プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

キミって標準体型?

お世話になっております。

 

匿名劇壇『レモンキャンディ』、今週木曜日からスタートする。

えっちらほっちら、作り上げてきた。基本的に演劇の稽古なんてそりゃまあ地味なもんで、コツコツ小石を拾ったり、コトコトシチューを煮込んだり、静かに進めてきた。それでもひとつの作品の稽古中に、「これは良くなるぞ!」という世紀の大発見のようなものが、一度や二度くらいは出てくるもので。今回の『レモンキャン

 

ディ』でも、「ああ!これでもうサイコーの作品になるよ!」となるような発見が、4月24日にあったのでした。それまでは不安を抱えながら、「でも、この小石を拾っていけば必ず…」とか「あと、二週間煮込めば絶対に…」とか、そんなふうに稽古を進めていた。4月24日以降、僕は安心しきっている。「面白くないのではないか…?」という不安から解き放たれて、あとは「ミスをしないように」「芝居をこなさないように」「無意識の瞬間を無くすように」していく作業だ。

それはそれは地味だが、そういうもんなのである。ここでまた「もう一度、あんな世紀の大発見を…!」と考えてしまうのは良くない。次の世紀の大発見は、まず先の世紀の大発見を「当たり前」にしてからしか見つからないのである!

 

ちなみに『レモンキャンディ』の世紀の大発見とは、「落下中なんだから、怖くてたまらないじゃないか!」というものだった。「……当たり前やん?」と思うなかれ。リンゴを見たニュートンのように、天を仰いだコペルニクスのように、大発見とはそんなもんなのだ。

 

さて、もっともっと皆様に興味を持ってもらうために、なんとかこの作品を「オススメ」したいものだが、これがまた難しい。「オススメ」するためには、「この作品のここが良いんですよ!」を言わなくちゃいけない。その情報はある程度、その「良さ」をオミットしてしまうことにも繋がる。例えば、小説の帯や宣伝で「この大どんでん返しを見逃すな!」的なことが書いているのは、やはり基本的にはどうかと思っていて。ネタバレ云々ではなく。

 

世の中には「大どんでん返し」フェチが一定数いて、そこに対する広告効果がバツグンだとは思う。でも、「この本は大どんでん返しがウリの本だ」と思って読んで得られるのって、「ええっ!こんな展開に!?」という喜びじゃなくて、「さぁ…来るぞ…どんでんが来るぞ…!どうなるんや…!わからんけど…とにかくどんでんが来るぞ…!あ…!どんでんが…!どんでん来た!ああ!どんでん!どんでんっ!どんでんっ!ビュルルッ!ビュルルルルッ!」っていう喜びじゃないですか。

 

まるで「どんでん返し」の「どんでん返し性」そのものを盲愛するような。「女子高生」の「女子高生性」そのものを盲愛するような。それが良くない、というつもりはないんだけど、「それって、ちょっと違くねー?」と思うところがある。要するに、「どんでん返しだから面白い」とか「女子高生だからカワイイ」んじゃないはずなんですよ、本来は。

 

だけど、それがパッケージだから。オススメするのはパッケージだから。もし僕がここで、「レモンキャンディは、死を目前にした人間の生き様を描いているところがオススメです」なんて言おうものなら、それがあっという間にパッケージになって、結果「だから、面白い(だから、面白くない)」になってしまうかもしれない。そうじゃなかったかもしれないのに。単に「女優が可愛い」から面白い(面白くない)、かもしれないのに。かといって、「女優が可愛い」だってパッケージにするつもりは一切ないけれど。

 

……おいおい、こんなやつが主宰の劇団、どうやって広報していけばいいんだよ。

 

 

高校生のとき、卒業文集みたいなやつの寄せ書きみたいなやつに、友達がこんなことを書いていた。

 

『      』

 

 

空白。カギカッコだけ。多分、彼もパッケージを嫌ったんだと思う。一方、僕はどうしたかというと、「クラスメイト全員分の名前を書き、全員分へのメッセージを書いた」のであった。そう広くないスペースに、細々と。どっちかというと僕が根暗で、彼がパリピだったので、やり口が真逆なような気もするが、根底にあったであろう「パッケージされたくない願望」が共通してたんだろうな。

 

ただ、いま、ほかのクラスメイトが書いたものを全く思い出せない。多分、「楽しかった」とか「また会おう」とかそんなのだったのかな。なんだか、馬鹿みたいだ。僕と彼が、ほかの誰より自分をパッケージングしてしまってるじゃないか。ある種の無個性であろうとする強烈な個性が、ぷんぷん臭って頭が痛いじゃないか。「俺、こういう人だから」と、アピールが過ぎてどうしようもないじゃないか。そんでしかも、多分誰も僕がそんなふうに書いたなんて覚えちゃいないんだろーなー……。

相手も行司も観客もいないひとり相撲で、自分が太ってるかどうかもわかんねーよ。なあ、俺は標準体型かい?

