プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

はじめしゃちょー、木下ゆうか、youtuberの生き様

お世話になっております。大阪で劇団をやってます。

 

はじめしゃちょー、浮気疑惑(というより暴露)の件について。

昨年は、芸能人の浮気がワイドショーを賑わせました。と、youtuberも御多分に漏れず、youtube内でワイドショーの役割を担っている人たちとその視聴者が賑わっています。はじめしゃちょーといえば、日本一のyoutuber。そりゃ、話題性抜群です。しかもお相手がこれまた「木下ゆうか」というyoutube内では名の知れた大食いパフォーマー

 

お二人が交際関係にあったというだけでもニュースなのに、よりによって「みずにゃん」という“まともな神経をしていたらある程度距離を取っておく系配信者(褒めてます)”に木下ゆうかが電凸をし、洗いざらい話してしまうという大事態に。この「みずにゃん」という男、他人の揚げ足取りを面白がる炎上系配信者なのだが、ラサール高校出身。頭が良くて性格が悪いやつという、一番気を付けなきゃいけないタイプの男だ。

 

そもそも、みずにゃんははじめしゃちょーの「れいな」と「あおい」という女性との二股疑惑について取材配信をしていたのだ。それを見た木下ゆうかが電凸をしてしまうという、なんとも恐ろしい泥仕合。はじめしゃちょーとしてはコリャタマラン状態である。

想像すると、ちょっと笑える。さすがに焦る展開だ。

 

木下ゆうかは泣き声であった。表に立つ仕事をしている中、諸々の手続きを取らずにこういった行動をとってしまうあたりは軽率も軽率だが、そこはyoutuber。こういったことが可能だからこそ、身軽で新しい職業なのだ。本来、しがらみから解き放たれ、伸び伸びとできる場所がここだったはず。大手事務所やタレントイメージに縛られないことが、youtubeの良さだったはず。彼女もはじめしゃちょーもUUUMという最大手の事務所所属だが、基本的には「んなこたカンケーねー!」をしてもかまわないと思う。

もちろん、企業の広告塔なんてことしていると、そういうわけにもいかないが。もともとは、「そういうコトに縛られないところが、良さ」だったんだから、立ち返ればいいだけだ。軽率は軽率だとしたうえで、木下ゆうかを擁護はしたい。むしろ、こうした発言が可能なこの健全空間を守っていきたい。実際、ジャパンのyoutubeはどんどん不健全な方向へ進んでしまっているのだ。「そういうこと、ネットで軽率に言うなよ!」という意見は、圧力をかける流れに拍車をかける恐れがある。

ここは「いいよ、その軽率!ナイス軽率!」と歓迎しておきたい。

「30歳を超えた女性が恋愛沙汰をネットで~」というような意見もあったが、それはもううるせぇよでいいだろう。誰なんだお前は。幼さジャッジマンか。

 

ところが、はじめしゃちょーはきっとそうはいかない。なんていったって日本一のyoutuber。色んな広告を背負っている。そういう活動の仕方を選んでしまったのだから、仕方がない。きっと謝るんだろうな。

でも、さっき言ったように、いつでも「んなこたカンケーねー!」をしてもかまわないと思う。むしろ、そうしてほしい。浮気をした分際で、謝罪したり、説明したり、そんなのはもうたくさんだ。浮気をする分際なのだから、「らしく」生きればいいのだ。

それができる場所なんだから。

 

##

 

と、ここまで書いていたが、先日はじめしゃちょーが謝罪動画をアップした。

人気者である彼を擁護する声は、すでに多数上がっている。そりゃそうだろう。人気者なんだから。しかし、欺瞞の道を選んだか。好きなことで生きていけばいいのに、そうもいかないYoutubeジャパンは気持ち悪いねェ。木下ゆうかも、気持ちよく生きればいいのに。

 

「恋愛なんて当人同士の問題。他人が口をはさむことではない」という正論も見かけた。

 

この正論、僕は少し思うところがある。

基本的に、すべての問題は他人が口をはさむことではない。色んな犯罪だって、結局は当人同士の問題だ。当人じゃ解決できないから、代理として国が罰しているだけに過ぎない。この世に巻き起こるすべては「当人同士」の問題で、他人が口をはさむことではない。だけどそうはなっていない。他人が口をはさみまくりだ。

それは少し角度をかえて考えると、こんなことだって言えるからだと思う。

「はじめしゃちょーの浮気を知って、不快な気持ちになった私」と「はじめしゃちょー」だって、十分当人同士でしょ、という理屈だ。「誠実を売りにしていたあなたを信用していた私」と「実は誠実ではなかったあなた」は、当人同士だ。むしろ、そこに口をはさんで「あなたは関係ないでしょ!」という輩こそ、関係がないとさえ言える。「これは、私とはじめしゃちょーの問題です!口をはさまないでください!」ってね。

もちろん、極論だけど。あぶねぇオタクの理論だけども。筋は通っている。

 

