プライバシーの侵害だ

匿名劇壇という劇団を主宰する福谷圭祐のブログ。このブログは基本的に自分のためだけに使おうと思います。考えをまとめたり、情報を整理したり。ま、もちろん他人の目に触れることは意識して書くけれど。 でも、あまり読まれたくはない。だからタイトルは、 「プライバシーの侵害だ」 。

「水の泡」について、ぜんぶ正直に書きます

お世話になっております。

 

Building303「水の泡」がいかに面白いか、を書きます。

 

タイトルはちょっと釣りです。ごめんなさい。

僕がこういう風に書いたら、ディスりを期待してアクセスしてくれるんじゃないかなと思って、ちょっと悪いことしちゃいました。

正直に書く、は嘘ではないので、どうかお許しを。

 

戯曲が面白い

 

「水の泡」はタカイさんの処女作です。作家にとって、処女作というものは重いものです。大学時代、たくさんの自主公演を観ました。多くは、それが作家の処女作でした。処女作というのは、ガチなんです。……どう表現しましょう。もちろん作家の性質にもよるでしょうが、多くの場合、処女作はガチだと思うのです。ここで言う「ガチ」とはなんぞや、と説明をしたいところですが、多くの意味をはらんでいて難しい。

そのまま「処女」として捉えて構わないような気もする。処女って、ガチじゃないですか。これも人に寄るでしょうが、だいたい、処女って「ガチ」でしょ?

……このニュアンスで問題ないのかな。変な説明になってますが、決してネガティブな意味ではないです。例えば、初めて口にする「愛してる」と、三十回目の「愛してる」のガチさの違いかな。口にするのも、耳にするのも、ガチさが変わるでしょ。というより、ガチさを客観視できるようになるでしょ。

無我夢中っていう意味のガチかな。うーん。うまく言えないけど。

 

でもね、「水の泡」、全然処女作っぽくないんです。不思議なことに。それって、タカイさんがすげー勉強するタイプの人だからだと思うんですよね。童貞のうちに、すっごいテクニックとか知識を詰め込んでくるタイプの人だと思うんですよね。

単純なことだけど、台本の書式とかも。

僕なんかが初めて書いたときは、もう段落とかグチョグチョだったり(今でも)、ト書きなのか台詞なのか分からん見た目になってたり(今でも)するんです。「紙の節約じゃい」とかほざいて、字を思い切り小さくしてギュウギュウに詰めたりして。ほんでスタッフさんに「普通の書式でください」とか言われて。「すみません」つって。

演出のときも調子こいて「じゃあ、ヒカリがハンカチを出すシーンから行きます!音照さんオッケーっすか!?いっきまァす!」とかキラキラほざいて、「あ、悪いけどページ数で言って」とか言われて。「すみません」つって。

 

ほんと単純なことだけど、ハナっからそういうのが整ってるっていう。

これは僕の思う、「処女作的ガチさ」とは対極なんですよね。とても、ちゃんとしてるんです。訳の分からないところが一つもない。大体「処女作的ガチさ」満載の処女作って、「いやもう難解過ぎるわ、そのシーン」みたいな、「ここで国王は自分の服を脱ぎ、丁寧に畳み、その後、破いて泣く」とかいう「ちょ、なに!?」みたいなシーンがあると思うんですけど、そういうのが無いんですよね。しかもこの国王は一言も台詞を発しないし、ずっと舞台上部に鎮座してるだけ、とかね。

 

例えばサリngさんの「僕のヘビ母さん」なんかは、処女作的ガチさ満載だと思うんですよ。すでに評価もされてるわけで、量産タイプの作家(? ちょっとこの表現はテキトー。読み流してください)になるルートもあっただろうに、処女的ガチさでちゃんと書くサリngさんってマジすげーし超おもしれーって思ってるんですけど。

 

そーゆーのを、すっごい確信を持ってぶち込むことが「処女作的ガチさ」だとして。

 

その愛すべき「処女作的ガチさ」溢れる表現が抑制された、処女作。

なかなか珍しい、面白い戯曲だと思います。「これが書きたくて書きたくてたまらんねん!!」が見えない。あると思うんだけど、それをぶりぶり綴ることの良くなさを知ってる、みたいな。好みで言うと逆だったりするんだけど、そこはご愛嬌。

 