 

今回の『レモンキャンディ』、豊かな時間がたくさんあります。笑えばいいのか、泣けばいいのか、見下せばいいのか、見上げればいいのか、どうやって見たらいいのかを迷う、豊かな時間がたくさんあります。それは前作『戸惑えよ』でやろうとして、失敗したことでした。それが、うまくできて、嬉しいのです。

 

という、前作を見た人専用のパッケージを残して、このブログを終わります。

どうか、見に来てくださいませ。比べ合いっこしましょ。

 

なあ、君は、標準体型かな?

 

(了)

 

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壱劇屋の大熊さんとの対談

お世話になっております。

 

レモンキャンディ、絶賛稽古中です。面白くなりつつあります。

台本を読み返してますが、まあこれは面白くなりますよ。ひと安心です。やっぱり心の傷はそう簡単に言えず、ほんと怖くて堪らないですが。とりあえず、「台本が…あかん…!」と思いながら幕が開けることはなさそうです。

ま、公演終了後は多分「台本があかん」っていうけどね。それはもう、口癖だから。

 

「ゲキオシ!」にて大熊さんと対談させていただきました。

gekioshi.com

 

以前、泉さんやタカイさんと話したとき、「僕は単に逆張りをしたがるだけです。基本的には、“こだわり”が微塵もない人間なので、意見を簡単に翻します。」というようなことを言った気がする。ちょっと、僕はそういうキャラクターであるという前提がないと、もしかしたらこの記事はカンチガイされてしまうかもしれないね。

 

いや、まあ嘘をついているわけではないからカンチガイではないんだけど。

例えば、大熊さんが「劇団員はファミリー」って言ったら、僕はもう「手札」って言うんですよ。言うてまう病気なんですよ。そりゃ「ライバル」とか「ビジネスパートナー」とかいろいろ浮かんだけど、一番逆張りで立ち位置示せるのは「手札」でしょ?

 

んで、大事なのは、だからと言って「手札」が嘘な訳じゃないんですよ。まあ、あえて言うなら「手札」ですよ。でもね、当然、「ファミリー」ですよ。そんなもん。これ、ほんと僕の性格を端的に表しますが、大熊さんが「手札」って言ったら、僕は確実に「ファミリー」って言ってましたよ。マジ顔で。そんで、ファミリーの定義で遊びながら、嘘にはならないように言葉を紡いでいくと思うんですよ。そんなことをやってしまう人間であるっていう、僕のキャラクターを知ってもらえたら嬉しい。

嬉しいというより、今後、僕との関わり方がすごく楽になると思う。

 

「ある種、家族って宿命みたいなものじゃないですか。単に、最初に生まれたのが匿名劇壇の家庭だったってだけの話で。全然、別の家に生まれたらそこでも良かったと思いますし。愛があろうがなかろうが、家族って家族じゃないですか。まともな判断ができる前に、一緒になってしまったってだけの話ですね。仮に僕が父親だとしたら、娘の結婚には全く反対しないです。どうぞ出て行って貰っていい。」

 

みたいな。ほら、もう僕、こんなん言いそうでしょ?

