プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

ぞっとぎょっと

お世話になっております。

 

来週の「悪い癖」上演後、

匿名劇壇の次回公演はこれしか決まっていません。

 

2018年度 こまばアゴラ劇場ラインナップ

8.28 - 9.3

匿名劇壇

「タイトル未定(新作)」

作・演出:福谷圭祐

 

きっと関西でもやるでしょうが、決まっていません。

だからというわけじゃないですが、来週の「悪い癖」を観に来て欲しいと思っています。

 

それほど好きじゃなかった台本でした。

あんまり面白くないと思っていました。

 

でも、OMS戯曲賞を貰うことが出来ました。

「えっ…これで…?」と正直、思いました。

……実は今でも思っていたりします。

 

だけど、受賞をきっかけに読み直してみると、面白いところがたくさん見つかりました。

 

OMS戯曲賞で大賞を貰えるほど、優れた本かどうかはさておき、

(さらに「優れた本」が大賞になるかどうかもさておき、)

「好きじゃない」とか、「あんまり面白くない」とかの判断は、早計だったなと感じました。

 

もっとちゃんと、よく読まないといけなかったなと思いました。

 

出来上がりつつある上演作品も同じです。

よく見ると、よく稽古すると、面白いところがたくさん見つかりました。

 

そのとき、悔しかったり、悲しかったり、嬉しかったりします。

 

僕は自分自身のことを、

ぞっとするほど過大評価をすることもあれば、

ぎょっとするほど過小評価することもあります。

 

ぞっとしたり、ぎょっとするのは、自分自身だったりします。

 

僕はライブで盛り上がることができません。

イエーイや、フーと叫ぶことが出来ません。

 

見られている気がして、恥ずかしいからです。

見られているのも、見ているのも、自分自身だったりします。

 

僕はきっと、そろそろだめになると思っています。

なにか重要な手続きを忘れたまま、何年か経ってしまったような気がしています。

 

もうきっと、間に合わないのだと思います。

 

今からプロ野球選手をめざしても、おそらくなれないと思います。

それと同じレベルで、

今から立派な人間をめざしても、おそらくなれないという気がします。

 

だけど、それなりの作家になら、

なれるんじゃないかと思っています。

 

こんなふうに僕は、

過大評価と過小評価を繰り返して。

 

ぞっとしたり、ぎょっとしたりしながら、生きています。

 

そんな人が作・演出です。

 

役者はみんな、いい子たちです。

 

幸せになりたいと願ったり、願った瞬間に恥ずかしくなったり、恥ずかしくないふりをして、幸せじゃないと決めつけたり。

 

あの、

 

ごめんなさい。見に来てください。

 

待ってます。

 

AI・HALL

2017/10/26 (木) ~ 2017/10/29 (日)

携帯からの予約はこちらをクリック!


 

「役者はみんな、いい子たちです」というのは、

自分の話に対して、量的にサラッと終わるあたりが、

なにかこう、「らしさ」があるんじゃないかと思って、

ボケのつもりで書きました。

 

ちゃんと役者たちも、

いい子だったり、いい子じゃなかったりします。

 

ちゃんと。

 

ちゃんとね。

 

(了)

言い訳しないと息もできない

何にも向いていない、私は

 

 はじめは竹馬だった。何度かチャレンジしたものの、一向に乗って歩くことができなかった。周りのみんながヒョイと乗り、カッコカッコと歩き回る姿を日陰から眺めていた。そこで「私は竹馬に向いていないのだな」と結論を出したのが、一番はじめだった。

 次に一輪車だった。一輪車が苦手な者は、私の他にも何人かいた。その中には、竹馬には乗れるものがいた。どちらもできなかった私は、「バランスを取ることに向いていないのだな」と思った。ローラースケートも、キックボードも、うまく遊べなかったから。

 「バランスじゃない、運動だ」と気が付いたのは、跳び箱だった。「運動も、スポーツもだ」と気が付いたのは、みんなで遊んだ野球だった。そして同時に、「スポーツじゃない、物覚えだ」と気が付いた。ルールを覚えられなかったから。すなわち、これまで向いていないと感じたあれこれは、身体をうまく使えないからではなく、身体をうまく使う方法をいつまで経っても覚えられないということが原因だと気が付いたのだった。

 「何か好きなことなら、楽しんで覚えられるんじゃないかな」と声をかけてくれたのは国語の先生だった。少し、ほっとした。それから私は、何か好きになれることを探した。竹馬も一輪車も、野球も、うまくできないから退屈だった。退屈だから好きになれず、好きになれないからうまくなれないということに、なんだか混乱したけれど。私は勉強も苦手だった。国語も算数も理科も社会もできなかった。全部、よくわからなかった。中学生になったころ、「ああ、私は、何かを好きになるということに向いていないのだな」と思った。それは、苦しいことだった。とても、辛いことだった。

 それからしばらくは、死ぬことばかり考えていた。死んだらどうなるのだろうと考えていた。死んだらお母さんとお父さんが悲しむな、と思った。それは嫌だな、と思った。お母さんとお父さんが好きだからかな、と考えた。それも、よくわからなかった。死ぬことばかり考えて、死ぬふりをしてみたこともあった。とても怖かった。私は、死ぬことにも向いていなかった。

 それから、ただ生きている。今日も、何にも向いていない、私は。

 下を向いて、呼吸をしている。

 

##

 

奥田さんを殺したい

 

 奥田さんは、人のことを馬鹿にする。奥田さんは勉強ができるから、勉強ができない人のことを馬鹿にする。僕は勉強ができないから、よく奥田さんに馬鹿にされる。奥田さんは優しい。奥田さんは優しいから、優しくない人のことを馬鹿にする。僕は優しくないから、よく奥田さんに馬鹿にされる。奥田さんは、気遣いができない人のことを馬鹿にする。チンピラを馬鹿にする。木偶の坊を馬鹿にする。たまに、「ああいった人間は存在しなければ良い」といった趣旨の発言をする。奥田さんは授業中、戦争映画を見て泣いていた。人類の悲しい過去を嘆いて、本気で泣いていた。そして、泣いていない僕を馬鹿にする。僕の感受性を疑う趣旨の発言をした後で、「こういうやつがいるから、歴史が繰り返されるんだ」といった内容のことを言った。奥田さんは犬を飼っている。僕は犬を飼っていないし、犬がそれほど好きではない。それも馬鹿にされた。犬を飼っていないことというより、犬に対してさほど愛着がないという僕の感性を、馬鹿にされた。なんたって、奥田さんの優しさは、犬を飼うことで培われたものらしいから。ああ、もう、奥田さんを殺したかった。僕は優しくないから、奥田さんを殺したかった。奥田さんは結婚して、子供ができた。結婚しないで、子供がいない僕のことを、奥田さんはまた馬鹿にする。生物学や人類学を持ち出して、「お前って何のために生まれてきたの?」といったようなことを言う。僕は奥田さんを殺したい。戦争映画を見て泣いていた奥田さんを、犬も好きになれない僕がひとりで殺したい。

 なんだこれ。結局僕が人でなしってだけの話だ。僕は何も言ってないのに。僕はただ、静かに、自分どおりに生きているだけなのに。奥田さんを殺したら、奥さんも子供も、他のたくさんの人が悲しむってわかっているのに。なんなんだよ。なんなんだよ、これ。

 ……おい。……なんなんだよ。これ。

 

##

 

鎧の騎士

 

右手に劣等感を、左手に敗北感を、胸ポケットには罪悪感を。

背中にはもちろん背徳感があって、足元には疲労感が転がっている。

 

ただ使命感だけで立っている。このポーズのまま。

 

ああ。

 

##

 

言い訳しないと息もできない

 

僕は何にもできないんです。生まれて来なければ良かったんです。そんなことはとっくに、とっくの昔に、わかっているのです。じゃあなんで生きているのかって、指摘されてしまうけど。それとこれとは関係がないんです。関係がないんです。僕が生き続けていることと、生まれて来なければ良かったってことは、兎角関係はしないのです。生まれてきたあとは、死ぬのが怖いから。ただそれだけの理由で生に、生にしがみついてしまうのです。死ぬのが怖いうちは、死ななくていいって神様が。死ぬのが怖くなくなったら、死んだらいいからねって神様が。だけど僕は思うんです。死ぬのが怖くなくなるのは、病気です。それはただの病気です。生きているってことは、生きている状態を、保つために脳が、心臓が、汗が、機能しているわけです。生きる機能が壊れたあとで、死ぬというのは、当たり前の話で。それはただただ当たり前の話で。死ぬのが怖いまま死ねたらなんて、そんな夢を見るけど、それができないように、人間は、人間は出来ていると思うのです。もちろん、言い訳です。だけど、言い訳をしないと、死にそうなんです。産んでくれてありがとうって言えないのは、それが生きるために必ずしも必要なことではないからだと思うのです。産んでくれなんて頼んでないと、涙を流して怒り狂ってしまうのは、きっと、そうしないと生きていられないからだと思うのです。そうしないままで、生きる機能が壊れるのもまた、怖いのです。

 

##

 

憂鬱は計画的に

 