こういう話のとき、「あなたに何か迷惑かけましたか?」的な正論もまかり通っていて、不愉快なんだよね。それこそ、「僕が、ベッキーと川谷のことを騒ぎ立てて、あなたに迷惑をかけましたか?」と言いたい。「不快です」とでも言われりゃこっちのもん、「僕も不快だから、こうしています」ってね。

いや、まあ個人的には恋愛沙汰には興味がない方だけど…。

 

なんかこう、「他人の恋愛事情に~」論者が、やけに正義面かましてて、いらつくだけなんだけど。逆に「不貞行為だ!ゲスだ!」と正義面かましてるやつも嫌いなんだけど、こっちはわりと少なくて。実は、善も悪も綯い交ぜに騒いでる人がほとんどだから。綯い交ぜ遊びをしているところに、正義面がくると白けるんだよね。

浮気を叩く正義もあれば、無関係なやつは黙ってろという正義もあるんだよ。だから、そんなことどうでもよくて。どーせ、酒の肴にする程度のことなんだから。

うーん、話がそれたね。正義面がむかつくという話でした。

 

## 

 

PDSくんのスキャンダルも懐かしいし、マホトくんももろもろも懐かしいけど、今回のこのスキャンダルは、転換点になってしまうんじゃないかなァ。

ジャパンナンバーワンのはじめしゃちょーは、アイドルの道を選んだ。未来があるかどうかは知らないけど。タレントの道と言ってもいいかな。テレビタレントの道。

PDSくんもマホトくんも同じ。

 

奇しくも、最近ヒカキンくんはこんな動画をアップしていた。

www.youtube.com

 

ヒカキンくん、まさに面白いところで立ち止まってくれている。

 

例えば、PDRさんやシバターさんは、タレントじゃない。タレントの道を拒絶したものだ。彼らは、完全にYoutuberとしての生き方を驀進している。こっちも、未来があるかどうかは知らないけど、前例がないだけワクワクする。はじめしゃちょーのコースはテレビのタレントコースなので、大体知ってる人になるコースでしょ。それはもう知ってる。あの有名な、キラキラした人になるだけでしょ。上地雄輔さん的な。

 

もし、はじめしゃちょーが、youtuber、動画クリエイター、配信者、なんでもいいけど「タレント、アイドル」を拒絶していれば、謝る必要などなかったはずだ。いや、まあ、謝るだろうけど、もっと気楽に話せたはずだ。

 

「あのー、ほんとすみません。ちょっと、調子に乗った部分が、あったかもしれません。っていうか、調子に乗ってました。ちゃんと、その、関係してる人には謝って、いやもう謝って済むことじゃないかもしんないんですけど、あの、ごめんなさいとお伝えして。」

 

で、良いはずだ。

なぜそうしなかったか。なぜ台本の台詞をなぞったか。なぜ会見の真似事のような動画を作ったか。テレビでもないのに、テレビみたいに。一台のカメラで、ひとりきりなのに。大仰に、それっぽく。これは、彼が「そういう道」を選んだということなんですよね。

 

…こういうのほんと俺に台本書かせてくんねーかな…。定型文じゃなく、話し言葉の謝罪のほうが絶対に効果的ですよ。演技指導もするし。それこそ三宅洋平みてーなキャッチーで砕けた演説とか、俺のお家芸っすよ。くだけ謝罪文ジョブ、待ってます。

 

んで。

これは好みの話。僕は、そんなyoutubeは退屈なので、ぜひやめていただきたい。はじめしゃちょーが牛耳る方向性のyoutubeは、ちょっと退屈だ。

 

さあ、どうなる、youtuber?

 

群れるなよ…楽しんでるんだからな…!

 

(了)

 

p.s.ちなみに、僕はクソみたいな人生を送っています。

恋なら盲目、愛なら中毒。

恋なら盲目、愛なら中毒。

 

 有料のアダルトライブチャットで見つけたパラちゃんは、中原唯奈にそっくりだった。顔や髪形や話し方、さらには目元のほくろまで、中原唯奈にそっくりだった。視聴者に煽られて、上半身を露わにするパラちゃん。乳房もそっくり、と言いたいところだったけれど、初めて見たのでそれは知らない。それに、こんなふうに煽情的でいやらしい表情をする中原唯奈も、僕は知らなかった。ポイントが無くなってきたので、すぐに追加した。

 可愛いね、というコメントが流れる。彼女はそれを読み上げて、ありがとうと言った。パラちゃんはずいぶん慣れた様子で、五百人余りの視聴者をあしらっていた。「オナニーしないの?」「よだれ垂らして」などの下卑た注文に微笑みで返し、「千人いったらオナニーするからね。みんな、それまでイっちゃダメだよ」と言った。ライブチャットの収入は、どれだけ視聴者がポイントを消費するかで決まる。彼女は、ここでのビジネスを心得ているようだった。彼女の意のままに、一分で約五十円が消費されていった。