まあ、大熊さんの言うファミリーは、家族っていうよりマフィア的ファミリーの意味合いだったような気がしますけど。なんでもいいんですけど。

 

だから、なんとかこう、「劇団員を手札だと思っている福谷」じゃなくて、「劇団員を手札とか言うてまう福谷」っていうことで認識してもらいたいなーと思っていて。でも、これってほんと難しくて。文章で伝えようとしたら、何度も意見をとっかえひっかえしながら、「あ、この人、ほんとはどっちでもいいんだ」って思わせるように作るんですけど。僕のブログって大体そうやって作られてると思うんですけど。

 

実際にねー…、面と向かって話すのは、口下手だから。

 

ほんで、まあもう僕の作る劇見てもらったらわかると思うんですけど、あのー、劇団員への愛、めっちゃありますから。だからもうムチャクチャなんですよ。僕は。言うてることが。「こいつ、劇団員のことめっちゃ好きやん…!」っていうのがバレる劇になってますから。手札とか言うてても、ね。まあ、別に好きじゃないですけど。

 

ああ、こうなるとまた逆張りしたくなってくるけど、大熊さんの作り方って、劇団員のこと好きそうかなァ…?僕はそれこそ、「これ、誰でもよくね?」を壱劇屋さんの劇で感じたことがあるかもしれない。まあこれは、ディスりすぎか。いや、そこまで否定的な意味じゃなく、劇のタイプとして、どっちかっていうと役者の個性とかってより、なんていうの、こう、ロボ的な、なんていうの、ロボ的な感じがするじゃないですか。そんなことないんですけどね、壱劇屋さんの劇も。なんかこう、ぱっと見のイメージで、なんかロボ的な、ああでも全然ちゃうわ、今、俺アンノウンホスピタルを思い出してたけど、ほんっと壱劇屋さんいろいろやってっからな。見たことないが、ドラゴンナリタ的なやつは、めっちゃ個性とか出してるんだろうな。適当なイメージで語るとやっぱり失敗するな。すみません。失礼なこと書きそうになりました。(書いた。)

 

このあいだの羊とドラコさんとのイベントで「嘘」について話したけど、「嘘」の反対には「本当」があるじゃないですか。僕の世界観では、それがもう等価値で、一緒くたになってるんですよ。一瞬でどっちにでも変化させられるんですよ。

「愛してる。嘘だけど」と「愛してる。マジで」が、完全に一緒なんですよ。だって、「愛してる。嘘だけど」って言ったやつは、絶対「愛してる」じゃないですか!「愛してる。マジで」って言ったやつは、絶対「愛してない」じゃないですか!知らんけど!僕にはそう見えて!でも「愛してない」って自覚してるやつ、絶対愛してもうてるじゃないですか!だからもう、ぐっちゃぐちゃなんですよ!僕は!

 

だからもう!!

 

恥ずかしいから、僕のインタビューとかあんまり読まないでください!!!!!

 

はい、いくよ?

 

ってことは?

 

っていうことは?

 

 

 

読んでくださいねぇぇえぇぇぇぇぇぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!

 

 

(了)

 

P.S.あと、いろんなことを社会とか時代のせいにしてるけど、そっちの考え方もありやと思って最近推してるだけ。なんか、社会や時代のせいにするってのが「悪いこと」っていう常識?流れ?みたいなの、あるでしょ?それがちょっとイヤで。時代のせいにしちゃっていいことは時代のせいにしちゃった方が楽になるよ!僕は、悩んでる君にエールを送るよ!

 

三月送付のダイレクトメッセージ案内文公開

お世話になっております。

本日は、ダイレクトメールで送った文章を公開いたします。

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雑すぎるブログだが、ほんと最近投稿できてないので、無理やり諦めて投稿してしまおう

お世話になっております。

 

突劇金魚『僕のヘビ母さん』、終了いたしました。

ダブルキャストもロングランも、確かそんなに経験がなかったはず。民家で公演することもたぶん初めてだと思うし、被り物をするのも、白塗りをするのも初めてだった。『僕のヘビ母さん』、とても新鮮な経験となりました。力不足を痛感しつつも、一生懸命楽しく取り組むことができました。

 

僕は、「演じる」ということが苦手です。「成りきる」ということが苦手です。あと、できないことはやらないタイプの人間です。だから、「ヘビ母さんを演じる」「ヘビ母さんに成りきる」というアプローチは、しませんでした。できないし。僕、ヘビ母さんじゃないし。福谷圭祐だし。なんで役者やってんだよ、って感じだけどね。かっこ笑い。

ヘビの気持ち、あるいはヘビ母さんの気持ち。「このとき、ヘビはこんな気持ちなんじゃないかな」と想像しても、その想像はヒューマンの福谷がした想像なので、やっぱりヘビはその想像を見つめているだけなのかもしれない。「見つめて」なんて余計な言葉の強調もやっぱり気持ち悪い。見ているだけ、だったりするのにね。僕は軸をそこに置くことにしました。決めつけて演じたり、揺るぎなく成りきったりしないようにしました。