とはいえ、ある種の豪快なところが無いわけでもない。そこを見つけると楽しいと思う。地味なんだけど、これを「普通の劇だね」とは言えないと思う。

普通の劇なんだけどね。気持ち悪いと思うよ、この感じ。

 

三好さんが面白い

 

で、Buildingにおいて、「ガチ」なのって三好さんなんですよ。タカイさんの本来の性質としては、「ガチをコントロールする人」なんです。うーんと、つまり、タカイさんは無我夢中系の人間ではないんです。知らないですけど。性質としてはそうだと思う。

 

対して三好さんは、もうホントすぐ命とかをかける。演劇との向き合い方とか話を聞いてても、三好さんはホント、「明日死んでもかまわないよう、今日を全力で生きる」タイプの人間。そういえばレモンキャンディのアフタートークで話したら、樋口ミユさんもそのタイプだった。

僕なんかは、「明日死ぬわけないから、明日を全力で生きるため、今日はもうパワプロをする」タイプの人間だから、(そして翌日も同じだから)、ほんと尊敬しかない。

 

「1000人に会いに行きます!」企画も、脱帽。

togetter.com

 

っていうかこれに関しては脱帽してる場合じゃなくて、もっと協力しなければならない。生来の引っ込み思案と、今月マジで忙しい、っていうことを言い訳にしているが、まずいまずい。単純計算で座組で割ると、一人140人くらいは会いに行かないといけない。多分今、僕、2人でフィニってる。さすがに2人でフィニったら千穐楽のあと体育館裏に呼び出されるかもしれん。(どこの?)

……もうちょっと頑張ろう。これで三好さんが過労で倒れたりなんかしたら、夢見が悪いわ。大塚さんも、東京から来て大阪で走り回っている。すげーなーと思う。なんでこの人たち、こんなに頑張れるんだろう。もはや演劇が好きとかいう次元ではないと思う。たぶん、キングコング西野さんとかロンブー田村さんが、もはやお笑いが好きとかいう次元じゃないのと同じだと思う。原動力が、「好き」とかじゃない、なんかもう、ヤバいやつ。

 

 

舞台演出がたぶんカッコイイ

 

役者にはまだ浅いレベルでしか想像できてないし、ネタバレ緘口令も出ているから、あんまり語れないんだけど。いわゆる小劇場ではなかなか見られない演出があります。うーん、と言っただけじゃあんまり意味ないしなー。

 

なんだろう、ドラマでしか見なかったり、現実でしか見なかったり、特別なときしか見なかったりするものが、舞台上で見られると思います。このあたりは僕も楽しみ。

 

あー、それでいうと、小劇場では多くの場合ガチじゃない「とあること」が、今回はガチです。なんの衒いもなくガチで、ここに処女作性は現れてたりするかも。

わけわかんなくてごめんね。

 

 

Building Hという、何か

 

これもどんなふうになるのかまだ想像できてないんですが、ちょっとしたお祭り的なことになるんだと思っています。この間、稽古場見学にバリスタさんやデザイナーさんが来てくださっていましたが、みんなヒゲを生やしていました。Building HのHはヒゲかと思いましたが、そこはやっぱり平成でした。

 

 

佐々木ヤス子と僕

 

このブログを読んでくださっている人は僕のことを知っていると思っていて、僕のことを知っている人は佐々木ヤス子のことを知っていると思っているんですけど。

僕と佐々木ヤス子が共演しているのは、ちょっと良いと思います。

この二人はこの座組の中でもかなり「演出の指示が入っていない方」なので、わりと自由に演技をしています。佐々木ヤス子さんは調子に乗って、台詞にないことまで言い出したので、そこは僕がタカイさんに代わって諫めておきました。でも、彼女は次もまた、台詞にないことを言っていました。

 

f:id:tokumeigekidan:20170623153453j:plain

 

先日発表された相関図で独立国家を築いていた佐々木ヤス子さん。正直な話をすると、僕は彼女の役の今回のオモシロなところを、「んー、ヤス子さんのこういうのは、おもろいけど、ぶっちゃけどうでもいいんだよなー」と思って眺めていたりします。

 

詳しくは是常さんブログ参照。

やっちゃん。|日々是常。

ameblo.jp

(すごく同意した)

 

そのヤス子さん的テクニックと遊びつつも、内在しているものが多いやり取りになるといいなと目論んでいます。彼女は今回、概ね僕と絡みます。なんとかこう、「あの二人、ふざけてたけど、実は一番演技で語れてなかった?」みたいな結果になると、主役二人を殺せるなと思っています。いい芝居ができる余地がある本なので、いい芝居がしたい。

 

でもなー!!正直苦しんではいるんだよねー!