 僕は、興奮していた。以前から密かに中原唯奈に想いを寄せていたからか、パラちゃんがいやらしいからかはわからない。これは、中原唯奈本人なのだろうか。それとも、似ている別の人物なのだろうか。興奮している自分に戸惑っているように、股間は微妙な反応を示していた。鼻息は荒く、体温も上昇しているが、股間だけが反応を迷っていた。

 僕は、中原唯奈にラインを送ることにした。数十秒後、パラちゃんはスマートフォンを手に取って、ソファーに投げ捨てた。……この時間のずれは、ライブ配信のタイムラグなのだろうか。それとも、今パラちゃんが受信した「なにか」は、僕の送ったメッセージとは違うものだったのだろうか。ラインには既読がついているし、パラちゃんのスマートフォンカバーは、中原唯奈のそれと同じものだったけれど。彼女はどこからどう見ても、中原唯奈そのものだけれども。そしてきっと、事実、中原唯奈なのだろうけれど。

「それじゃ、千人いったから、オナニーするね」

 パラちゃんはそういって、下着の上から股間に手をあてがった。パラちゃんの指が艶めかしく動き出す。僕の股間は、なおも反応に迷っていた。中原唯奈だったら勃起するのか、パラちゃんだったら勃起するのか、それさえもわからない。僕はいま、何を求めているのだろう。僕は、この子がどっちだったらいいんだろう。この子がどっちであることを、僕は望んでいるのだろう。「今日は電マも用意してるんだよ」と、パラちゃんは言った。コメントが盛り上がる。電マの使用を囃し立てる。「でも、電マ、すぐイっちゃうからなァ」と、パラちゃんは笑った。そして股間に電マをあてがい、宣言通りすぐに嬌声をあげ、身体を痙攣させた。同時に果てた男が大勢いたらしく、「出た」などのコメントが流れ出す。そして、視聴者数も一気に減った。現金なものである。

「出ちゃった?でも、まだ出るよね?うふふ」

 彼女はすぐにフォローした。これで、何人かの男は視聴を続けることだろう。

 彼女は、実に魅力的だった。いやらしさだけでなく、気配りがあった。ライブチャットを覗いている男たちを蔑むような言動は一度もしない。むしろ、しきりに感謝を口にしていた。「見てくれてありがとう」と、笑顔を絶やさなかった。そしてなにより、彼女自身が望んで、楽しんでこの配信を行っているということが、画面からありありと伝わってきた。もしかすると、違うのかもしれない。だけど、そう思わせることに見事に成功していた。例え、「本当はこんなことしたくないけど、お金のためにやっている」のだとしても、パラちゃんは微塵もそんな気配を出さなかった。ただひたすら、えっちで、いやらしくて。

 

 だからこそ。

 中原唯奈はそうではない。中原唯奈は、辛いはずだ。中原唯奈は、望んでこんなことをするような女の子ではない。もしかすると、誰かに脅されているのかもしれない。あるいは、何か心の病を抱えていて、承認欲求が高まって依存症のような状態になっているのかもしれない。ただ、お金に困っているのかもしれない。

 だったら、中原唯奈を救えるのは、僕だけだ。

 

 極太バイブでパラちゃんが昇天するのと同時に、僕も無理やり精液を出した。勃起も曖昧なまま、搾り取るように出した。これで僕に残っているのは、純粋な愛だけだ。ちくしょう、憎きパラちゃんめ。中原唯奈にとり憑きやがって。

 

 唯奈ちゃん、今、助けに行くからねっ!

 

 家を飛び出して中原唯奈の元へ走っていくさなか、僕はなぜか、ファンがアイドルを殺した事件のことを思い出した。全く関係がないのに、不思議だなぁ。

 

(了)

「ゆっちーを捨てにいく」感想

お世話になっております。

 

がっかりアバター「ゆっちーを捨てにいく」を観ました。とても面白かったので、感想という訳でもないが、感じた想いを綴っておこうと思う。がっかりアバターが自分にハマったとき、「わかるわかる、全部わかる」状態になる。これを僕はIQマックス状態と呼んでいるが、そこに連れて行ってもらえたのは「啓蒙の最果て、」という作品のみだった。

 

実は、そのほかのがっかりアバターの作品は、「アンディさん、やっちゃいましたね」と言って帰っていることがほとんどだったりする。初体験はスペースドラマの「あくまのとなり。」で、これはある一定のレベルで評価したけど、分析を超える感動みたいなものはなかった。というより、そんな経験ほとんどしない。稀なことに自分もクリエイターであることを忘れて、「IQマックスや…」と言わせてくれたのが、「啓蒙の最果て、」だったのである。

それ以外はほとんど「アンディさん、やっちゃいましたね」と言って帰っている。

この町バスも、キングオブシアターも、僕には良くわからなくって。

 

「啓蒙の最果て、」はすごかったのである。もしかすると、僕の観た回だけで、僕だけが感じた気持ちなのかもしれない。だけど、あの劇で「なんでこの子が泣いているのかわかる」「なんでこの子の目線が今あっちに向いたのかわかる」「こいつらの過去が全部わかる」「わかるわかるわかるわかるわかる」となった体験は、本当に刺激的だった。