 私は気分が沈みそうになったとき、自覚的に気持ちをネガティブな方へ持っていくようにしています。「死にたい」という気持ちが湧くかもしれないな、と思った時は、先に「死にたい」と自分から思うようにしています。そうして私は、自分で自分の気持ちをコントロールしているのだという自信を持つのです。私はこれを「憂鬱の先払い」と呼んでいます。

 この文章を読んでいる多くの方は「憂鬱の後払い」をしている、あるいは「憂鬱のリボ払い」が習慣になってしまっている方もいらっしゃるかと思います。まずあなた方に伝えたいことは、憂鬱には「支払い義務」があるということ。図に乗って衝動買いした憂鬱もあれば、騙されて背負う羽目になった憂鬱もあります。どんな形であれ、それは発生した時点で「支払い義務」が生じるのです。後に回そうが、少しずつ払おうが、基本的には全額収めなければなりません。また、生じた「憂鬱」を元気や明朗、幸福で支払おうとする方も大勢いらっしゃいます。ただし通貨が異なるので、レートが違います。市場の状況によっては損をしてしまうことがありますので、専門家でない限りは避けた方が無難です。また、そういった知識のない方をターゲットにした、憂鬱と元気の両替代行サービス業者も多くいます。気を付けましょう。多くの場合は、「憂鬱」は自分で支払うのがベストです。そういうものだと思ってください。そういうものだと思って、きっちり、しっかり「憂鬱」は「憂鬱」で支払いましょう。少なくとも先払いしておけば、憂鬱の引き落とし日に、入金に焦ることはありません。

 憂鬱は、計画的に。

 

##

 

きっと、君なら大丈夫だよ。

 

(了)

僕のブログへの表現にときめいた嬉しさでそのまま書いたブログ

お世話になっております。

 

僕の文章の書き方をばしっと言い当てていて、ハッとさせられるすごく嬉しいツイートを見つけたので、ルンルン気分でブログを書きたくなりました。

 

 

「読んでる人にナイフ持たせて自分は後ろ手で縛られてる、その手で速記したような文章」

 

まさに。本当に、まさにという感じがするではないか。すごい。決して無自覚だったわけではないけれど、漠然としていた執筆スタンスに、ばっちりビジュアルイメージを突き付けられた感じだ。誰かイラストで描いて欲しい。

僕が書いたらこんなんになりました。

 

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ちょっとなぜかミュータントにナイフを突き付けられているので、僕が思ったやつとは違います。僕が思ったのは、こんなんじゃないです。僕が思ったのはもっとこう、お互いにシュッとしてます。

あと、ちゃんと自分でロープとナイフを用意して、自分でナイフを読者にスッと渡して、イソイソと自分で自分を椅子に括り付けて、猿ぐつわ嵌めて書き始めるっていう、そういうプロセスも表現したかったんですけど、ちょっと僕のマウスコントロールじゃ無理でしたね。口下手なもんで。(座布団!)

 

HK(話変わるけど)

 

作品とか、ブログの記事、まあツイッターでの発言もそうなんですけど、「我が子」とか、「身を切って」みたいな表現をすることにすごく違和感があって。「いや…別に俺の子でも、俺の血でもなんでもなく、俺が書いた文章ですけど…」って思っていて。つまり、あれなんだな。「自分からボロンって出た、自然に出た」わけではないと、すごく強く思っているんだな。僕は「俺が、意識的に、書いている!」ってすごく思っているんだ。だから子供でもないし、血でもないんだよ。だからこそ、責任は僕にあるんだよ。自分の意志で自覚的に書いた僕の文章なんだ。だから、子供が罪を犯したとか血でベッドが汚れたとか、なんか、そういう、「それは純粋に書き手が悪いという考え方に、ちょっとノイズが入らない?」っていう考え方が嫌いなんだろうな。あれ、なんか、…、…。

なんかイキッてて自分がキモくなったので、違うこと考えてみると、こんなことが浮かんだ。

 

「俺むしろ、子供が出来たら、そいつのこと“俺の作品”って言うてまうかも…」

 

………怖いですよぉ。

うーわ、僕、ほんとに言うてもうたらどうしよう。なんか、あるわ。逆にその感覚は僕の中にあるわ。ヤバいよね。マッドサイエンティストやん。マジで言うてまうぞ。運動会で。隣の家族に。走ってる息子を指さして。「あれ、俺の作品」。

もうヤバいやん!ご近所付き合い終わるわ!

そんで嫁はんを指してこういうねん。「今回の素材はコレ」

 

ひゃー!!!!

ドゥルドゥルドゥンッ!ドゥルドゥルドゥンッ!

ドゥルドゥルドゥッドゥン、ドゥルドゥルドゥンッ!

世にも奇妙な物語のやつ)

 

HK(話変わるけど)

 

これまで何度かブログを書く態度として、こんなふうに言及してきた。

 

せっかくなら公開しようじゃないか、と思うのが僕の性質(能力名:報道化(ジャーナリズムピエロ)

 

こうしてブログで何かを書いてる時も、常に「反対の意見」が後ろの排水溝から聞こえてくるんですね。排水溝なんて無いのに。その排水溝から聞こえる怨霊的なやつの声に、僕はきっちり負けるようにしてるんですよ。なんかもう、勝ったら引きずり込まれそうなんで。排水溝に。排水溝は無いんですけど。

 

僕には、「なんらかの、たくさんの人数が参加するイベントに参加したあとは、必ず荒れる」という病気があります。きっと、人付き合いがヘタが故のフラストレーションが溜まりに溜まるからだと思っています。(「が」が三個も出てきたけど日本語合ってる?)

だからもう、今度の一人芝居イベントが怖くて仕方がないです。多分僕は、自分が一番面白かろうと、面白くなかろうと、中くらいだろうと、変な顔になっていると思います。一人芝居で舞台に立つのは初めてです。今までは仲間がいたし、楽屋にいけばある程度どんな気持でも受け止めてくれる人がいたんですけど、今回はいないので、マジヤバいです。

なんか、マジ、ぬいぐるみとか持っていこうかな。

 

僕、ぶっちゃけ、身の回りで浮気の話してる人がいたら、めっちゃ言いふらしてるんです。なんか、「これは皆で共有した方がいい!」と、すぐ思ってしまう病気なんです。また、自分の何かも言いふらされてかまわないと思っているんです。めっちゃキレるけど。「お前、言うなって言うたやろうが!!」ってめっちゃキレるけど、でも、それはかまわないと思ってるんです。キレるのも込みで、アリだと思っているんです。あかんもう何の話。

 

HK(話変わるけど)

 

演劇チンピラ丸出しのゴリッた記事を上げた後は、みんなが笑えるような記事にしようっていうのも今まで意識してやってきていて。

今回もそうしようと思ったけど、ちょっと忙しかったので失敗しましたね。

何もおもんないわ。

おもんなすぎて手数料取られるわ。

ほら、これもおもんない。

なーんもおもんないわ。

もう終わります。

 

ブログ、すごく長いこと更新が止まってたんですけど、実はちょっと前にだいぶ病んでる散文を書いていて。「次にアップするとしたらこれなんだけど…、これちょっと病んでる感が出てるから、タイミング図りたいなぁ」と思ったまま、ほったらかしにしていました。

 

もう今日ついでにそれもアップしちゃおうと思います。

 

ほな。

 

(了)

劇王全作品感想、および暴言。(上演作品のリンクもあるよ!)

お世話になっております。

劇王Ⅺ~アジア大会~に、関西代表として参戦してまいりました。結果は、予選Aプログラムにて敗退。ただし、僕はこの結果に思う所がありまくります。Aプログラムで上演された作品の中では、関西代表の作品が最も面白く、それが決勝へと進めなかったのは、「劇王の審査システムと、観客の頭に欠陥があったからだ」とさえ思っています。

さて今回の文章では、なかば確信犯(誤用)的に、今のような強い表現、強い言葉を使っていこうと思っているので、不快な思いをさせてしまうことがあるかもしれません。先に弁解しておくと、劇王の審査システムはこれで十分だと思っているし、「観客の頭に欠陥がある」だなんて暴言はもちろん言い過ぎです。少しばかり、あえて、そんなふうに表現することで、なんだろうな、伝えたい想いがあるのです。

表現を抑制して遠回りするより、まずあえて強く放ってから、後でこんなふうに言い訳をしたほうがきっと書きやすいし、意味が伝わりやすいだろうな、と考えて、このように書くことを選びました。すみません。

 

それでは各作品の感想を書いていこうと思います。審査員の方々の意見が割れて、なおかつ意見が強固だったことがすごく「カッコイイな」と思ったので、僕も「僕の感想」として、しっかり書こうと思いました。目ん玉かっぽじって、全部見ましたから。

ほぼ作品の内容を書かずに、「感想」だけ書くので、見ていない方にはほとんどわからないと思いますが、そこはしょうがないと思って書きますね。

 

Aプログラム

韓国代表「視線」

この作品は、僕が終演後脊髄反射ツイッターに「もしもCMのパクリだったら許すまじ!」というようなことを書いた作品です。すぐに、「そもそも、そのCMをモチーフにして作ったものですよ」と観客の方からご指摘を受けて、大変失礼なツイートをしたと反省しました。(ツイート削除済)