「いやこの芝居じゃつまんねぇだろ…」っていうルートに行きがちだし。あ、これは僕限定の話ね。ぶっちゃけ、今は忌避しているタイプの、なんかこう、類型的な、類型的ってのも便宜上で、「いわゆる典型的」っていうか、なんていうの、この世に典型的な人なんていないじゃないですか?この世に類型的な人なんていないじゃないですか?その、こう、漠然としたイデアに依拠する演技になっちゃうのが、たまんなくつまんないんだよなー…。

「こんな人いそう」で「いない」より、「こんな人いなさそう」で「いる」がやりたい。(何気にサラッと名言出してもうた。こんなこと、誰か著名な作家言ってそう)

 

役を殺したくはないね。頑張ろう。

 

また書きますわ。

 

ぜひ観に来てください!!!

 

よろしくお願いいたします!!!

 

詳細はこちら!

Building303_水の泡

 

このブログを読んで予約しよっかなと思ったらこちら!

http://ticket.corich.jp/apply/82467/fuk/

 

(了)

大きく息を吸って、沈黙!

ちんもーく

 

あたしは沈黙した。何と言うべきなのか分からなかったから。そうしているうちに、「何と言うべきなのか分からない」ということを、まずは言うべきではないかという気がしてきた。それでも沈黙した。だんだん、「言うべきこと」を「言うべきかどうか」で悩んでいるのが、馬鹿らしくなってきた。「言いたいこと」を「言いたいときに言おう」と思った。……結局、何が言いたいのかはあまり分からなかった。だからまた、沈黙した。

 

そんな思いを、そんなままで、吐き出してみることにした。それは結局、沈黙だったけれど。大きな声で、沈黙した。みんなの前で、叫ぶように、沈黙したのだった。

 

#####

 

恥ずかしがり屋

 

鼻血を隠すキミが、なんだか愛おしかったから。

おちんちんは平気で見せるし、そこから出てくる白いのも、平気であたしに見せてくるのに。

鼻血が出たとき、照れて血を隠したキミが、なんだか愛おしかったから。

 

そういえばキミは、うんちも隠すし、おしっこも隠す。

そんなキミの、照れた姿が可愛くって。

 

脳みそとか内臓とか、ごめんね。

そんなに、全身真っ赤にして、恥ずかしがらなくってもいいのに。

 

かーわいい。

 

#####

 

君の成長

 

ミルモでポン!」の話がしたかったのに、圭くんは「でんじゃらすじーさん」の話ばかりするから。男の子って、子供だと思う。圭くんは、どんな大人になるのかな。あたしの心を掴むために、「ミルモでポン!」をしっかり前日に読んでくるペテン師になるのかな。それとも「ゴーマニズム宣言」を読まないあたしを、優しい目で眺める政治的パリピになるのかな。いずれにせよ不快だから、「でんじゃらすじーさん」がいかに面白いかを語る、目の前の圭くんを今は好きでいようと思う。

しばらくして、圭くんが漫☆画太郎の話をするようになった。変な奴になるかもしれん。

 

(了)

演劇用語の基礎知識

お世話になっております。

 

今日は演劇用語の解説をします。

 

  • アクティングエリア

役者同士の芝居が成り立つ距離感。例えば、「その泣いている芝居をしているタケモトにそれ以上近づくと、タケモトの芝居に飲み込まれるから、離れて」などと演出家が言ったとする。このとき、タケモトが放っているオーラがアクティングエリアである。

 

  • あごあしまくら

アンドロイド演劇の台頭により、役者の脳に価値が無くなった。頭を枕に置くのではなく、「発声」を司るあご、「動作」を司る足を、頭よりも大切にせよというスローガン。

 

猫背矯正器具を付けたまま舞台上にあがった役者に対し、観客が叫ぶ掛け声。「ヨッ、板付き!」というように用いられる。

 

  • いちべる(1ベル)