……ちょっと過去を美化&戯画化しすぎているかもしれないが。

 

さて、「ゆっちーを捨てにいく」。

そんなふうに、僕はがっかりアバターの評価がグラグラだったので、今回はどっちだろうなとワクワクしながら劇場に行った。結果、がっかりアバターの面白い方のやつだった。なんども泣きそうになった。ちょっと泣いた。

もう、わりと序盤でこっちはIQマックスになっていたから、一場というか、最初のシーンが終わった時点でちょっと泣きそうだった。ちょっと泣いた。わかる、と思って。緑のもじゃもじゃのが出てきたときも、出てきた時点でちょっと泣きそうだった。わかる、と思って。

この緑のもじゃもじゃのこと、俺知ってる、と思って。キングオブシアターのときはよくわからなかった。でも今回は、こいつのこと全部わかった。

 

ゆっちーは、イマジナリーフレンドなんですよ。

がっかりアバターがハマったとき、完全に自分の個人的な体験とリンクさせて「わかるわかるわかるわかるわかる」モードに入るんです。あのね、僕もゆっちーを捨てにいったことあるんですよ。そうしないと、親が殺されるかもしないから、ゆっちーを捨てにいったことがあるんです。捨てにいった森で、歌って踊ったこともあるんですよ、僕。

僕もう、全部わかる。こいつらの体験全部わかるんです。

 

「わかるわかるじゃなくて、何がどうわかったのか説明してください」

そういわれても、困る。説明なんてできない。アンディさんの比喩表現に乗って、「ほら、ゆっちーを捨てにいったことあったやん!」としか言えない。僕はあの時間を経たことがある。森に行く途中でラーメン屋に寄ったことがある。そこで、ほんの少しだけ、心の準備をしたことがある。

 

端的に言えば、少女版ファイト・クラブだと思って観ていました。

まあでもそんなことはどうでもいい!ゆっちーは、俺のゆっちーだから!俺自体が「ゆっちーを捨てにいく」だから。俺自体が全部あの話。

 

広瀬さんはお上手だけど、やっぱり時間がなかったので、器用さばかりが目立っていた。それで十分だけど、不器用でいいから夢子さんもまた観たい。

長谷川さんは目を隠してたせいで、面白さが100倍になっていた。長谷川さんは目を隠すとあんなに面白くなるのか。すごくシンプルでよかった。長谷川さんは一生仮面をつけておいたほうがいいかもしれない。

 

とっても面白かったです。マル!

 

(了)

シンポジウムに向けて一人ブレスト

お世話になっております。

 

今度、ウイングフィールド25周年特別企画シンポジウムに出演します。

 

http://www.wing-f.co.jp/plan.html

 

こんなチンピラでもシンポジウムに出られるとは。チンピラがシンポジウムで何を語ると言うのか。ああ、不安である。空飛ぶ観劇部で管を巻いていたい。

「あいつらはシンポジウムだ社会活動だ、いちいちエラそうで気に食わねェ。おーい、姉ちゃん、ついでくれ。いいかァ、俺たちゃ所詮河原乞食だ。御上さんをどうこうしようだなんて考えちゃあ、お仕舞ェよ。チッ、いいじゃねえか、ケツくれェ!どいつもこいつもお高くとまりやがって!チクショウ、おい、店替えるゾ!」

僕はどちらかというと、そんなタイプのチンピラだ。わりとインテリぶった言葉遣いもするし、醸し出す雰囲気でカシコ側を装ったりもするが、心は基本チンピラが支配している。

 

このあいだ後輩に「福谷さん、そろそろ痩せないんですか?」と聞かれたとき、「でも、俺いまウェイトあるから、そこらのギャル男やったら体当たりで飛ばせるで?」みたいなことを言ってしまった。なんだそれ、と自分でも思ったが、長らく痩せっぽっちでヒョロガリだったことのコンプレックスの反動もあるんだろう。なかなか、ね。

思うようにはいかないものだ。

 

さて。

今日はちょっと、準備をしておこうかなと。シンポジウムに向けて、チンピラ思想を調整しておこうかな、と。あまり突き詰めすぎても、当日ごりごりに固まった思想を持って挑んでしまう老害くんになってしまうので、ある程度ふにゃふにゃしたところで思考停止はしておこうとは思うが。チンピラ過ぎない、いいバランスを見つけておきたい。

 

お題は「現代演劇は衰弱に向かっているのか?」。このタイトルで何度かシンポジウムが開かれていたみたい。最初は、1992年3月ウイングフィールドオープン記念トークバトル。故・中島陸郎さんが命名したタイトルだそうだ。正直92年からこのお題があったと思うとゾッとする。しかし、「現代演劇は衰弱に向かっているのか?」と言いつつも、少なくともしぶとく2017年ここに演劇もウイングフィールドもあるので、すでに十分タフじゃねーかって感じもするが。閉店セール詐欺か、おい。