 

そうしたら、「何者にも成りきれない何か」になりました。それってどうなの、とも思うが、サリngさんが良しとしていたので、良しとしようじゃないか。しかも、結果的に僕のいつもの演技のやり口だったりする。でもでも、どうしてか辿り着いたところは違ってたね。ダブルキャストの一方、竹内さんの芝居を結局ゲネプロでしか見られなかったが、どっちかっていうと竹内さんの芝居の方が、「僕がやりそう」な気がしたりもした。

 

なーんてね。

 

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と、ここまで書いて、続きを書く時間がなく放置。まだまだ書きたいことがあるが、まずは明日のシンポジウムのお知らせでも。

 

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と、書いたものの、台本の執筆に取りかかってしまい、ブログ中断。現在、シンポジウムはすでに終了してしまった。最近、ブログを書ききれない。時間がないのだ。なんだかんだ言って、記事は数時間程度見直したい。

 

今でさえ、シンポジウムの感想ではなく、あれを経て浮かんだ考えをまとめるために文章を書きたい。そもそも、そういう使い方をするためのブログだし。今考えてるのはこんなこと。あ、今も時間がないので、文が荒いけどソーリー。

 

・ブームっていうのは馬鹿が集まること

・ブームを起こすために、馬鹿を集めて豊かになるか?

 

例えばJリーグって超人気だった時、馬鹿が集まってたと思うんですよね。ミーハーと言い換えてもいいですけど。それこそ「流行ってるから」で集まってたり。その入り口はめざさなきゃかもとも思うが、少なくとも、関西小劇場ブームが実在して、それが単に「馬鹿も芝居を見てた」「でも馬鹿だから流行が終わって離れた」だけなら、どうでもいいし、そのブームをめざすことに意味があるのかなとか思ったり。

多分土橋さんが冗談交じりに言った「衰弱ではなく、成熟ともいえる」ってこういう意味じゃない?とも思ったり。サラッと言ったので聞き逃しそうになったが、ものすごく端的に演劇の在り方への想いとか意見とか分析を表している。

もし仮に、「演劇を見に行くのがおしゃれ」だったんなら、おしゃれなんてただの流行なので、本当にどうでもいい。牧場に行くのがおしゃれな時代もたまには来るだろう。ボウリングなんて、今やダサいし。おしゃれなんて、単なる時代の運ゲー。当時のボウリングと今のボウリングにゲーム性の違いなんてないよな?

 

あー、ほんと文が荒い。あと少しで出発しなきゃだから。

 

テレビって、馬鹿でもわかるように作ってるし、馬鹿に好かれるように作ってるじゃないですか。って、よく聞くじゃないですか?これは偏見とかではなく、実際の作り手の声として、「高卒主婦を想定しろ」みたいなこと、たまに漏れ聞こえるし。ソースはないけど、探せば見つかるんじゃない?で、それって、どうなの?っていう流れもあるじゃないですか。

 

だから、より専門性とか、まあマニアックな番組作りをすると、逆にウケたり。

とはいえ、高視聴率をとるドラマは、ほんとにわかりやすくて、ほんっとにほんっとに間口広げまくりの馬鹿が見放題の作品じゃないですか。ユーチューブなんかも今すごいですよ。ほんっとに、馬鹿でもわかる、馬鹿が楽しめる、頭を使わない動画ばっかりで。

ま、でもこれは、作品自体を否定してるわけじゃなくて。僕自身馬鹿だし。

 

作品作りの姿勢として、「高視聴率をとるために」「ブームを起こすために」間口広げまくり馬鹿入りまくりブーム起こりまくりをめざすのって、ちょっと危険じゃない?って思うようなところがあるだけで。

 

あー、ごめん、ほんと荒い。馬鹿って乱暴に使い過ぎてる。

今、僕の言ってる「馬鹿」っていうのは、「らくちんしたがり」っていうニュアンス。この「らくちんしたがり」の定義も設定しなきゃだが、くそう、そんなに精査する時間がない。

 

普段ならこのブログは闇に消えるが、最近書けてなさすぎたし、

 

 

もうあかん!いったれ!

 

とりゃあ!

