云々ではなく、原文ママだ。根本的な思想だと思う。なにかインタビューページのようなところにも載っているかもしれない。知らないが。

 

佐々木の最終的な発言及び思想

「お客さんを呼べない役者なんて役者じゃない。そんなやつはいらない。」

 

 結論から言えば、僕はそうは思わない。ここが大きな違いで、会話の噛み合わなさを生んだ一番の原因のような気がする。お客さんを呼ぶ能力は、もちろん大事だ。ある側面から見ると、確かに「一番大事」なのかもしれない。それは至極当然に聞こえるし、「まさにその通り。お客さんを呼べないやつは、いらない。」と即座に賛成出来そうな健康な言葉だ。

 劇団をやっていくために、劇団の活動を維持するために、「お金」に繋がる「集客」を努力するのは全く当然で、これは演技が上手いとか下手とかよりももっと前の話なんだろう。そのほか例えば制作的な業務について劇団に貢献しているなんてことのもっと前の、「原点」の話なんだろう。当たり前の当たり前にやらなければならないことだ。

 しかし、と反論するつもりでここまで書いたが……確かにそうかもしれない。

 しかし、の続きが書けない。

 

「だから、それを義務化しよう。今までも頑張ってた頑張ってきたなんて知らない。チケットが売れていないってことは頑張ってないんだろう。売れないのなら売れない分は負担せよ。」

 

  これは特に佐々木の発言ではなく、この文章の流れの上出てきた結論めいたものだ。反論の余地がないような気がして嫌になる。やはりノルマ制度を導入するしかないのか。

 

 話は変わるが、劇団会議では「ブログ当番制度」が議題に上がり、僕が異常なほど忌避し、ニシノともやや軋轢が生まれた。本人の意思を無視して「順番が来たら書かなければならない」というルール作りが、良いものだとは思えなかったのだ。しかし議論しているうちに僕は追い詰められ、「ブログ当番制はイヤです!とにかく、イヤ!」と言って部屋を出た。

 ちなみに佐々木との会話も、便宜上「帰り道」と冒頭に書いたが実は杉原の家だ。ここでも最終的には「とにかく、ノルマはやりません!今日はもう寝ます!」と言って、寝た。

 

 議論の前半はある程度ロジカルに話をしているはずなのだが、最終的になんだか追い詰められて、「とにかくイヤ」という聖なるバリアミラーフォースを発動する羽目になっていく。だからこそ、こうして文章化して考えをめぐらしていたのだが、ダメだ。結論は変わらない。

 

 「とにかく、イヤ」だ。

 

 うまく反論できない。ブログを当番制で回した方がお客さんの目に触れてもらえる機会は増えるし、ノルマ制を導入すれば「多く売った人、少ない人」の差異も解消、なにより最低限の赤字回避が保証される。「強制的に書かされたブログなんて面白くない。それは劇団の価値を下げる気がする」とか「劇団員にノルマを課してまで芝居をするなんて、主宰として耐えられない。そんな団体、耐えられない」というような、チープな言葉しか思い浮かばない。気がする、とか、なんとなくイヤ、では話し合いは前に進まない。

 

 僕は「なんらかの強制力」がとにかく嫌いなのだろう。単なる好き嫌いに、なにか正当なロジックがあるかのように語るから、最終的に追い詰められるのだ。今後、きっと話し合うことになる。ブログ当番制は「公演特設サイトを作る」という話にすり替わり、なんだか良くわからないままに終わった。だけど、ノルマの話はまだしていない。

  僕のスタンスは「とにかく、イヤ」だ。最終的には多数決で良いと思う。少なくとも僕にはロジカルに反論する力はない。ひたすら「イヤ」を唱えることしかできない。やっぱり多数決しかない。

 

 さて、これを読んでいる皆さんにだけ結局のところの内緒の話をしよう。

 

 ぶっちゃけ、僕は、そうは言っても総合的に判断をしている。これは本当に内緒の話。

 ノルマを導入しなかったとしても、たぶん佐々木は辞めない。売る努力も怠らないだろう。だから僕は、「佐々木を辞めさせないためにノルマを導入しよう」とは思わない。佐々木が「俺こんなに売ってるのに、不平等だ」と叫んでも、それが理由で劇団を辞めるとは到底思えない。だけどね、逆はいくらでも想像できる。ノルマを導入して、毎公演30枚や50枚、今までの売ってた分の数倍のチケットをさばかなければならない状況にするとしよう。僕を筆頭に、何人か「辞めよう」と思うんじゃないかな。正直、僕は毎公演30枚や50枚のノルマを課せられるのは嫌だ。そんな団体にいるより、うん、そうだな、じゃあノルマの無い団体に行きたい。そう思うのが普通じゃないかな。大げさにいえば、佐々木以外はそう思うんじゃないかな。匿名劇壇福谷の作・演出のお芝居に、十万円払って出るより、NODAMAPのオーディションでも受けてた方が有意義じゃないかな、と思うんじゃないかな。「十万円払って出る、がなんで前提やねん。チケット売ればいいだけの話やろ」ときっと言うだろう。わかるよ。わかるさ。それは正論だ、正論なんだけども。きっとそれは、そんなに簡単なことじゃない。そもそも僕は佐々木がチケットを売っている様は、「こうやってやるんだよ!」と言って一輪車に乗って颯爽と去っていったヨッちゃんに近いものを感じている。ヨッちゃんには、「僕の乗れなさ」が全くわからないのだ。そして同時に、「そんなことできないのなら辞めてしまえ」とは僕は思わない。それが出来ない「役者」が、「いらない役者」だとは全く思わないのである。一輪車に乗れないだけで、手放したくないのだ。彼らを、彼女らを。

 

 これはほとんど脅迫だな。ノルマがあろうとなかろうと、佐々木は劇団にいるだろう。でも、他の劇団員のことを考えると、そうは思わないから。だから、「まあ多少不平等でも、そこは佐々木に痛い目(痛い目?)を見て目をつむってもらうのが、総合的に考えればベターなんじゃないかなー」なんてことを考えるのだ。きっと、怒るだろうな。これは相当な暴言だ。東も沢山売っているしね。二人に対し、なかなかえぐい発言をしていることは自覚している。

 

 まあ、怒ってくれて構わない。酔った勢いで僕に吐露するより、有効な時間が生まれるかもしれない。とりあえず、このブログ爆弾をここに投下するから、考えるきっかけにしてみよう。実際問題、30枚を最低枚数として課すってのは、まあわりと長いこと劇団もやってきたし、さすがにそれで劇団辞めるなんて展開は無いだろう。まあまあ俺たちも頑張って作品作ってきたし、30枚は、多分なんとかなる数字だ。("「ノルマ制度」がもたらす行く末"が気になるだけで。)やってみても、いいかもね。ヤだけど。責任枚数より、目標枚数がいいなぁ。

 

 なんてことをね、小劇場で奮闘するひとつの劇団が悩み苦しんでいたりするんですよ。どうぞ社会学者の方は、このブログを参考に、研究を重ねてくださいませ。一般のお客さま方は「そんな裏側の苦労とか知りたくない!」ということであれば、どうぞ僕らしさにあふれたこの一言を胸に、また劇場へいらっしゃいな。

 

 「なーんてね。ぜーんぶ、うそうそ」

 

(了)