 

まず今日、準備しておきたいのは、スタート地点。僕は大体こういうとき、「衰弱したとして何がいけないのか?」という側に回りがちだ。もちろん、それがいい働きをする議論もあるけれど、基本的には「衰弱させたくない」には立ちたい。僕のチンピラたる所以のひとつだが、とにかく当事者になりたがらないのだ。外野にいたがる。

もし僕が演劇と関係ない外野なら、衰弱しようが全く構わない、と考えてしまう。

 

例えば、そうだな。シンポジウムに参加している状態で、賢そうなフリをしてフラットな意見を言うとしたら、最初はこう言うかもしれない。

 

「例えば、TPPに参加することで、価格の高い日本の農産物が売れなくなって、日本の農業が衰退するとする。僕はこれを、かまわないと思っています。輸入品の、多少質が悪くても価格の安い品が広く流通する。その結果として、最終的に日本の農業が完全に無くなったしまったとしても、仕方のないことだと思います。」

 

んで、これが本当にTPPの話なら食料自給率どうのこうの、海外に胃袋握られてどうのこうの、ICT農業にもっと予算をどうのこうの、あると思うんですけど。

演劇の話だとして、現代演劇が衰弱してるとして。でもテレビって、視聴率下がってるじゃないですか。30%超えることなんて、稀ですよね。任天堂のゲーム機も、全然売れなくなってきてますよね。僕、これって、テレビ番組が昔より面白くなくなったせいではないと思うんですよ。ゲームが面白くなくなったからじゃないと思うんですよね。まぁ、そのへんの理由はマーケットの人がそれぞれ考えるとして。

 

別に、テレビが衰弱しても、ゲームが衰弱しても、かまわないじゃないですか。僕ら。もし完全に息絶えて根絶されるなら嫌ですけど。全然、かまわないんですよね。その衰弱。というより、その衰弱って、どうしようもないことだと僕は思っていて。

 

例えばスポーツ。マイナースポーツ、メジャースポーツありますけど、それの人気不人気って、選手の実力や監督の采配でどうにかなるものですかね。たぶん、ならないと思うんですよね。運だと思うんですよね。時代の。どうにもならない時代の運なので、選手や監督としては、「いいプレイをして業界を盛り上げたいです!」しか言えないじゃないですか。あんまり意味のない、そういう台詞を。でも、それしか言えなくないですかね。例えばフィギュアがいつの間に国民的スポーツになったのか。これってフィギュアの選手の力ですかね。もちろん、選手の技術は優秀でしょう。誰に聞いていいかわからないですけど。あと、決してフィギュアの選手をディスっているわけではないですけど。

優秀になるには練習が必要で、練習には環境が必要ですよね。例えばフィギュアはイナバウアー以降盛り上がった印象だけど、その前、そんな選手を輩出する前提は、いつの間にか整えられていたんだね。

 

あ、待てよ。

話がぐちゃぐちゃして申し訳ないが、まずは衰弱の定義を決めた方がいいな。作品のクオリティとしての衰弱なのか、市場としての衰弱なのか。作品のクオリティとしての衰弱は、まあ例年岸田國士戯曲賞も出てて、受賞作無しになっていないんだから、衰弱はしてないんじゃないかな。ま、いずれにせよここは基準があいまいなので議論できないか。

市場としての衰弱も微妙だな。これって、すごく経済の話だし。今、日本の娯楽マーケット自体がしぼんでるってこともあるかもしれないし。ジャンプの発行部数ってどうなってんの。映画館の動員ってどうなってんの。そういうのが一律に下がってたら、単に演劇も同様に下がっていて、大変な時代だねって話だし。

 

んー、あー、なんだか色んな考えが走馬灯のように駆け巡ってまとまらない。死ぬのかな、俺。ま、いいや。どうせブログだから垂れ流しておこう。

 

まずひとりのクリエイターとしては「現代演劇は衰弱に向かっているのか?」に対してはこう答えよう。「知らん。俺は衰弱していない。他の人が衰弱していてもそれは関係ない。劇場が全部つぶれても、どっかでやる。お金目的なら違う商売する。路上演劇が禁止されたら家でやる。演劇が禁止されたら、闇演劇をする。衰弱とかは知らん。俺は衰弱していない」、だな。これ以上、喋ることがない。演劇界の衰弱云々に、「作品のクリエイター」としては興味がない。与えられた条件で表現を続けるだけだ。

 

ボブディランのスピーチを引用するね。

 

彼が『ハムレット』を書いている時、彼はいろんなことを考えていたと私は確信しています。『この役に合う役者は誰だろう?』、『これはどうやってステージにすべきか?』、『デンマークを舞台にしたいのか?』など。彼のクリエイティヴなヴィジョンや野望は、間違いなく彼の念頭にあったものでしょう。でも、考えたり、対処しなければならない世俗的な事柄もあったと思うのです。『資金の手当ては大丈夫なのか?』とか、『自分のパトロンにちゃんとした席はあるのか?』とか、『骸骨はどこで手に入るのか?』とか、そういうものです。『これが文学か?』という問いは彼の意識のなかで最も遠いところにあったと私は思っています。