 

(了)

チケットを売らない役者に価値はないのか

お世話になっております。

 

役者はチケットを売るのが「当たり前」か。

今日、ツイッターでギャンギャン吠えて、自分でも驚くほど鮮やかに負けました。まあタカイさんとはそれなりにプロレスができると思って意識的に吹っ掛けたケンカだったけど、死ぬほどすぐ負けて笑いました。あのクソ野郎、つぶす。

 

ことの発端はこのツイート。

 

 

で、最終的な僕。

 

 

どうですか、この、負けっぷり。やりとりの詳細はツイッターをチェックしてもらうとして、僕、「ウガアアア」言うてますやん。こんな負け方するんですね、大人でも。「ウガアアア」言うたら終わりでしょ。これ、ほんまは「ちくしょう!今に見てろよ!」とか「今日はこれくらいにしてやる!覚えとけ!」とか書きたかったんですよ。でも、負けすぎて「ウガアアア」言うてもうたんです。語彙なくなってもうて。必死になってもうて。どうですか。僕はこんな自分が本当に好きです。

 

とまァ、負けたうえで、僕の気持ちをもう一回考えておこう。……チケットノルマの是非とか、なんだかんだ定期的にこういう話をしてしまうね。お客様には申し訳ないが、だけど、こういう裏側を見せる芸とか笑いって、2000年代の流行りだから許してくれるかな?

 

役者は演出の求めた芝居をやるのは当たり前で、「チケットを売る」のも当たり前

 

うむ。やはり引っかかる。えーと、まず僕は、ネガティブです。あと、自分のことを弱者の味方だと思っています。劣等感の塊で、クラスでイケイケのアイツや、ディスコでノリノリのカノジョにはなれなくて。最低最悪なドブみたいな人生を送っている人の、味方だと思っています。まず、僕のそんな「性癖」を前提として。

 

役者は演出の求めた芝居をやるのが当たり前で、「チケットを売る」のも当たり前だとしたらさ。もしも僕みたいな「能力のない演出家」によって「退屈で面白くないお芝居」をつけられて、それを忠実に再現した役者がいたとしてさ。だけど、その人は役者のあるべき姿としてチケットを100枚売ってさ、お客さんのほとんどに「なんか、必死に呼ばれたからきたけど…前衛的で変な芝居で、面白くないなァ…」と思われて、「この人の“オススメだから見に来て!”は信頼できないから、次からは断ろう」って思われたら、最悪じゃない?

 

例えば僕、今突劇金魚に出ているけど、僕の出てるシーンって15分間くらいで。僕が役者としてなんとかできるところって、その15分間しかないじゃないですか。もしかしたら、その15分間くらいは脚本や演出も退屈だとしても「役者の力!」でなんとかできるかもしれないけど(そんなこと、果たしてできるかな?)、トータルの完成度って、どうしようもないところじゃないですか。「そんな芝居に出るのがおかしい!」というのはもちろんだけど、まあやってみないとわからなかったりするじゃないですか。小劇場なんて特に。(突劇金魚はだいぶ良い作品なので、おすすめです。)

 

だから、もしも役者が「この作品には自分のお客さんを呼ぶべきではない」って判断したとしたら、それは許されてしかるべきだと思うんですよね。

 

うーん、難しい。言いたいことが女子高生みたいにいろいろ出てくる。

例えば「当たり前対決」をするなら、拘束期間に見合ったギャラを払うのは「当たり前」だし。その当たり前を守れていないとき、やっぱり「チケットを売れ」が「当たり前」だなんて主張しがたい。こちとら「台詞を覚えろ」ですら、「拘束期間に見合ったギャラ」を払えていない以上、うまく喉から出てこないのに。稽古を休む理由だって、聞けないまま卑屈な笑い方をするだけなのに。

 

ま、それにタカイさんのツイートは確実に「脚本も面白い、演出も面白い」ことが前提だと思うので、僕の指摘は的外れですけど。すでに敗北はしているので、この記事で噛みつくつもりは一切ないです。僕自身がどう思っているのかな、っていう検証です。……でもね、結局タカイさんはパーリーピーポーなんですよ。優秀が、有能が前提だからムカつくんです。噛みついてもうた。コイツはねェ、弱者の気持ちが分からないんですよ。優秀だから。有能が前提で色んな事言うから。あのね、ツイートの途中で僕「大手広告代理店か!」っていう悪口を書いちゃいましたけど、あれはわりとマジですよ。

こういう人がね、「なんでできないの?」って言葉を使うんです。

 

ほら、僕たちは「なんでできないの?」って言われて、辛かったじゃないですか。「こうやってやんねん!」といって一輪車をスイスイ漕いでったタケル君を見て、泣きそうになったじゃないですか。そんな気持ちがこいつにはわからないんですよ!!