携帯電話の電源を切り忘れた観客の電話が鳴った時、それを即座に止めるためにスタンバイしているボーイ。一列目にいるのが1ベル。二列目が2ベルである。最後列のケツベルから始まり、成果を挙げればそのまま舞台上にあがれると言われている。

 

  • インカム

特に意味のない言葉。舞台監督が「ここはインカムでキュー出します」と言っているのは、単なる鳴き声なので、全く気にしなくて良い。

 

  • エアモニ

エアーモーニングの略。本番当日の起床確認連絡で、「起きました」と連絡をしたあと、眠ってしまった場合、「あいつ、エアモニかましてない?」などと劇場で騒がれる。

 

  • がなりマイク

声の大きな音響さんのことを、みんな陰でこう呼んでいる。

 

  • かみて(上手)

舞台上部。

 

  • キッカケ

演劇界において「キッカケ」といえば、なぜこの業界を選んだかを尋ねられていると思ってよい。「キッカケは?」「ここ、キッカケどう?」といわれた場合、君がどうして演劇を選んだのかを語ろう。ベテランになると、「キッカケは?」を無視しても良い。

 

  • キャパ

カンパのこと。公演が赤字になったとき、「なんとかオシャレな言い方はできないか?」と、唐十郎が生み出した言葉。カンパが大量に集まり黒字になることを、キャパオーバーという。

 

  • ケータリング

お供えもの。楽屋などに置かれているお菓子類は、劇場に捧げる供物であるため、決して手を付けてはならない。敬侘輪倶と表記する。

 

ネコババのドイツ語。「この劇場、楽屋ゲネプロが出るらしい」と使う。

 

  • しこみず(仕込み図)

主に舞台監督が手にしている「恥ずかしがらずに人と話す方法」が書かれた紙。シャイな性格が多い舞台監督。破いて、積極的に笑顔で話すと、きっと仲良くなれる。

 

  • しもて(下手)

劇場地下。

 

  • そでまく(袖幕)

唐十郎にお金がなかったころ、「てめえら半袖で十分だろ」と、極寒の中、観客の長袖を破いていき、その袖で幕を作ったという伝説のこと。

 

  • ソワレ(soiree)

女性向けサービス。

 

  • つなぎまく(つなぎ幕)

そでまく(袖幕)に同じ。

 

  • ばあたり(場当たり)

イライラした演出家が、灰皿を投げた時のその反射角度の様子。うまく柔らかいところに着地する空間を、「ここは場当たりが良い」という。

 

  • バトン

給湯室。「お、ここの劇場バトンあるやん!」と、やはり嬉しい。

 

  • バミる

打ち上げの定番はバーミヤン千穐楽などで、「今日はバミりまーす!」と声が飛ぶ。

 

  • ピーエー(PA)

音響スタッフの鳴き声。無視しても良い。

 

  • ピン(PIN)

照明スタッフの鳴き声。無視しても良い。

 

その実態は謎だが、この幕を汚したり傷つけたりすると、非常にまずいという伝説だけが残っている。

 

  • マチネ(matine)

男性向けサービス。

 

  • もぎり

開演ぎりぎりに駆け込んでくる観客。「ごめん、今もぎりが来たから3分押します」などと使う。

 

この知識を用いて生じた被害について、一切の責任は取りません。

あしからず。

 

【参考】

http://www.city.bando.lg.jp/page/page000653.html

 

(了)

『エンドルフィン』について

お世話になっております。

 

『エンドルフィン』が盗作かもしれない、にまつわる話を書きます。

ただし、無意味に拡散されることを目指すわけではないので、特に詳細も示さず、「分からない人には分からない」でいいと思って書きます。

 

自分の誠実さを、自分の本音を、自分が自分だと認識している部分を、ドロリと引き摺りだすとすれば。悪い芝居の山崎彬さんになんて、嫉妬も嫉妬、大嫉妬で。作風に憧れるし、多方面で評価されているし、顔が格好いいし、仕草も格好いいし。生物的な、ただひたすらオスとしての敗北感を感じてしまうことが多くって。

だから、もし、『エンドルフィン』が盗作だったのだとしたら、僕はともすれば、笑顔になってしまうのかもしれなくて。「ひゃー!パクっちゃった、パクっちゃった!表現者の風上にも風下にも置きたくねーから、無風の地下室でワッホホーイ!」とか訳のわからないことを言ってしまうかもしれなくて。もちろん、それってどうかと思う感情だと思うから。自分の感情の在り方を見定めようとしつつ、今も。