ちなみにそのCMとは、これです。

www.youtube.com

ツイートではこのCMがモチーフになっていると公言されているという情報を知らないまま、決めつけるような書き方(決めつけないように“もしも”という言葉を使っていたにせよ)をしてしまい、申し訳ございませんでした。

CMについては、講評の場でも言及がありました。僕には全部ピンとこなかった。

 

僕は、この作品は論外だと思います。はっきり言って、審査対象になっていたこと自体が不可解です、今も。この作品は、CMの内容と何も変わりがありません。CMの内容と、同じです。そこに僕は、何の表現もないと思います。登場する先生も、医者も、ひどくステレオタイプで、CMをモチーフに世界を広げるというよりは、CMに余計な(本当に余計な)補足をしているだけに見えました。これが、イム・ジョンヒョクさんの「作品」だそうです。馬鹿にしているのか、とさえ思いました。どういった審査基準で、彼はここにいたのだろうか。

なにより、腹立たしかったのが、作劇の動機を西田シャトナーさんに尋ねられ、彼は「日本のこの素晴らしいCMを、皆様に知ってもらいたいと思った」というようなことを言っていたことだ。もちろん、このCMを知らない人もいただろう。あるいは、その人には「こんな素晴らしい話があるんだねぇ」と感動を与えられたのかもしれない。

ただ、僕は、知っていた!そして、このCMは、さほど無名のものではない。日本のテレビで流れていたCMなのだから、「埋もれた創作物」でも何でもないのだ。日本の、テレビの、CMなのだ!その素晴らしさを知ってもらうために、「韓国代表のあなた」が、「日本の劇場で上演する作品」に、「これ」を選び、オリジナリティ、独自の視点、目が覚めるような揶揄や風刺、そんなこんなのオマージュやらパロディやらの「魂」がないまま上演した…。

僕は、そう感じて、腹立たしく思った。Aプログラムにおいて、韓国代表に与えられた34点は、僕は「奪われた34点」だと感じた。CMを知らずに投票したなら、知った上で考え直して欲しいし、知った上で投票したなら、作品を見る目がない阿呆だ。以上。

言い過ぎです。今はそこまで思っていません、しかし、作品を見ている間、そんな想いで頭がいっぱいで、冷静に見ることができませんでした。だから作品の感想というより、ちょっと違う、暴言よりの書き方になっています。大変申し訳ございません。

 

東北代表「アツモリ」

Aプログラムを通過し、決勝に進出した作品だ。夫に離婚届を提出させようとしている妻がいて、プロレス風の演出で過去のあれこれを語る。しかし、離婚届かと思われたそれは、実は震災で亡くなった妻の死亡届だった…という話だ。

まず、離婚届の提出を求める妻と、それを拒否する夫だと思って、観客は見る仕掛けになっている。ところが、そこがなんだかよく分からないのだ。「本当は死亡届」だというタネを避けて通るため、どうもフワフワとした実感のない会話になる。妻が押印を求める理由も良く分からない、夫が拒否する理由も良く分からない。(だって離婚の話じゃないから、具体的に話せない。)かつ、さほど笑えない。二人の関係が描けていないので、妻がつけ麺をアツモリで食べることや、夫が妻をサルと呼んだ過去の面白さが立ち上がってこない。

「……うーん?」と思って見ていると、死亡届だったというタネ明かし。あぁ、そうだったのね、と思う。だったら、最初から死亡届だと明示して、それと葛藤してりゃそれでドラマなのに、と思う。んで、死亡届だと判明してからドラマが始まるかと思えば、もう特に何も起こらない。なんだかよく分からない感傷的なムードで、特に何もないまま、夫は妻の死を受け入れて押印する。この数年間はなんだったのか。プロレスであることも意味不明。理由は多分ない。

僕はキョトンとしていた。まさか、この作品に自作が負けるだとは予想していませんでした。

断言しておきたいのは、戯曲ベースで考えると、今回の僕の本を上回っている点はひとつもないと感じたこと。この作品は、本がほとんど書けていないと思います。しかしながら、役者の熱演が客席に届いたことと、「なんだかよく分からない感傷的なムード」を作ることが上手かったことで、負けてしまったのだと考えています。その点はちゃんと認めて、勉強させてもらおうと思います。こんな本に負けたことがとても悔しい。多分こういう書き方は、西田シャトナーさんや天野天街さんには良く思われないだろう。「本が」「本が」と考えるのは、なかなか治らない僕の悪い癖だ。ちゃんと机から顔を上げて、役者と客席のほうを少しでも見られれば、勝てたんだろうな……。すごく、悔しい。ぐぎぎ。

 

関東代表「サマータイム

戦場のピクニックみたいな話、かな。僕が最も苦手で、よくわからないと思ってしまうタイプの作品。(戦場のピクニックは面白いと思えるんだけど。)樋口ミユさんの本みたいな。こういう作品は「あ、ダメだ。僕のオツムが足りないや…」と思ってしまう。花火の音が恐ろしく聞こえてきて……、で……、「…で、つまり…?」と思ってしまう。多分これは本当に馬鹿だから。なんだかよくわからなかったけど、東北代表の作品は「ここがダメで、これが足りてなくて、ここをこうしたら」がたくさん浮かび、関東代表の作品の方が「なんかわからんけど、夏が終わったし、花火が怖かった」と感じたので、僕らの作品かこの作品が通過するだろうな、と思っていました。サマータイム、たぶん「なんかわからんけど、めっちゃ泣いた」になる可能性のある作品だと思いました。

 

関西代表「コミュニケットボール」

本がうまい。天才というより、秀才の本。地頭で作った作品という感じ。

上演したときは、観客の咳払いで7個くらい台詞を潰されたので(マジで泣けた)、そうならないように作らないとダメだったなと思いました。台本の販売はしていないのかという問い合わせもあったようなので、このブログの最後にリンクを貼っておきますね。著作権は僕に帰属します。余談ですが、作品のことを「我が子」っていう人のこと、僕はちょっと気持ち悪いなと思っています。我が子ではないでしょ。我が作品です。我が子は、もっと、あれだろ。心臓とか、あるだろ。我が子だとしたら、我が子産みすぎだろ。そんなに育てらんねーだろ。

 

Bプログラム

シンガポール代表「いつも側にいるよ」

面白かった。ただ、字幕と並行して見るのがどうしても辛かったな。異国語で演じられていることや、字幕を追うことがストレスで、ほんと単に、「この話、日本語で見たいっス!」と思ってしまった。そーなんだよねー…。僕は「観客は選ばれて然るべき」と思っているのと、「ノンバーバルの面白さ」より「特定の人にしかわからない特定の言葉で作られた面白さ」のほうが良くね?と思ってしまうタイプで。わからないやつにはわからないでいい、ってほど強くは思ってないんだけど、みんなが美味しいと思う平均ラーメンより、俺だけがうまいと思う俺ラーメンのほうがうまい、みたいな考え方が根深い。あれ、なんか関係ない話をしてしまったかも。

娘と母の関係が、あまり見ない感じで面白かった。

 

九州代表「まみれまみれ」

男が女を好きになったきっかけも経緯もないし、男が夢を追っていたときの「追っていた度」の描き方も足りないし、女の夢を「追っている度」もやや低く見えるので、もうこれはほんとに「全然だめな男が、急に好きになった半端な夢追い女を励まそうとして、やっぱり全然だめだった話」。全然ストーリーになってないし、本が書けていないとは思うんだけど、全く不快な作品じゃなかった。それどころか、最後は掲げられた右手に気持ちよく拍手を送った。気持ちよく拍手を送って、「いやー!こんな作品が勝ったら世も末やで!」とか思った。(冗談です。)観終わって楽屋に行って、「まあ中国代表が通ると思うけど、ワンチャン九州が行けるかも。」と劇団員に言った。観客表が最も少なかったのは、すごく意外だった。「えぇ!?Aプログラムの観客たちどこ行ったん!?」とか思いました。ははは。僕のAプログラムの恨みは根深いです。

 

中国地区代表「前兆とか」

よくできた作品。ここに関しては、明確に役者の力量で負けちゃったと感じる。二人とも、すごくうまい。本もうまい。いや本もうまいねん。本も負けちゃってると感じる。ここの作品とぶつかってたら多分負けていたと思います。まあ本よりも役者かな。本にあるちょっとしたムラ気をきっちり抑制した芝居で、役者の身体に内包された物語がタップリあった。ただ、こういう作品ならもうちょっと関係で笑いをとる箇所があったほうがいいと感じました。きっとあの先生二人の間で、あの二人の「関係」でたくさん遊べると思いました。

僕は伏線のことを面白がる人を「伏線病の患者」と呼んでるんですが、ことわざで前兆を送っていたことなんて、ほんと「伏線病の患者」に向けて与えられた「ただの処方箋」なのだと思います。たぶん亀尾さんのドラマはそこじゃないと感じます。亀尾さんが自分の一番武器だと思っているのは、きっとそこじゃないと思います。知らんけど。でもこういう賞レースみたいなのは、伏線病の患者を喜ばせた方が有利だもんねぇ。Bプログラム通過で結果を出しているし。うらやまC。