 

タカイさん「……チケット売る努力はしてくださいよ。メール送るくらいはできるじゃないですか?え、電話帳に20件しか知り合いがいない?まあじゃあその20人には送るとして、アドレスなんて聞けばいいじゃないですか。ほら、あの劇場行ったことあるでしょ?あの管理主さんとか声かけました?声かけたらいいじゃないですか。なんでやらないんですか?いつも、ちゃんと客出しのとき、声かけてくれたお客さんの名前とか聞いてます?聞いたらいいじゃないですか。連絡先交換するんですよ。DMなんかよりよっぽどダイレクトで、来てくれることありますよ。なんでやらないんですか?ちなみに今、チラシ持ってます?……なんで持ってないんですか?僕、常に30部は持ち歩いてますよ。ツイッターやってます?なんでフォロー増やさないんですか?まずフォロー増やして、網を張るべきでしょ?毎日予約フォーム投稿してます?っていうか、せめて知り合いを増やす努力はしましょうよ。人間関係ですから、すべては。フェイスブックで過去の同級生なんていくらでも見つかるでしょ。コミュニケーションする努力を、いや、できないじゃなくて。できないんじゃなくて、それはやらないんでしょ?やってないだけじゃないですか。やってくださいよ。できないじゃなくて。いや、もうそんなん役者じゃないでしょ。価値ないじゃないですか」

 

僕「ウワアアアアアアアア!!!!!」

ナイフを脇腹にグサッ!ブシュ!!血ィビャアアアアアアア!!

 

タカイさん「ぐっぐぁ…なにしてるんですか……!こんなことして…!僕に、あなたの劣等感押し付けないでくださいよ…!僕…ぐぅ……間違ったこと言ってますか…?」

 

僕「キョアアアアアアア!!!!!!」

グッサグッサグッサグッサグッサグッサ!!!!!

 

……。

 

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タカイさん、すみません……。

なんか……追い詰められすぎて殺してもうた…。すみません……。

 

僕もさすがに……殺すとは思わなかった……。

これ、やっぱり、僕、殺してしまうほど、そこに罪悪感あるんだね。タカイさんの言う「当たり前」を実行できていないことに、すごく罪悪感があって、毎日、それを見ないふりをして生きているんだわ。そうかあ。

 

ちくしょう。

 

ちょっともうこの話やめよっか。僕が全然客観的じゃない。タカイさんメッタ刺しにしてもうた。……イタチの最後っ屁みたいな過激な悪口を言ってみようかな。

 

「もしかして、アマサヒカエメの山咲くんの失踪って、今の僕と、同じだったんじゃない?」

 

とまあ、いきなり笑えないレベルのジョークプロレスをぶっこんで、次会うときにプルプル震えながら、このブログを終わります。失踪の件は全く知らないけど、アマサヒカエメさんって旗揚げHEPで700人以上動員してるんですよね。そこには「当たり前」があって、本当にいっぱいいっぱいの「当たり前」があったと思うんですよ。

 

でもさ、さっきの僕がタカイさんになり切って書いた長台詞、ある種、ほんと「当たり前」だったりするでしょう?関西小劇場の役者さん、胸が痛くなる人多いでしょう?

 

僕は、あなたたちの味方ですけど、味方だからと言って、僕たちに未来はないかもしれません。あー…。つらいつらい。みんな、チケット売ろっか。

 

さあ、頑張ろうぜ。

 

匿名劇壇の次回公演の詳細はこちら。予約、始まってます。

https://tokumeigekidan.jimdo.com/next/

 

どーしようもないお前らを、俺だけは愛してるからな。

価値なんかなくたって、俺だけは愛してるからな。

 

愛してるんだからな!!!!!