 

もしかすると、この考えの延長線上に、「この作品を成功させるために、演劇界そのものが活気を持つことは必要だ」ということはあるかもしれない。あるかもしれないが、その前に考えることが膨大だぜ?「これが文学か?」並に、後回しでいいような気もする。

 

これってやっぱ、どっちかっていうとクリエイター以外の誰かが考えることだと思うんだけどなぁ。クリエイターがパンクしちゃうよ。「これは文学か?」の問いにも似てる気がする。「演劇は必要か?」とか、そりゃまあ考えるけど、ねェ。

じゃあ誰が考えるのかって、それはもう、「他の人」ですよ。「俺以外のみんな」です。そう思っちゃいます。んで、その結果「必要じゃない」なら、そうですか、です。「文学じゃない」なら、そうですか、です。

 

……まずいな。やっぱり、「衰弱するべきではない」の立場に立てない……。

 

よし、身近なところから攻めよう。

「演劇界」と漠然ととらえるからダメなんだ。

 

例えば、嫌なこと。

・稽古場がなくなる

・賞レースがなくなる

・劇場が少なくなって高くなる

・お客さんが減る

 

嫌だ。……でも、やっぱ、個人レベルで、嫌だ。

社会の問題を考えるとき、僕個人のこととかどうでもよくて。稽古場がなくなっても賞レースがなくなっても劇場が少なくなっても、「困らない」人が多い限り、それで何の問題もないと思ってしまう。わざわざ、それに反発しようとは思わない…。

いや、反発はするか。そりゃするか。

 

なんでだ?

作品を見てもらいたいからか。

ここに何かある気がするぞ。

 

なんで反発しないんだ、僕は。

 

おいおい……もしや……、

「俺様の演劇を観て、つまらないと思って、演劇界がしぼむのはかまわない。しかし、他人のつまらない作品を見て、演劇界がしぼむことは許さない」

という、てめえ勝手な何かが根底にあるんじゃねえだろうな…。

 

……疲れた。

 

続きはまた考えます。

 

(了)

鈴木先生、感想

お世話になっております。

 

漫画「鈴木先生」を最近読みました。抜群に面白かったです。

つい先日、

tokumeigekidan.hatenablog.com

という記事を書いたばっかりで。書いた後に一気読みしたわけだけど、自分の考え方に通じることがたくさんありました。鈴木先生的価値観は、非常に僕を勇気づけてくれるものでありました。鈴木先生は自問自答系キャラではあるものの、大胆。「女子児童を性的な目で見てしまう」という、おいおいそれ大丈夫かよっていうヘビーな悩みをかなり序盤で持ってくる。でも、だからこそ信頼できた。この作者は絶対に欺瞞を描かないぞと、キャラを超えて作家への信頼もできました。

 

欺瞞がないのに外連味があって、表現が過激なのも良い。表現に誇張があるのに、展開に誇張がないのが良い。キャラがショックを受けたときの表情など、ほとんどホラーのレベルで怖い。鈴木先生も、考え過ぎで怖い。だけどそれが、嘘じゃない。ほんと、「漫画」がうめぇんだ、この作者。器用な絵に騙されて、強引な展開に巻き込まれることは一切ない。むしろ、強い絵や強い言葉に騙されて気づかないうちに、とても繊細なところが静かに悪化していく。最高なのだ。

 

2巻まで読んだ段階で、「正しさ」とか「正論」の基盤はぐらぐらだった。この漫画は、安易な結論を許さない。「正しさ」を簡単に決定しない。だからこそ、教育の地平線が見えて、大興奮した。一体この漫画はどうなってしまうんだろうと、ワクワクした。彼方へ、彼方へと舵を切り、来たる鈴木裁判での世界の広がりっぷりは半端ではなかった。本当の意味で、「この中学生の子たちには、無限の可能性が秘められている」と思えた。金八先生が言ったなら鼻白んで終わりだが、鈴木先生の教室では違う。「無限の可能性」という言葉もまた、プラスだけではなくマイナスの場合もあることを、表裏一体で考えることができるのだ。鈴木裁判が終わるころ、生徒の成長を目の当たりにした。

 

終盤では演劇の話になる。文化祭での劇づくりを通して、中学生たちにさまざまな教育を施していく。しかもこれがまた、これまであった数々の事件の解決が、複合的に意味を為していくんだな。鈴木先生の教育が、有機的に働き出してシビれるんだよ。生徒が生きていることを実感するんだ。学校には、確実に意味がある。