 

正直、今自分が何を書こうとしているのか、曖昧です。

まず前提として、「盗作だ!盗作だ!」と騒ぎ立てるつもりはなく。また、該当作と比較し、どこがどう似ているかを検証するつもりもなく。あくまで公式発表に沿って、その「該当作」についてもここでは出さないようにするし。

今、自分が何をどう思っているのかわからなくて。ただ単に、それを探し出すためにこの文章を書いているに過ぎなくて。だから、そうだな、まず「このくだりに関してのレポやまとめ的な何か」を期待している方向けのブログでは、ないかな。やまもといちろう的告発ブログではないので、事実の検証もしません。

 

こういう、ともすればデリケートなものをデリケートな立場のまま触れるとき、僕の文章は異常なほど輝きを見せるっていうことも自分でわかっていて。その輝きを出すための材料にしたいだけなのかもしれない、なんて打算的な考えも、本音をズルリと出せば出てきちゃうような気もしているし。

とはいえこうして書きながらも、考えはぶれていく。どこがどう似ているかを検証するつもりはないと書いたが、「似ている、というレベルのものではない」ということは書かなければいけないし、今書いた。ツイッターでも書いたが、『エンドルフィン』に「似ている小説」と言われているものは、いわゆる「原作」として扱われるレベルの「似てさ」だった。筒井康隆『毟りあい』→野田秀樹『THE BEE』のような。随分昔の記憶なので曖昧だが、「再現度」で言えば本作の方が高いのではないかとさえ思っている。

 

多分、著作者がこの事実を知るかどうかは微妙だし、たぶんこのまま訴えなど起こらないまま時が過ぎていくだろうし、ことの真相みたいなものも当然僕にはわからないままで。それにそれを暴くために暴れようとも思っていない。あくまで感情の整理?エンドルフィンの感想?……でも、少なくとも、「指摘された作品と、物語の内容及び台詞もたくさん一致していた」っていう事実は伝えなきゃと思っているかもしれない。それってなんでだろう。

アフタートークで、僕、最後に、本心からこう言った。「この作品って、(こんな豪華なメンバーなのに)一万人も見ないでしょ?そんな中、この作品を見れた(ごく少数の)一員になれたことが本当に誇りだし、そしてここでこうしてお話しさせてもらえたことが、心から光栄です」と。なんか、そのときの気持ちに本当に嘘がなくて。おべっかでもなんでもなく、スルスルっとこんな言葉が出てきて、多分一緒に舞台上にいたお三方に想いは伝わったと思っているんですけど。つまりその、「(ごく少数の)一員」である責任?優位性?自尊心?みたいなものが原動力なのかなと推測もしつつ。あ、ちなみにアフタートークに出させてもらったってことより、観客としての、目撃者としての意識のほうが強いとは思います。

 

んで、あとは僕も作家だと自負しているからか?

そうだな。少なくとも、「似ている小説があると騒ぎになっているけど、面白かったし、大満足!関係ない!」という気分にはなれない。すごく関係がある気がしてしまう。また、「似てない!」とも思えないから。「面白かったし、似てる」っていうスタートライン。

クリエイターとして「おもろかったらええやん」ではいけないと思えてしまう。それは、爪楊枝をじゃがりこに突っ込むことに似てる。おもろくても、ダメなものはダメだ。そして、ダメなものはダメでも、おもろいのだ。おもろさと、ダメさを、遠心分離機にかける。まあ、爪楊枝をじゃがりこに入れることは面白くはないけどさ。

 

ただ、ロコローションよろしく、後から許諾を取ってクレジットが足されたら大満足、っていうような気持ちではないことは確かで。また山崎さんが完全に盗作を認めて謝罪したら大満足、なんて訳でもないけど、もしかしたらそれで自分は喜んでしまうのかもしれない、なんて恐怖だけは抱いてて。ってことは糾弾したくてたまらないんじゃないか、と思うけど、いやほんと、自分はそんなにゲスな2ちゃんねらー的性格じゃないはずでしょって思うし。何に対する保身で、こんな曲がりくねった文章なのかと落ち込むし。

 

山崎さんとは一度しかご挨拶をしたことがなく、今回もお会いできず。

 