 

東海代表「怪盗パン」

どんな話だったか、忘れかけている。確か、ジャンバルジャンがいて、ジャンバルジャンじゃなかった。なんか、盗みを働いていた男(男?)が、それを、辞めて、辞めたけど、また盗もうとしてもうてる、みたいな、話、だった、の、かな…。なんだか、レミゼがむしろ邪魔をして、話が分かりづらかった。

盗む、ということが、どう煌いているのか、よく掴めなかった。

「この足を退けると、コインがある」という状況と、その葛藤はドラマチックだと思ったので、もっとシンプルに楽しみたかったと思いました。足をどかそうとすることが「どれだけのこと」なのかが、こう、ガツンとピンと来ず、アツくなれませんでした。

 

余談

Bプログラムでは、僕の隣でいびきをかいて寝ていた人がいました。うるさかったので、起こしました。彼は、全作品終了後、投票していました。僕は少なくとも彼がひとつの作品を見ていないことを知っていたので、とてもとても不愉快でした。「つまらないと感じたから寝て、そうじゃなかった面白いモノに投票するんだからいいじゃないか」と、僕の中で唱える妖精もいましたが、カンケーねー、ムカつくんだよ、妖精を右手でグチュ。テメーに投票権なんてあってたまるか、バーカ。自分のことだと思い当たるやつがいたら俺の劇には二度とくんな。こんなやつを楽しませるためにベロベロバーをすることがサービスで、おもてなしで、観客を喜ばせる精神なら、そんなもん捨ててやる。幼稚園じゃねーんだよ。ここは劇場だ。覚悟して来い。

(※お芝居で寝てしまうことはある程度しょうがないと思っているし、そりゃ面白かった作品に投票もしていいと思っています。あえて、強く書きました。このBプログラムには途中入場も多く感じたので、賞レースである以上そこは注意喚起したいです。全然僕の劇にも、フラッと来てほしいです。ぺろぺろ。)

 

Cプログラム

香港代表「高野山で僕のアイドルに出会う」

面白かった!ドキドキした。なんだろう、この、次の瞬間には恐ろしいことが起こってしまいそうな感じ。それをぼかすような、とぼけた作り。なんだろう。カタコトで演じられるから、否が応でも親近感。でも、その親近感がそら寒い。父が好きだったAV女優と、高野山で出会う?僕も好きだった?あなたの「足指」の動き、すべて、意味がある……。

なんだよ。すげえおもしれえよ。こええよ。なんだ、お前、こええよ。なんの話だよ、ずっと。ただ、その理屈が分かりにくい怖さが、終盤、掴みどころを失ってしまう。あの尺八を演奏しながら二人で歩くところが、もっともっと、もっと「理解不能」であれば、超面白かったような気もする。すっ飛んでいけるかと思ったけど、惜しい思いをした。

 

信越代表「記憶より記録」

全然面白くない。単に、ウケてない。コントであるなら笑いをとらないといけないのに、全然ウケてない。面白くないから。それは、緊迫感がないから。迫ってくる壁が単なるオモシログッズになっていて、状況になってない。シチュエーションコメディのシチュエーションが構築できていない。数字を思い出せない男に緊迫感がなかったのは、自らの安全が保障されていることを知ってたからだそうだが、それって何が面白いの?だったら途中でそれが判明して、関係が変わった方が面白くない?女と付き合っていることが判明して、何が変わった?何も変わらない。だからドラマがない。こういうのは、途中で穴には一人しか入れないことが判明するんだよ。そして、恋人同士という関係の意味を変えるんだよ。数字を思い出したフリをするんだよ。間違った数字を入力させて、相手を殺して自分の安全を確保しようとするんだよ。必然を持って、登場人物を動かすんだよ。本気で助かろうとするんだよ。そうしないと、面白くないんだよ!ずっと、ごっこ遊び。もう明確に、はっきりすっぱり、お笑いの構造を理解していない人が書いた本。

ちなみに、思い出した数字9999が、6666だったと判明して、大爆笑していた人もいました。今僕は強い口調で書いていますが、この作品を面白いと思う人の感性は決して否定しません。あくまで、「僕にとって」、お笑いの構造を理解していない人が書いた本、です。

……ので、「全くウケてない」という冒頭の記述は卑怯でした。申し訳ございません。もちろん、笑っている方はいらっしゃいました。自分の意見の前に、周りの反応を先に書くという卑怯な真似をしてしまいました。

ディスりまくったものの、石川さんの他の作品も見てみたいと思います。

 

四国代表「オオカミ少年

おままごとをベースに、虐待されている子供の、…子供の、…子供の、……何を描いたんだろう。子供の、心情?子供の、思考?子供の、可哀想さ?そのあたりの、何がこの物語の核となっているのかがわからなかった。「僕はこの子供を見て、可哀想だと思えばいいのかな?」と誰かに尋ねたくなってしまうような。多分、ご飯を食べさせてもらえてない系の虐待をされていたと思うんだけど、その苦しみは伝わってこなかった。苦しみ…。うーん、例えばそれは、ハンバーガーと出会った時の「喜び」でもいいんだけど。それも異様な。

ハンバーガーに対して、周りの子供と違って、「異常に喜ぶ」とか。そうすることで、この子の苦しみが伝わったり、とか。おままごとのシーンも、ちょっと良く分からないんだよねぇ。「おままごと」って、すげー面白いと思うのよ。全部バレると思うの。

なんかね、ともすればあの女の子はさ、「酸っぱいモノばかり食べさせられる系の虐待をされていて、酸っぱいモノばかりが出てくる日常だからこんなおままごとをしている」可能性があるよね。でも、それが、単に「酸っぱいモノばっかりやないかーっ!」っていうギャグなのか、なんなのか、わっかんないのよ。これは、説得力がないってことなんですよ。あの子供たちがどこまで実在しているのか、何がギャグなのか、虐待は「実際には」どこまで行われているのか。多分、この作品を作るにあたっては、もっと「実際はこう」を決めていくことが必要な気がする。ハンバーガー工場は、「実際はこう」で、「実際はこう」のメタファーなんだと、それを伝えるか伝えないかは別にして、骨が太くないと、ビンビンにならない。

 

北海道代表「言いにくいコトは、、」

これも僕、ごめんなさい。全然本が書けてない、お笑いの仕組みになってない、と思っているんですけど、Cプログラムを通過し、今大会の2位です。

あのー、僕はつまり、笑えるためには条件が必要だと思っていて。あれは、「早口言葉を言わなければならない理由」がないと、全然意味がないですよね。アンジャッシュのコントでね、しりとりで面接を受けるやつがあるんですよ。ヤンキーに脅迫されて。それは、そうせざるを得ない理由があって、そうしているから、面白いんだと思うんです。

僕は見ていて、ずっと不可解でした。なぜ、早口言葉を言っているのか。前半部分、その言い換え語で言いやすく話していたはずなのに、どうして早口言葉になったのか。僕は、この人は狂っているのだと思いました。「今日急きょ休暇の東京特許許可局局長のお父さん」って、言わなくていいのに、言ってしまう。なぜか。わかりません。でもそれは多分、その方が面白いからなんです。ベロベロバーなんです。笑わせるために、言っているんです。

それって、そんなに面白いことかなぁ。

例えばこれが、あのお父さんとの三人のシーンから始まれば、僕は笑ったと思います。なんだかわからないけどそういう世界で、とにかく言いにくいことばっかり周りにある状況っていう設定で、進める。なぜだか分からないけど、「今日急きょ休暇の東京特許許可局局長のお父さん」と表現してしまう。むしろ本来なら言いやすい言葉、なんだろう、iPhoneとかも、高機能なんちゃら液晶なんちゃらみたいに表現してしまう世界、とか。「不条理な、そういう世界です!」なら、面白いと思うんです。

 

でもね、フリのときに、「言いやすい言葉」で言ってるんですよ!言えてるんですよ!全部。表現できてるんですよ。早口言葉じゃないまま。それがじゃあ早口言葉になる理由って、なんなんですか?「言いにくい言葉って、なんか勘違いしてない?」では、処理できていないでしょう。だって、手土産に「生麦生米生卵」を持ってくるんですよ。なんでですのん。早口言葉を言うために持ってきてるやん、もう、それは。笑わせようとしてるやん、俺を。笑わせようとすんなや。お父さんにあいさつに来たんじゃないんや?俺を笑わせようと思ってるんや?そんな目的じゃなく、早口言葉を言ってくれよ。

 

早口言葉を言おうとしている役者の様が面白い、というのは分かります。でも、それは多分、全日本早口言葉選手権大会を観に行けばいいと思います。(あるのか知りません。)人が噛むかどうかをハラハラして見るなら、24時間テレビの提供読みを見ればいいと思います。

「早口言葉を言う理由」が「劇」に組み込まれてないと、演劇としてはダメダメじゃないの?