 

(了)

 

P.S.なんか、球磨川禊みてぇだな。

バズり研究の短いやつ

 お世話になっております。

 

最近、「劇場に花を送るより、多くの人間で観に来てもらった方が嬉しい」という意見があって、それに対して「花だってサイコーだろ」とかなんじゃらほいじゃら意見を見かける。このあたりの内容については、あまり興味がなかったのでスルー。

個人的には「花だって嬉しい」っていう意見はそりゃ好かれる意見だし、その意見で嫌な思いをする人なんて誰もいないから、そりゃそうだろと思った。好感を持たれる意見を言って、好感を持たれてて、ずりぃぜと思いました。

ただ、なにか、正体を見つけた気がした。バズるなり、炎上するなりの正体は、多分これだ。

 

「代表者」になること。

 

これ、僕がもっとも忌避してること。なにより気を付けていること。でも、バズったり炎上したりするのって、大抵「代表者」なんですよ。

どういうことかというと、例えばこのツイート。

 

 

これ、制作目線と書いてるけど、「役者代表」なんですよ。「この国にいるほとんどの役者代表」なんです。一連のツイートで「この国のほとんどの劇団を代表して、代弁します」的な書き方になっていたりするんです。制作者・黒田哲平さんの個人の意見に見せかけて、「代表」になっているんですよ。それが自覚的かどうかはわからないですけど。

 

だから、多くの人に伝わるんです。多くの人を巻き込めるんです。

 

ぽんと、膝を打ちました。僕は、こういうことは良くないと、できるだけ避けているんです。たまに「でも、僕多数派ですよ」と言い訳っぽく付け足すことはしちゃいますけど。できるだけ、個人の意見にしようとするし、それさえもバリアバリアでごまかします。らんまらんまで日が暮れます。これじゃ一生バズれないんだな、と。

 

昔、特定の批評家を名指し同然でディスって、70リツイートくらいでした。どんな書き方をしたのか忘れちゃいましたけど、たぶん、いち個人のいちエピソードに留めてたと思うんですよね。それをこう「批評家をあてにしてる作り手なんていない」とか、「作り手代表」な書き方をすると、もっと炎上したと思うんですよね。

(ちなみに、僕が書いたのは「あてにしてる、してない」とかいう話じゃなく、もっとほんとに個人的な小さなエピソードですけど。便宜上。)

 

もう30歳近い大人なのに、いまだに「常識」とか「当たり前」、「普通」に嚙みつくような性格だから、そういう言い方ができないっていう。僕がチンケってだけの話ですけど。

 

どっかの社長が、「私のツイートを読んでいない者は不採用です」ってツイートしてたんですよ。多分、それだけならバズらないんです。でも「常識です」って書いてるんです。急に、「世の社長代表」になるんです。だから、炎上したんです。だと思いません?

 

多分、しばいのまちのチラシのやつも、山口さんの言葉の端々に、「世の小劇場チラシ制作者代表」が見えてたんじゃないかなあ。ちょっと覚えてないですけど。でも、添削したとき、そこらへんを修正した気がする。「みんな」じゃなく、「僕」。

でも、それじゃ小さくってねえ…。

 

でも、個人の意見でも炎上することがたまにあって。

例えば、茂木さんのやつとか。

 

「日本のお笑いはオワコン」、全然意見としてありだと思うんですけどねー。

「みんなもそう思うでしょ?」が見え隠れしてたのかなぁ。

 

それとも、あまりに少数派な意見は、個人的であれ炎上するのかなあ。

 

僕がめざせるとしたらそこだけど、それはちょっと、あまりに居た堪れないぜ。

 

(了)

逆転サヨナラ満塁エラー

 青空の下、僕は小学六年生だった。

 ゲームは9回の裏。1点差で、僕たちが勝っている。この回を抑えれば勝利だが、ツーアウト満塁。ヒットは許されない。僕は、マウンドの樋口健を眺めていた。真剣な顔つきだった。キャッチャーのサインにゆっくりとうなずいて、大きく振りかぶる。渾身の力を込めて、ボールを投げた。代打の長身がバットを振る。カキーン、と気持ちの良い音が鳴って―――。

 

 少年野球において、ライトは馬鹿にされがちである。ライトは、一番ヘタクソが守るところだと思われがちである。そして事実、そうであることが多い。地域の小さな野球チームでは、所属するもの全員がレギュラーメンバーになることがほとんどだ。どうしても運動能力の高い者から順に内野を守らせることになるし、右バッターがほとんどであるからして、レフトかライトならやはりレフトを優先して守らせる。よって、ライトは一番ヘタクソが守ることが多いのである。