んー。

今、僕はもしかしたら、こんな未来を過ごせると、満足するのかもしれないってのを思いついた。

山崎さんと会って、「やっちゃいました?(笑)」と僕が言って、あとは殴られるか無視されるか抱きしめられるか泣かれるか笑われるか、わかんないですけど、結果がどうあれ、「やっちゃいました?(笑)」って言えれば、満足するのかもしれない。でも、それをこんなふうにブログに書いてしまうのは、なんでだろう。面と向かっては言えないような気がしているからかな。自己顕示欲も、あるんだろうな。いずれにせよ、自分の、なにか、最初に書いた通り、「自分の誠実さを、自分の本音を、自分が自分だと認識している部分を」ドロリと引き摺りだして、こんなことになってんだな。キチャネーもんしか出てこねーや。ライチ光クラブだね。俺のないぞーも汚れてんだ。

 

モノモースサイトのメッセージ。

「あれじゃ物足りない」という意見も見た。あれで物足りないのは「認めるか、認めないか」の部分だと思う。あのメッセージから僕がくみ取ったのは、「イメージのひとつであった小説の存在を、モノモースメンバーは知りませんでした」という内容のみ。確かに「認めるか、認めないか」からは逃げていると思う。でも、逆に言うと、山崎さんがちゃんとそこを引き取ったわけで。モノモースメンバーは、『エンドルフィン』という戯曲と向き合っただけだということで。その『エンドルフィン』という戯曲に対する云々については、作家である私が引き受けます、っていうメッセージに僕は見えて。だからやっぱり、僕もモノモースと『エンドルフィン』は分けて、『エンドルフィン』の話をしたいと思う。

 

多分この公演はもうDVDにはならないだろうし、戯曲も出ないだろうから。おそらくは上演を目撃した2000人以下(推測)の、小さな事件。これは、その中のモブキャラのブログ。

 

糾弾するつもりはないし、多分今後も山崎さんの公演を観に行く。

 

ただし、『エンドルフィン』は、「ある小説」と似ていたのだと、書く。ちゃんと書く。これは多分、これもまた、『エンドルフィン』の感想なんだ。……「ある小説」って、なんでそこを僕も伏せてしまうんだろう。矜持?マナー?気遣い?恐れ?ま、ほんの少し積極的に調べるだけですぐに分かることだからかな。「ほら!これこれ!これと似てるんだよ!ほら!これこれ!」的なことではない、ということを強調したいのかもしれない。でも、「似ていた」って事実を伝えたいって、なんだこのバランス。ほんとハンパで嫌になる。

 

どーせ、騒ぎを聞きつけた野次馬も、このブログを読んでんだろーな。感想をツイートする人ひとりひとりに、「〇〇と似てるんですよ!」となぜか悲痛なほど訴えてたあの人も、見てるんだろーな。「〇〇と似てるんですよ!」というリプライを受けたあの人も、読んでんだろーな。

 

ふん。プライバシーの侵害だぜ。

でも読んでくれてありがとうな。

 

僕は、『エンドルフィン』を、観たんだ。

そして、こんなことを考えている。

 

それを、残したかったんだ。

 

それだけ。

この記事、何年残るか知らねーけど、知らねーよ。

 

出演者三人も、美術も音響も照明も、演出も、マジですげーって思ったから。

それはそれで残すし、これもこれで残すから。

 

(了)

レモンキャンディ、終わりました。

お世話になっております。

 

f:id:tokumeigekidan:20170602175403j:plain

匿名劇壇第九回本公演「レモンキャンディ」、終演いたしました。いやあ、疲れた。だけど、東京公演ができてよかった。色々、意識とか変わりつつある。少し前まで「アフタートークなんて、ニガテだし。ダセェし」と思っていたけど、それも楽しくやれた。次回公演でも、アフタートークはやりたいな。東京公演は毎日アフタートークがあって、楽しかった。

 

なんだか今回の公演は、肩に力が入っていて、とても疲れた。

立ち上がった演劇作品にはある程度満足していたものの、ごめん、やっぱり言ってしまうけど「これは本が面白くない」。でも、ちょっと今までと違うのは、どこをどうしたら面白くなるのかが、すごくわかる。今から書き直したってかまわないくらい。土田さん、横山さんとのアフタートークでほぼタネはバレてるけどね。