僕はそう思いました。

 

第9代劇王「救急車を呼びました」

大笑いしました。状況で、関係で、ワードで、笑わせられました。すっごい面白かった。日常、何の問題もなくサンドイッチを食べている人に、突如「救急車、呼びましょうか」と話しかける男。異常事態へシームレスに移行していく感覚、気持ちよかった。平塚さん演じるヤベーやつ、面白かったなあ。ヤベーやつでもね、筋が通ってるんですよ。最初の、「救急車、呼びましょうか」という無茶をポンと放り込んで、あとは筋が通ってるんですよ。だから笑えて仕方ないんですよ。救急車呼びましょうかと尋ねれて、自分の体をそっと触る男。筋が通ってるんですよ。この世界に、だーれも、笑わせようとしてる人なんていないんです。……いや、それって笑わせる本を書く基本も基本だと思うんですけど……、そうじゃない作品で「笑わせるタイプの作品の顔していて、観客が笑うかどうかが相当作品のキモだと思うけど、僕はあまり笑えないなぁ…」と思っていた作品群の中、最後に、ほんと爽快でした。

補足

この作品に対する西田シャトナーさんの講評は、ギョッとした。理解はするし、納得もできるんだけど、なんというか、「それはもう、この世のそういう作品のすべて、並びにこれを笑った我々を否定するということ?」というふうに思えて。いや、僕もロンドンハーツ的ドッキリとかで、全く笑えず不快になることがあるし、笑ゥせぇるすまんで「いや、この不幸で誰が笑うねん…」と思ったりすることもあって、そんな感性は間違いなく自分の中にあるとは思うんだけど。僕も今回のこの記事で、たくさん「笑えない」と断言しているけど、多分、なにか具体的、かつ技術的な言及をしないと、「そーゆー笑いの拒絶」みたいになってしまうんだなと今思った。西田シャトナーさんの講評は、基本的に僕の考えとは対立することが多かったので、一番印象に残っている。メリハリの利いた得点の振り分けもカッコ良くて、「うわ、俺もこんなふうに喋りてえ」と思ったのが、このブログのきっかけ。

 

最後に

ふぅっ!!

本当は、こんな話を劇王参加者の皆様ともっともっとしたかったです。直接、作劇についてディスカッションしたかった。逃げてブログに書いていると思われるのは仕方ないのですが、本当に口下手で、すみません。直接話すと、慣れるまでは思ってもない嘘を並べ立ててしまう可能性があるんだよなぁ…。直したいなぁ…このクセ…。文通なら、流暢に喋ります。コミュ力が低くて、申し訳ありませんでした。

 

「審査員の得点が、観客の票を大きく覆す」という事態はあまり理想的じゃないな、と思っていて。だから、Aプログラムではきっちり観客票の差で負けることができて、ホッとはしています。悔しいですが、観客票で負けているのに、審査員票で勝つというのは、なんだか気持ちの悪い感じがするので。(なんでだろうね。)

「お客様との向き合い方を、僕は見失い始めているのだな」と感じた劇王でした。もしかすると、僕はお客様のことを見下している可能性だってあるなと思いました。自分の心だけど、うまく理解できないです。僕の一票と、あなたの一票は違う。そんなふうに思っているのかもしれない、いや、そんなふうには思っていない、と、頭がぐるぐるしています。

負けるって、すごく悔しいんです。

「自分の何が劣っていたのか」をしっかり考えて、考えて、でもそれに2秒間くらい耐え切れなくなって。「いや、単に評価する側が劣っていたって可能性もあるよね?」なんて悪魔のささやきが聞こえてきたりもするのです。今、僕、相当ショージキに書いてます。

 

でもね、そんなの、絶対に違うって知ってます。

僕が負けたのは、僕が劣っていたからです。

嫌なこといっぱい書いてごめんなさい。観客としての感想と、勝負相手としての妬みが混じった、すごく不愉快な読み味になっていると思います。何をどうしたって負け犬の遠吠えだから、それを逆手に取っている部分もあります。

 

名古屋からの帰り道、僕は相当荒れました。二度と賞レース的な場になんか来るもんか、なんて思いました。「おもろいと思っておもろいもん作ったのに、おもんないもんをおもろいっていうやつらのせいで、おもんない扱いされたやん!」みたいな思いで頭がいっぱいでした。なんでこう、潔く負けられねーかな。みんな、すげえなあ。

 

心がたくさん動いた四日間でした。

 

っていうか、賞レース的なモンに出ると大体こうなるんだよ。俺。何回目だよ。疲れるなぁ!毎回嫌になってんのに、なんかまた出てもうたなぁ!また出ることもあんのかなぁ!クセになってたりすんのかなぁ!ったくよぉ!

 

やれやれだぜ。

 

(了)

 

下記より、関西代表福谷圭祐作「コミュニケットボール」がダウンロードできます。

https://files.acrobat.com/a/preview/13a707ec-5132-49d2-acac-05cd86acd0eb

無断上演とかは禁止するので、ツイッターやホームページにご一報ください。

裕福な大人がやるときはちょっとお小遣いください。学生はお金いらないです。

 

柔らかくなる魔法は一度きり

 

 

夏。

帰り道を歩く。涙が出る。

泣き止むまで、適当な場所に座る。

蚊にたくさん刺される。

かゆい、かゆい。

泣き止む。

かゆい、かゆい。

 

##

 

もうすでに満腹の人たちに対してシメのウドンを押し付けてそれをおもてなしだなんてほざいた馬鹿を金属バットで殴り殺してやろう。オーイエー。選挙に行かねえあいつを見て日本の未来を憂いたくせに例のあの党に投票した馬鹿の缶コーヒーに青酸カリをぶち込んどいてやるぜ。アーハン。てめーの都合でおもてなし、てめーの都合の愛情表現、てめーの考えるてめーの社会、知ったこっちゃねえぜ。俺なりのホスピタリティ、やくざに貰った鉄砲ぶっ放す、心からてめーを想って額に向かってバキュンバドーン。お酌、お酌、あふれるレッドビールをグラスたっぷりで家族にクロネコヤマトだぜ。ハッピーかい?ハッピーだよな。俺のおつむは平和ボケ、幸せポッポの鳩ポッポ。ディスってくんなら受けて立つからてめーもここまで降りてきな。高みの見物指導教育ウンザリなんだぜ自称長く生きた人。俺より偉くて物知りな馬鹿に捧げる、セイ、お・も・て・な・し

 

##

 

T君ってすっごいプライドが高いよね。なんかこう、基本的に人の意見とかって耳を貸さないタイプの人でしょ。いや、いいのいいの。それはそれで全然否定しないし、むしろ僕なんかはそうなれない人だから。でも、なんか、どうなんだろう、パフォーマンスとかアピールのつもりかもしれないけど、こうやって僕のところとかに意見を聞きにくるのって、どうしてなんだろう。いや全然いいし、その、僕の思ってることで良ければ言わせてもらうんだけど、たぶん、それがT君に影響を与えないことが予想できちゃうっていうか。単純に疑問。絶対自分のことすっごく信じてるし、とても強固に自分が完成されてる人だと思うから、逆にほんと僕なんかの意見なんて関係ないと思ってるでしょ?っていう。そんでそんなオーラをばりばり全身で放ったまま、パフォーマンスとかアピールに来られても、なんかもう、ごめん、どぎまぎしちゃう(笑)。ごめんね、ほんとに(笑)。ありがとう、来てくれて。

 

##

 

頼むから私を放っておいてくれ、と私は思う。私は自分に自信があるのだ。私は、私を大いに肯定している。あなたとは、違う。私はあなたのように、誰かを否定しなければ自分を肯定できなかったことが一度もない。私は、たった一人で私を肯定できる。私に知識は必要ない。私にあらゆる知識がなくとも、私は私を肯定する。私にあらゆる趣味がなくとも、私は私を肯定する。私は誰かと関わらなくとも、私を肯定できる。私は自分に自信があるのだ。そんな私を捕まえて否定しなければ、自分に自信を持てないあなたがとても煩わしい。

 

私は不安にならない。自分に自信があるからだ。私は誰かを叱らない。私はとても強いから。私は私と同じ考えの人間を求めない。また、私と違う考えの人間を咎めない。私が私であることに、大いに自信があるからだ。私はとても強いから、私は何も求めないのだ。

 

そうではない人が、私を見て、不安になる。私があまりに強いから。自分に自信が持てなくなる。自分が間違っているのではないかと恐れる。だから、私が間違っていることにする。そして自分を正しいとする。頼むから、私を巻き込まないでくれ。私は何も言っていない。私はただ、私であるだけだ。同様に、あなたもただ、あなたであればいいではないか。

 

私は関わりを求めない。

 

そんな私が特別に強く、私以外の人間のほとんどが弱いということに気づくまでに、とても時間がかかってしまった。弱いことが普通であり、強いことが特別だった。私が、他の多くの人間とは違うから、私は否定されるのだ。私は言いたい。同じ弱さを求めるな。私はとにかく強いのだ。私は何もいらないのだ。私は、私にとって、正しく、強いのだ。

 