そして鈴木先生の「これからも教師を演じ続ける」という決意のラストが、胸に沁みる。「演じる」なんて言われると聞こえが悪いかもしれないが、「それがどういう意味を持っていて、我々はどう受け止めればいいのか」を、鈴木先生は11巻かけて、すでに僕たちを教育してくれている。読み終わった後、「教師を〈演じる〉たァどういうことだ!」なんて考えは微塵も湧き起らない。あるいは湧き起ってわめきたてたとしても、あのクラスの面々が冷静に相談に乗ってくれることだろう。

 

とっくに評価されている漫画で今更だが、読んでよかった。

全11巻、おすすめです。

 

(了)

ダイバーシティで生きていく

お世話になっております。

 

「私にとっての常識と、あなたにとっての常識は違います。」

 

というのが僕の「常識」なのですが、これもなかなか通らない。この考え方もまた、「常識はずれ」になってしまうことだって、ままある。でもまあ、基本的には古い考え方だと断罪しちゃって構わないかな、とも思っている。多少の矛盾は棚に上げちゃって、「“常識”なんて言葉を、妙な確信を持って振りかざさないのが常識」と言っちゃっていいんじゃないかな。

 

そこはもうある程度の無茶がないと、いつまでたっても「常識」がうるさい。

 

例えば、僕らの世代ってもうかなり教育が行き届いているから、障がい者に対する感覚とか同性愛者に対する感覚とか、かなりフラットじゃないですか。同じ教室で学んで、しかもこう、特別視するっていう感覚を育むわけじゃなくて。単純に「補聴器つけてるあいつには、大きな声やジェスチャーで話そう」っていうのとまったく同様に、「あいつはケンカっ早いから気を遣おう」とか「この子は無口だから無理に言葉を要求しないでおこう」っていうのがあってさ。要するに、「特別視することの特別じゃなさ」を認識するというか。ダイバーシティがハナから前提の世界観で教育されたから。差別するっていう感覚じゃなくて、そもそも論としての多様性の理解をちゃんと育んでもらえた。「みんなちがって、みんないい」とか「もともと特別なオンリーワン」とかのブームも大きいのかもね。

 

多分、僕の通ってた小学校の教育、優秀だったんだと思う。高学年の時に担任になってくれた人は、なかなかの頑固おやじで、視野がガチガチに固まっている人で。「人によって態度を変えるな!」を平気で言ってしまう人だったけど、そこですでに「(人によって態度を変えない世界は、多分速攻滅びると思うけどなァ)」って思えるくらい、まあ小学生にしてはなかなかグローバルな考え方ができるようにはなっていた。

「価値観の違い」なんて言葉は知らなかったと思うけど、「価値観」っていうのは基本的に人によってズレまくっていて、僕の宝物は彼にとってゴミで、彼の大切な人を僕は何とも思わない、それって「常識」だよね?っていう「常識」の中で生きていた。

 

(……もはや常識という言葉をほぼ使えない状態に、自分で自分を追い込んでしまったけど、致し方ない。便宜上、使うしかない。)

 

でも、古い人たちと話すと、ときどきギョッとするくらいガチガチの考え方してる人いるでしょう。しかもそれを、「常識」とか「普通」って断言しちゃう危うさも平気で保ったまま。なんかこう、「共通理念」とか、そういうものの存在も疑ってたりしないでしょう。法律も憲法も、まず「そもそも論」でひっくり返した考え方が完全にできなくなっちゃっているでしょう。

 

あー……待てよ、でもそれでいうと、僕もかなりの革新派だからなァ…。

僕はもう「真理などない」っていう哲学がゴリゴリに固まっているから、「正しさ」というものを微塵も信じていなくて、拠り所ゼロで全然平気っていう特殊な考えがあるからなァ。「時と場合による」っていう言葉を、非常に暴力的に使うし。「人それぞれじゃない?」という、すべての話を終わらせるグングニールもばんばんぶっ刺すし。

 

……ダメだなこれ。

常識を否定する材料に常識を使っちゃってて、僕が高性能AIなら自己矛盾でオーバーヒート起こしてしまう状態になってるや。幸い人間なので、そのへんはうまいことチャラにできる低スペックで明日も生きていけるけど。

 

たぶん、僕みたいなやつらが集まって法律作ったら、たぶん一年ごとに増えたり減ったり変わったりして大変だろうな。そこはやっぱり、ゴリゴリに固まった頑固おやじ達に文句言ってる程度がちょうどいいんだろうね。

 

なんか、これを書くきっかけになった「常識を突き付けられてイラっとしたこと」があったと思うんだけど、忘れちゃったし。

 

まあもうこういうのは大体が「飲み屋で酒を注ぐくだりマジで無くなれ」に集約されるんですよ。僕の悪い癖で妙に話を拡大したけど、何が言いたいかってどうせそんな些細なことなんですよ。お酒を注がないくらいで怒られる世界、終われって話なんですよ。めっちゃささやかな願いじゃないですか。なんで叶わないんですか、神様。

 

……いや、だから、これも自己矛盾してるな。

「お酒を注ぐのが当たり前」vs「お酒を注ぐのが当たり前、じゃないのが当たり前」になっていて、結局僕も「僕の当たり前を受け入れてよ!!」って言ってるだけに過ぎないもんね。

 

……だってよー!!