「えー、俺、ライトなんてヤだよ。だっせー」

と言ったのは、中田壮馬だった。前述したとおり、ライトにはネガティブなイメージがある。中田壮馬はそれを嫌ったのだろう。しかし、その言葉に監督が激怒した。壮馬の頭を強めに叩いて、叱った。監督は、怒ると怖い。怒ると怖いので、怒っていない時も怖い。

「ポジションに優劣はない。野球をなめるな」

 そう言って、僕を指さした。

「川口は、ヘタクソでも文句を言わずにひたむきに努力しているだろう。壮馬、俺はお前の技術を買っている。川口よりも、壮馬の方がうまいと思っている。しかし、そんなふうに野球をなめるやつはいらない。この試合は、川口にライトは任せる」

 壮馬は泣きじゃくりながら謝ったが、許しは貰えず、結局僕がスタメンでグラウンドに出ることになった。僕は、野球が下手だった。しかも、好きではなかった。監督は僕をひたむきに努力していると言ったが、そんな覚えはない。ただ、意志薄弱なだけだ。親から言われて始めた野球を、理由なく続けているだけだった。得意でもなく、好きでもないのに。

 実際、グラウンドに立っていても、何の感慨も湧かなかった。できるだけ、ボールが飛んでこないことを祈っていた。練習して、うまくなりたいと思ったことがないわけではない。しかし、どうにも野球のことが好きになれなかったのだ。正確に言うと、野球をプレイすることと、野球の試合を見ることが好きになれなかった。

 僕は、漫画が好きだった。

 キャプテン、ドカベン巨人の星おおきく振りかぶって、MAJORなどが好きだった。クロカンのような監督もの、タッチのような恋愛もの、グラゼニのような金銭もの、どれもこれも好きだった。好んで、野球が題材の漫画を選んでいた。同じチームのメンバーが、セリーグパリーグの話をしていても僕にはわからない。そんな実在のチームより、明訓高校や墨谷二中に興味があった。星飛雄馬三橋廉に興味があった。すべての現実の野球に興味がなく、すべての架空の野球を愛していた。

 ただし、僕は、どちらも選ばなかった。上杉達也やイガラシキャプテンのようなプレイがしたいと練習に励むわけでもなければ、茂野吾郎や黒木竜次のような熱い男を描きたいとペンを走らせるわけでもなかった。ただの、野球漫画好きだった。だけど、そんなものだろう。小学生のころから夢に向かって走っている奴なんて、稀有だろう。そんなやつがいたら、プロ野球選手や漫画家になってしまうじゃないか。僕は、―――。

 

 ボールが、降ってきた。逆光だった。言い訳になると思った。ボールは取れなかった。相手チームのランナーが二人、ホームベースを踏んだ。逆転サヨナラエラー。僕のエラーで、チームが負けた。

 特段、これは決勝戦ではない。引退試合でもない。だけど、マウンドの樋口健は歯を食いしばって僕を睨んでいた。ベンチへ戻ると、本来のスタメンだった中田壮馬も僕を睨んでいた。負けたことを、本気で悔しがっていた。

 監督から軽く慰められて、僕は家に帰った。僕は、悔しくもなんともなかった。ただ、申し訳なかった。自分の部屋で、漫画を開く。ふと、気が付いた。

「この架空の世界に、僕がいたら、どんなに場違いなんだろう」

 今頃、樋口健はシャドウピッチングをしているだろう。中田壮馬もライトに誇りを持ち、素振りをしていることだろう。僕が漫画家なら、それを描く。僕は読者で、それが見たい。そうか、と気が付いた。僕が現実の野球を好きになれないのは、僕がいるからだ。僕という余計な登場人物が、この世界の野球を退屈にしているのだ。僕が野球漫画を好きなのは、そこに僕がいないからだ。

 

 中学生になって、僕は野球をやめた。野球をやめてから、少しずつプロ野球を見るようになった。高校野球を見るようになった。面白かった。ときには、漫画よりも面白かった。現実の野球は、こんなに面白かったのかと気が付いた。

 

 僕さえ、関わらなければ。

 

 

END

 

 

 ……。

 

 ……ふーん。

 ……へー。

 

 …………………………。

 

 ……なんだよ、それ。

 

 僕はバットを握って、庭に出て、素振りを始めて、それからはまた別のお話。

 それからが、僕の野球のお話。

 

(了)