私を見て不安になるな。私を心配するふりをして、自身の心配をするな。私からすれば、私以外のこの世の全員が間違っていて、正しくないのだ。だけど私は恐れない。私はとても強いから、あなたたちの間違いに何一つ影響されない。大いに間違っているあなたたちを見ても、私は不安にならないから、何も言わないではないか。

 

弱き者たちよ。私を否定するな。私を肯定するな。私を守るな。私を愛すな。私に触るな。私に尋ねるな。私を誘うな。私を、除け。特別に強い私を、除け。

 

頼むから。二度とノックしないでくれ。

 

(43歳 無職・ひきこもり/自立さえすれば二度と関わらないと両親に告げられて15年)

 

##

 

どうしても泣いてしまう

泣きたくないのに

泣いてしまうことが悲しくて

泣いてしまう

泣いてしまったことに

泣きたくなって

泣いてしまう

 

泣くなって言われて育ったし

言われなくても困った顔をされて育ったし

あたしが泣いたって

みんなが嫌な気持ちになるだけだし

そんなことわかっているのに

泣いてしまうから

泣きたくなる

そして泣く

 

誰にも見られないように泣く

せめて

でも、どうせ気づかれるから

気づかれて、言われるから

 

困った顔で

嫌な顔で

ひとりで悩まないでとか言われるから

どんなに隠しても

結局ばれるから

どっちにしたって同じ

 

だから泣かない方がいいって

わかっているのに

 

くそが

 

##

 

ひとりでフェラチオをしようとしたとき

 

天使が現れて、こう言った

 

「願いを一つ叶えましょう」

 

僕は願った

 

「体を柔らかくしてください」

 

そして僕の体は柔らかくなり、

 

ひとりでフェラチオができるようになった

 

今思うと、

 

天使にフェラチオをしてもらえばよかったと、

 

思う

 

マジで

 

思う

 

(了)

 

解散にあたり、劇団WEBサイトは残すべきか否か

お世話になっております。

 

(脱稿後の注:この記事はいつにもまして論理がぐっちゃぐちゃしており、思考があちこちに飛んでいます。肯定と否定も行ったり来たりするので、どうかどちらか一方の意見記事としてではなく、「思考の過程」として読んでくだされば幸いです。僕は強固な意見を発信したいわけではなく、思考の過程がエンターテイメントになると思っていつもブログを書いています。何か意見がございましたら、一文を切り取ってではなく、この記事全体をお読みになったうえでお願いいたします。長くてごめんなさい。6500字あります。なんでこんなことになるんやとは思っています。)

 

がっかりアバター解散と、アーカイブの話。

別に炎上しているわけでも何でもないが、なんとなく心が動いたので書く。

がっかりアバターという劇団が解散するにあたって「WEBサイト、ツイッターは折を見て消します」と発表。それについて「アーカイブとして残したほうがいいと思う」という意見の人たちが登場。そんでがっかりアバター主宰のアンディさんも「それはそうだと思うし、正論。でも今言う?SNSで言う?ちょっと心がしんどいです」的なツイートを投稿。

 

 

正確にはこうね。ただ、アーカイブ保存一派の意見も「いや消すとかアホやん!残せよ!なんなん!?」みたいな感じではない。BGYさんが保存推進の人で、たぶんなんか「保存せよ」的なことを書いていたのは見た。が、投稿はひとつ削除済み。なんだか残す話の真っ最中に、さらっと削除が行われたことを滑稽に感じたりもするけど、まあツイートなんてもんは誤解も招くし、そーゆーもんだとは思う。実際にどんなふうに書いていたかの原文は忘れた。アンディさんもわりとツイート消しがちな人だから、このブログに引用しているツイートも、いつリンクが切れるか分からん。

 

僕自身は、アーカイブ精神はそれほど無いんだけど、なぜかジャーナリズム精神があって、物事を大きくしたいとか「みんなー!」的な魂がある。だからこういうブログを書くんだと思う。アーカイブ精神とは、ちょっと違うような気もしてる。僕もわりとツイートは消してきたし、ブログ記事を消すこともある。

多分、劇団のサイトも解散するなら消すんじゃないかな。初期の頃みんなで回していた劇団ブログも、更新が滞り、「このまま更新が滞ったものが残ってるのって、良くなくない?」という話し合いの末、消した。アーカイブ的な観点で考えると、「このブログの更新は終わりました」的なことを書いたうえで残しておいても良かったかなと思う。

 

実際、ほんと僕はハンパモノでさ。ツイートを全消しする前に全部テキストを保存してるし、劇団ブログも確かテキストで保存はしたのよ。ただ、そのデータがどこにあるかはもう謎。どっかのUSBか、深層フォルダに紛れ込んでると思う。「残しておいた方がいいだろう」と漠然と思っていて、軽く取り組むくせに、結局見失う。たぶん「残す」って、結構「残すのだ!」っていう強固な意志がないと難しいんだと思う。技術が進歩したインターネットでも同じなんだろうなぁ。リベンジポルノ的なエロ動画も、誰かが強固な意志を持って残してるから残ってるんじゃないかな。みんなが漫然と「へへっ…インターネットに流れりゃ消えねえのよ…」とマスかいてるだけだったら、たぶん消えるんじゃないかな。

(そう考えると、リベンジポルノ的なやつを強固な意志で保存してるやつマジでタチ悪いな。悪魔かよ。基本的には「そんなやつはいるわけではなく、一度ネットに解き放たれたものは、誰かの意志に関わらず永遠に彷徨ってしまうというだけだ」と思ってたけど。もしかして、悪魔が実在する?というより、そういった悪魔がバトンタッチしていくことで、「消えない」という事象が生まれる?)

 

演劇作品って、残すのが難しくて。そりゃ映像としては残せるけど、「それってなんか、ちょっと違うじゃん?」とはたぶん演劇を作る人はみんな思ってるだろうし。

(語弊があるといけないので急に具体名出すけど、観劇三昧さんは超応援してる。実はVRもわざわざ買って観た。もっと進化して、VRスーツを着る時代になったら「ちょっと違うじゃん?」の理論も崩れてくるんだろうなぁ。余談。)

脚本はわりと後世に残す気満々で書くこともあるだろうけど、上演作品はどっちかっていうと、「ハデな花火、ぶちあげようや…!」みたいな感じが近いと思う。勝手に役職別性格診断をするとしたら、演出家寄りの人は残す残さないに全く興味のない人、脚本家寄りの人は残すことについて興味がある人、っていうことが言えたりするんじゃないかな。テキトー

 

ヤバい。論点がズレてると今思ったけど、そもそも論点がなかった。今この文章読みながら「……あれ?……こいつ何の話がしたいん?」と思った方、すみません。基本的には、アンディさんの盾になって「お前らなァ!劇団を解散することがしんどいことだってわかるやろ!今はなァ!お疲れさまでしたでええやんけ!今、求めるなよ!今は何ひとつ、求めるなよ!」みたいなことがしたかったはず。でも、そのそっとしておけ的スタンスとは真逆で、むしろジャーナリズム精神で話題として担ぎ出してもうてるし。すんません、アンディさん。

 

まー難しいよねー…。実際消えちゃったら、そこから復活させるのは手間もかかるから。消される前に「ちょっと待って!!」みたいなのはあるかもしれんけど。なんかこう、普通にアーカイブ論が発展しちゃってるのも、アンディさん的にはしんどいと思う。すぐ追悼番組の打ち合わせ始まったみたいな。「いや…この温度を保ちたいとか…鮮度とかあるからしょうがないんでしょうけど…ちょっとあの…ちょっと待ってくださいよ」みたいなところはあるだろうから、同情する。推測するに、乾さんの『のぞみちゃん』というグループがガッとアクセル踏んだり、アンディさんもさっそく「昔がっかりアバターという劇団で、作演出をしていた坂本隆太朗というものです。」ってツイートしたり、もともと「よっしゃ!前に行こうぜ!」的なスタンスではあったと思う。

 

とはいえ、っていうことなんだろうな。そりゃ前を見るし、次に進むけど、「解散します!サイト消します!あ、でも確かに、残すことは有意義ですもんね!残しましょう!よしじゃあ、ドメインとかサーバー代どうします?これ払い続けるのもアホらしいんで、そーゆー専門のサイト作っちゃいますか!よっしゃ、よっしゃ!公演のチラシデータとかまとめますね!あ、つーかサイトそのものを魚拓します?htmlもコピペしときますか!いやぁ、腕が鳴るなぁ!」みたいになるのは、結構厳しいものがあるだろうとは思う。ポジティブサイコパスやん。もちろん、そんなことが求められてるわけじゃないけどね。ただ残しておけばいいっていう話なんだけど、それがさ、っていう話で、あ、これ最後に書こう。

 

ここまで書いて「僕の意見はこんな感じかな」っていうのが見えてきたけど、多分、「俺が消すっつってんだから、それは誰にも犯されたくない。ただ残すっていうなら、俺もそれは犯さない。」っていうふうに思ったかな。