注ぎたくねーんだもん!!知らねーし、てめーが飲みたいかどうかなんて!!

「注いでくれ」って言われりゃ注ぐぜ?もちろん。でも、「なんで注がねぇの?」って言われると、もうカチンだよ。知らねーよ!飲みたかったのかよ!

 

「〇〇してくれ」って言われりゃするぜ?尊敬する人だしよォ。喜んでやるよ。

でもよォ、「やるのが常識だろ?」とか「言われずにやれよ」とかは、もうなァ、知らねーよ!!知らねェ、知らねェ、知らねェ!!!

 

知らねェ!!!!!

 

うわああああああああああ!!!!!

 

……でも、それはそれとして「特別扱い」するのである。その他の色々なものと同じように、「特別扱い」するのである。そして、こんな私だって、腫れ物に触るように「特別扱い」されるのである。

 

ったく。

 

ご機嫌だぜ。

 

(了)

「僕のヘビ母さん」は早めの予約がオススメです

お世話になっております。

 

突劇金魚「僕のヘビ母さん」に出演します。

kinnngyo.com

 

アトリエ公演なので、席数が限られています。たぶん、都合のいい時間は埋まりやすいと思うので、早めの予約をオススメします。劇団員も、観に来てね。

大熊さんが骨折したことで有名な壱劇屋の西分さんが、「この組み合わせを見れば全キャスト制覇できる表」を作ってくれていました。それがどこにあるかはちょっと分かりません。西分さんのツイッターなどを探せば見つかると思います。ぶんぶん。

 

稽古が少なめなので、かなり自主性に委ねられています。こういうことはあまり経験がないので、必要以上におっかなびっくりです。でも、稽古が少ないとわかっていたのに、一回目の稽古に台詞を覚えていかなかった僕は、やっぱり図太くて大丈夫だなと。ネガティブなんだかポジティブなんだか。放置プレイを受けている間、口の中でコロコロ台詞を転がしていると、いい気分になってきました。「こんな言い方もありだな」「ここで間をとってもいいね」なんてことをたっぷり考えています。

 

そして、こんなふうに考えてから、稽古に行くのが怖くってねェ。

そもそも稽古とはそういうものなのかもしれないが、ほら、身内だけでやってると、どうしても「そこは稽古場でやろう」としてしまうんだよねェ。「稽古場で考えりゃいいや」とかね。本当は、「稽古のための稽古」って必要なんだねェ。

 

でも、こういうふうに口の中で台詞をコロコロするのは楽しいね。壁ノ花団の作品でも、こんな時間を過ごしたな。ほら、iakuなんかはやっぱり会話が主体なので、「あとは稽古場でやりゃいいや」なんてすぐ思っちゃうのよね。ダメなんだろうけど、ついつい。中途半端なプランより、完全なるノープランのほうがいいっていう僕の哲学もあるのかな。

 

とはいえ、突劇金魚の最初の稽古は「とりあえずなんやわからんからノープランで行ったれィ!」の精神で突っ込んで、痛い目を見ました。ちなみにエダニクのときも「行ったれィ!」で突っ込んで、痛い目を見ました。なんなんだろうね。

 

(痛い目とは?……読み合わせの際、あまりの棒読みっぷりに「福谷君はあれやね。まだ全然台本を読んでないんやね」と上田一軒さんに言われてしまうこと。また、「いいと思うよ。その何も入れずに読む感じ」とサリngさんに言われてしまうこと。)

 

怖がりなんだな。

準備して、失敗するのが怖いから。

 

作品と向き合って答えを出すのは怖いけど。

「……こんなんどうっすかねェ…?……てへっ…てへへっ…」って、持っていかなくちゃな。そりゃやっぱり、役者の仕事だ。

 

恥ずかしいよなァ。芝居って。

照れちゃうよ。

 

でも、照れてるやつが照れ隠したモノがちらっと顔を覗かせたとき、すげーときめくし、キラキラするでしょ?

これ僕、作劇の上でも人生の上でも、作為的にやってます。てへぺろ

 

ただなァ…これも加齢とともに使えなくなって言っちゃててねェ…。参ったよ、おじさんは。20代前半の頃はこれが抜群の処世術として機能してたんだけど、最近どうにも。

あれなんだなァ…。おじさんのてへぺろって……「無い」んだなァ……。

 

僕からてへぺろ芸奪ったら、マジで彼女できないですよ……。

こっちは、てへぺろ芸だけで女の子の心掴んできたんですから。(ドン)

 

そんで大体「こいつ、てへぺろがうまいだけで、そこまで大したやつじゃなくない?」ってバレてフラれてきたんですから。(ドドン)

 

はぁ…騙されて欲しい……。

 

僕はてへぺろ、ヘビはちろちろ。

 

舌なめずりして待ってるからね。

 

予約窓口です。

http://ticket.corich.jp/apply/81088/009/

 

(了)