例えばさっきツイートもブログも消しがちって書いたけど、でも実際に書くときは永遠に残るつもりで書いてる。何年後かに僕がテレビスターになったとして、「こいつ、こんなこと昔書いてたんすよ!げへげへ」って出されることになっても、それを受け入れるつもりで覚悟して書いてる。たぶん、そのことと、僕が「消す」って行為とは、関係がないんじゃないかな。残すことと消すことは、あまり関係がない。残したい奴が残す、消したい奴が消す。それが互いに、犯されてはならないってことだと思う。あ、あくまでこっちが意識的に発信した場合においてね。リベポは別。

 

……これ論理として成り立ってるかなぁ?なんかおかしなこと書いてる気がするけど、しょうがないね。例えば、僕のこのブログは僕の裁量で好きな時に消すけど、これを誰かが残すことに関しては何も言いません、ってことなんだけど。

(あれ?でもそれって本当に勝手だと著作権の侵害になったりするのかな?ちょっと話がややこしいから無視しよう。例えば僕、めぼしいツイートはスクリーンショット撮る癖をつけてるんだけど、もしその画像って勝手に投稿したらアウトなのかな。もし弁護士さんとか読んでたらコメントください)

それは懐かしがれる良い材料になったり、責任を負うためのネガティブな歴史になったりするかもしれないけど、それはそれで結構という。というかむしろ、残すという行為に対するリスペクトは持って然るべきだし、持っているし、そこに非協力的な姿勢を取るつもりもないんだけど。

 

あー、まあでもさあ!!結局、解散仕立てでなんか議論のタネにされたりするのちょっとしんどいよねー、ってことがすべてかもしれんなぁ!!この記事、なんかアーカイブとして「情報」(記録)を残すって話と、「作品」(記事、表現)そのものを後世に残すって話がごちゃついてる気もする。しかも結局「議論のタネにすんな」に行きつくとしたら、この記事がすでに張り紙禁止の張り紙的矛盾に陥ってるなぁ。

 

##

 

と、ここまで文章をしたためていたが、アンディさんと会う機会があって、お話しすることに。

「ここまでしたためてるんスよ」と言ったら、そこそこ本気で嫌がられてしまった。あまりここに書くべきではないので曖昧に書くが、「こっちはこっちで話してて、その話は一応落ち着いてます」と言ってて、「だから、何も書かんでいいっすよ」みたいなことを言ってた。

そこで僕は「でも、もう、しょうがないです」と投稿する意志を告げたら、「何がしょうがないんですか…?自分でやってることでしょ…?」と言われた。

そのことをあまり考えると頭がおかしくなりそうだったので、「いや、ちょ、もう、しょうがないです」で押し切った。何がしょうがないのかを考えると、僕の脳が哲学的ショートを起こしてしまう可能性があった。あぶねー…(汗)

 

そーいえばだけど、思えばミジンコターボさんが解散したときだって、僕、「解散公演という興行をどう考えるか」みたいなことを書いたかもしれない。どうだったかな。少なくとも、そんなことを考えたのは事実だろう。書いてはないかもしれないが。

結局、どんなことだって第三者はタネにして考えて、ときには議論するもんだ、って話だったりもするのかなぁ。やっぱり、この記事ががっかりアバター及びアンディさんに肩入れしてるっぽい論調なのは否めない。別にどこぞの劇団が解散するにあたってサイトを消すと言ってるという事実があって、その事実をタネに「サイトは保存すべきか否か」の話が始まること自体は否定するもんじゃないからね。アンディさんを憑依させるとすれば、「ちょっと今その話は心がしんどい部分があるので、できれば見えないところでやって欲しい」ってことかな。

 

あまり関係ないけど、関係させる、モノモースの件。

実は「エンドルフィンについて」の記事に関して、尊敬する人からメールでお叱りを受けました。「肯定とも否定とも取れない文意で、妙にハイテンションな文体で、茶化したような記事を書くのは如何か」と。もちろん、もっと細かく指摘を受けた。とても反省した。少なくともあの記事に関しては、「この記事に一体どういう価値があるのか?」を考えたとき、僕も「無い」と反省してしまったので、消すことを考えています。つまりあの記事に、アーカイブする価値はないと僕は判断しました。ある一時の、妙にハイなチャラついたニュアンスしか記録できてない。

何を反省し、なぜ消すのかを書きたいですが、お叱りを勝手に公開することはできないため、僕が返信したメールを一部抜粋します。

 

たしかに「盗作ではないかという疑惑をネタに、おちゃらけている」と指摘されて然るべき文章だったと、反省しております。向き合うべき態度が曖昧なまま、調子に乗っていたのだと思います。「盗作かどうかは本人同士か裁きでしか決められないが、私個人は盗作だと考え、そしてそれを許さない立場である」ということは明確に表明しなければならなかったと思います。この「盗作だと考え、許さない立場」を隠した上で、そう考える人を味方につけようとしていたり、あるいはそうではない人を敵に回さないようにしたことが、(送信者)さんには良く思えなかったということだろうと思います。そしていただいたメールを良く読み、たしかにそれはいちびっているということに他ならないと、気づかされました。(中略)他人に言及する前に、もっと自分と向き合わなければと思います。謝罪、反省と同時に、感謝いたします。ブログ記事を削除、あるいは再度明確な意思表示をしようかとも考えますが、僕自身山崎さんからの言葉を今待っております。触れたい、触れなくてはならない、事を荒立てたくはない、黙っていると思われたくない、……ぐるぐるとして、ふざけた真似をしてしまいました。

 

(これは当時のメールです。今は原作クレジットが下り、さらに山崎さんが盗作ではないと断言しています。よって僕も、モチーフが行き過ぎて原作レベルになってしまったという出来事、だと認識しています。「原作レベル」とは記事中に明記しましたが、「盗作」という表現は、悪意があったりわざとだったりといったところがポイントになると思ったので、そのあたりを誤魔化したのです。誤魔化したうえで、何かを書こうとしたという反省です)

 

非常に、反省しました。

 

ほんと話があちこち行って申し訳ないが、戻します。そして僕は、ひとつ記事を消そうとしているわけです。そしてそれは、やっぱり僕の裁量で自由にしていいと思う。

でもね、でも、何も言わずにスッと消すことにはとても違和感があって。それはやっぱり、読み手の存在を大いに意識しているからかな。何か、代替する言葉を置いてから消さないと、まるで無かったことにするのはオカシイとは感じていて。だから、エンドルフィンの件に関しては、原作者との折り合いがついてるわけだから「原作者との折り合いがついたようですので、この気持ち悪い記事は消します」でいいんだけど。

だからまあ、消しますね。とにかく消す宣言をしてから消したかったんです。全然別の話題だったのに急角度ですみません。この記事については、本当に曖昧かつ非常に不適当な文章になっていたと思っています。

(ただ、現時点で出来事の流れがこうなったので、「やはり盗作とは断言しなくて良かった」なんてふうに感じざるを得ないのも事実です。表現者として、肯定も否定もしない曖昧な態度を恥じ、ハイテンションな文体を猛省すると同時に、その曖昧かつ軽薄な執筆態度でナニゴトかの責任を回避できたような気がしており、複雑ではあります。)

 

「消せ」と言われて消すわけではないということ。そして、なんぴとたりとも僕に「残せ」と要求しないこと。まずはそれを大事にしませんか、ということかもしれない。

急に自分のことを例に出してすみません。正直言って、モノモースという単語をここで出すことは、なにかとても混ぜっ返しているような気がして抵抗もありましたが、自分にとって「消す」「残す」とは何かを考えるうえで、不可避でした。実際、「エンドルフィンについて」の記事は、「この文章をここに残す」ということを強調していました。 今反省し、「これ残す価値ねーな」と「僕」が思ったので、「僕」が消します。ただ、もちろんこの文章そのものは「残す価値がある」と信じて書いています。

 

アーカイブの歴史的価値云々は、個人の意志を上回るのか。

「消す」ということは、「なかったことにする」ことなのか。「消せば」責任はなくなるのだろうか。誰かの「残したい」という想いは、本人の「消したい」を超えるのだろうか。僕がすでに消した記事を、誰かが保存することは許されるだろうか。それを発信することは許されるだろうか。それを止めることは許されるだろうか。

……あ、なんか話の流れ的にまるで「がっかりアバターはサイトを消したいとすごく思っている」みたいな感じになってるかも。それ、全然知りません。消すというアナウンスがあっただけです。色々大袈裟にしてるので、誤解に気を付けながら。

 

例えば絶滅危惧種の保護には、やっぱり価値がある。多様性の研究に不可欠だし。でももし、もし880体のマウンテンゴリラが、「いや、俺もういいんスよ」と言ったとしたら、……おあー、これを言い出すと自殺を止めるなっていう話になっちゃう。意志を尊重しろが行き過ぎて、話がキモくなる。できれば僕は自殺を止める側には立ちたい。いいや、そろそろやめよう。絶対に書き過ぎだし。この先は大体宇宙の話だし。

 

特に結論も無いです。

 

あ、でもこれだけは。そうだそうだ。最後に書こうって言ったやつ。

サイトを残すってのも、べこっと放置してりゃ残るってわけじゃなくて、わりと「残す」っていう意志が必要だから、「残せば?」って簡単に言うなよ、とは思うかな。放置でいいなら放置するけど、それって管理下から離れるってことだからね?基本的には、「残せば?」=「管理継続すれば?」だから。解散するっつってんのに。「解散するなら、情報を残すための段取りはした方がいいかも」っていう話はもちろんなんだけど、もし「いや別に消さんでもえーやん」ってかるーく思ってる人がいたら、それは簡単に言い過ぎじゃない?ってことは言いたい。この件に関して、「別に残しといてくれても…」なんて「別に」とかいう修飾をして語るのは、ちょっと安易だとは思います。劇団解散後に残ってるサイトって、残されてるわけではなく、放置されてるだけでしょ。多分、それってその後の活動に悪印象じゃないかな。

あ、ちなみにこれはそんなツイートを見かけて、空リプ的にそれをめがけているわけではないです。わりとWEB観(ウェブかん:僕が今作った言葉。世界観みたいなやつ)が甘いとこう思いがちな気がしたので、そこはきっちり前提として否定しておこうと思って。ここにきて前提て。時系列が。

 

いっぱい考えて疲れました。僕は、こうやっていっぱい考える思考の過程って、ひとつのエンターテイメントになるんじゃないかなって思っています。論文には程遠く、随筆とも言えないほどに散らかった文章ですみません。場合によって、肯定も否定もしないという態度にはこれからも気を付けたいと思いますが、肯定と否定を頭の中で戦わせることは続けたいと思います。それは態度を曖昧にすることではなく、態度を明確にしなければできないことであるとも思います。 

 

みなさんはどう感じますか。良かったらコメントをお願いいたします。

 

がっかりアバターが解散したのは喪失感があるし、一緒に作品を作った仲だからもうちょっとがっかりアバター自体について書きたいところ、変な話題で申し訳ない。

がっかりアバターについては、またちゃんと書こう。

 

もし劇団員の皆様、ここまでお読みでしたら、本当、お疲れさまでした。

今後とも、よろしく。

 

(了)

知らないことを知っていることを知らないあんたはもう知らない

知らないことを知っていることを知らないあんたはもう知らない

 

***は僕のことをいつも馬鹿にしてきた。「そんなことも知らないのか」「どんな家庭で育ったんだ」「信じられない」と、僕の存在を何度も否定してきた。怒鳴り散らして、嘲笑してきた。大袈裟に溜息をついてみせて、頭を抱えてこちらを見てきた。何度も、何度も、何度も。僕はそのたび、僕のすべてが否定されている気持ちになった。現在の僕だけではなく、「知らずに育ってきた今までのすべて」を否定されている気持ちになった。事実、否定していたのだと思う。何度も何度も、「ありえない」と言われた。僕はここにいるのに、いないことにされた。ここにいないことが「ありえて」、ここにいることが「ありえない」ことにされた。だから、僕も同様に***の存在を心で否定してきた。僕は間違ってない。***が間違っている。そうしないと心が持たなかった。というか、持たなかった。だから。

 

いつまでも持っていた金属バットを、やっと机に置いた。

 

エッフェル塔を知らなくてごめんなさい。

日本三景を言えなくてごめんなさい。

マティスを知らなくてごめんなさい。

白い巨塔を読んでなくてごめんなさい。

KPIがわからなくてごめんなさい。

アリストテレスを知らなくてごめんなさい。

終戦記念日を言えなくてごめんなさい。

天保の改革がわからなくてごめんなさい。

連合赤軍がわからなくてごめんなさい。

衆議院参議院の違いが言えなくてごめんなさい。

現在の総理大臣が言えなくてごめんなさい。

現在の大河ドラマを知らなくてごめんなさい。

昨日のニュースを見てなくてごめんなさい。

クリムトを知らなくてごめんなさい。

イスラム教を知らなくてごめんなさい。

紛争の理由を知らなくてごめんなさい。

アンリアレイジを知らなくてごめんなさい。

珈琲を煎れられなくてごめんなさい。

小劇場を観たことがなくてごめんなさい。

ブリジストンの由来を知らなくてごめんなさい。

チャールズ・ブコウスキーを知らなくてごめんなさい。

美術館に行ったことなくてごめんなさい。

秋刀魚が読めなくてごめんなさい。

自分の血液型を知らなくてごめんなさい。

結婚式に行ったことなくてごめんなさい。

Excelを操作できなくてごめんなさい。

お葬式に行ったことなくてごめんなさい。

野球場に行ったことなくてごめんなさい。

台湾ラーメンを食べたことなくてごめんなさい。

Altキーがわからなくてごめんなさい。

着物を着られなくてごめんなさい。

神社とお寺の違いがわからなくてごめんなさい。

教会に行ったことなくてごめんなさい。

性交渉の経験がなくてごめんなさい。

一眼レフを扱えなくてごめんなさい。

新書を読んだことなくてごめんなさい。

バスの乗り方がわからなくてごめんなさい。

アプリの消し方がわからなくてごめんなさい。

創業者を知らなくてごめんなさい。

歌舞伎を観たことなくてごめんなさい。

M-1を観たことなくてごめんなさい。

となりのトトロを観たことなくてごめんなさい。

証券会社を言えなくてごめんなさい。

株価がわからなくてごめんなさい。

為替がわからなくてごめんなさい。

確定申告ができなくてごめんなさい。

紹興酒を飲んだことなくてごめんなさい。

小籠包を食べたことなくてごめんなさい。

そんなことも知らなくてごめんなさい。

自動車免許を持ってなくてごめんなさい。

眼科に行ったことなくてごめんなさい。

平等院鳳凰堂を知らなくてごめんなさい。

都道府県を全部言えなくてごめんなさい。

炭火を起こせなくてごめんなさい。

テントを立てたことがなくてごめんなさい。

ブレヒトを読んだことなくてごめんなさい。

浮世絵を見たことがなくてごめんなさい。

裁判所に行ったことなくてごめんなさい。

パラボラを知らなくてごめんなさい。

市外局番の意味がわからなくてごめんなさい。

釣りをしたことがなくてごめんなさい。

手続きをしたことがなくてごめんなさい。

首都が言えなくてごめんなさい。

標準時子午線がわからなくてごめんなさい。

南回帰線がわからなくてごめんなさい。

デイトナを知らなくてごめんなさい。

泳いだことがなくてごめんなさい。

シューベルトがわからなくてごめんなさい。

坂本龍馬を知らなくてごめんなさい。

煉瓦が読めなくてごめんなさい。

ネクタイを結べなくてごめんなさい。

16号線がわからなくてごめんなさい。

CDを買ったことがなくてごめんなさい。

クライアントがわからなくてごめんなさい。

飛行機の乗り方がわからなくてごめんなさい。

9月9日が何の日か言えなくてごめんなさい。

人口を知らなくてごめんなさい。

相場を知らなくてごめんなさい。

接し方がわからなくてごめんなさい。

挨拶ができなくてごめんなさい。

 

何にも知らなくてごめんなさい。

何にもできなくてごめんなさい。

 

でも僕は、知らないことを知っていて、知らないでいる僕がありえることを知っていたから。だって、ここにありえたんだから。***と同じように、ここにありえたんだから。僕からすれば、***のほうがありえないんだ。僕をありえないと言う、***こそがありえないんだ。だから、勝負したんだ。どちらがありえるか戦っただけだ。そして僕は勝ったんだ。汚れた金属バットと、転がった***が物語っている。僕は勝った。僕がありえたんだ。僕はここにありえたぞ。僕は、ここにいる!

 

・・・

 

「続いて、この凄惨な事件ですが…。玉山さん、どう思われますか。」

 

「非常に残酷で、恐ろしい事件ですね。ちょっと考えられないと言いますか…。彼はこれが初めての就職で、それまではずっと家に居たと…。ネクタイの結び方も分からなかったんでしょ?読書のひとつもしたことがないと。自室にはテレビもなく、インターネットほとんど触らなかったそうです。28歳になるまで、彼は一体どういった人生を歩んでいたんでしょうか。しかも彼はそういった自分の無知、世間知らずゆえのストレスを、すべてこの上司である堂島さんにぶつけたんです。

常識のなさを責めた堂島さんに対しパワハラだと責任を求める意見もあるようですが、私はそうは思いません。そもそも彼自体が異常に浮世離れしているわけですから。具体的な作品名は避けますが、非常に国民的なアニメ作品も、彼は知らなかったそうです。そういった情操的な部分に関しても、ひどく幼いまま大人になってしまったのでしょう。周りが当たり前に知っていることを知らないのは恥ずべきことであると、そんな当たり前の価値観が未熟だったんですね。彼の書いた通称「ごめんリスト」をすべて読みましたが、ひとつひとつは本当に、極めて常識的な知識でした。もちろん、それを知らないでいることが特別なことであるほどではないと思います。ただし、それらが積み重なることで、彼はやはり異常に思える。彼には知らないが多すぎる。それをある程度責めることは、至極当たり前のことだと私には感じられます。やはり、じゃあ君は何を知っているんだと問いただしたくなる。それを暴力で……。

これはね、ありえないことですよ。彼の無知や浅はかさが第三者に暴力という形でぶつけられた、許されざる悪魔の所業だと私は考えます。」

 

END