あと演出についても、反省点がある。演出についての反省点なんて、今まで気づいたことがなかった。大体全部本のせいにしてきたけど、今回は演出の良くなさが見えた。これって、僕にとってすごく斬新な体験で。衣装、美術、チラシ、音、明かり、すべて統べる者として、手の届いてなさを知ることができた。役者との作り方も、同じく。

 

んでんで、北川さんはアフタートークではお手柔らかにしてくれたけど、楽屋裏なんかでは伝えるべきことをちゃんと伝えてくださって。「戸惑えよ」のときは頭真っ白で何にも聞こえてなかったけど、今回はすごくクリアに聞こえた。北川さんが「自分が伝えられることを、伝わる言葉で、伝えることが、僕の使命」的なことを考えて話してくれているのがすごく伝わって、ありがたかった。ちゃんと劇団員とも共有しなければ。

 

  • 「何を表現したいのか」

 

それと向き合って、次は作ろうね。

「何を表現したい」が一切ないまま、「さも何かを表現しているかのように描ける」という僕の才能は、もういいや。何にも隠し持っていないのに、「さも何かを隠し持っているかのように見せることができる」という僕の才能は、もういいや。この部分に関して、僕はぶっちぎりで天才的だと思っている。才能のバロメーターが、この衒いの能力に全振り分けされていると思っている。それはそれで武器だから、それで戦いたくもあるんだけど、さ。他の誰とも違う僕の能力ってそれなんだけど、それじゃ戦えないフェーズに来てるんだろうな。それこそ、学校一の爆笑王や道頓堀の人気者くらいなら、その能力でなれるんだろうけど。プロになろうぜ、プロに。まだまだ、アマいな。

しっかし変なモンを能力にしちまったもんだぜ。能力バトルなら完全にジョーカーだろ。「あなたの能力は、“とてもすごい能力を持っている”と相手に思われる能力です」だろ。問題なのは、わりと「それを見破る能力者」がその辺にごろごろいることなんだよな。だからもうそんな能力はさておきで、さっさと金属バット持とうぜって話ですよ。

 

んー…。本当はね、お金を貰って公演をしているわけで、あまり自分や作品を腐すようなことは言いたくない。でも、そこに嘘をつき始めたら、終わりだと思っている。僕は僕に誠実でありたい。せめて僕だけが、僕に誠実でありたい。だから、「面白くない」なんて暴言をどうか許してほしい。まーでも性格だからなー…。死ぬまで言うのかもなー…。カフカだって、全部燃やす気だったんだぜ?

ただ、俳優は良かったと思う。いい劇団の、いい芝居だったと、そこは自負している。

 

さて、せっかくなので、いろいろ振り返ろう。

 

  • 唐揚げとレモン

 

冒頭の唐揚げとレモンのやり取りは、カルテットの第一話と似てる?被ってる?そのまま?それ以下?なようですが、これは偶然でした。役者に渡したとき、石畑だけカルテットを見ていたようで、「これ、カルテットですよね?」と言われたことを覚えている。僕は見ていないので、偶然の一致です。さすがにカルテットは人気ドラマなので、「え、ヤバい?めっちゃ似てる?パクリレベルで似てる?」と激しく尋ねました。

ドラマを見て直すか、あるいは被っているということで仕方なく引き下げるか悩みましたが、やっぱり「唐揚げとレモン」っていうちょうどいいアイテムを引き下げたくなくて。しかも「冒頭の滑り出しはこれでいこう!」って、結構自信を持って書き上げたし。特にレモンは出したくて、「もうすでに汁は滴り始めてんだよ(=落ちる)」も言いたかったし。結局そのまま行きました。まだカルテットは見ていません。

「カルテットのパクリ」「カルテットのオマージュ」「カルテットのパロディ」、いろいろ言われましたが、カルテット、宮藤官九郎が帰ってきた回を15分ほどしか見ていません。

 

まーねー…そりゃ止めておこうかとも思ったけどさー…。しかし、「やり取りがカルテットと同じで、でもカルテットより面白くない」って言われるのは悔しいよなー。現役大人気脚本家に勝負を挑んで、勝手に負けたという悲しい話です。ちゃんと、第一話を見ておこう。

 

  • しゃかいもんだいっ!

 

劇中に登場するアイドルグループ。モチーフは「あべりょう」という歌手です。youtubeで検索すると、ポップなメロディでやたらポリティカルな歌詞が流れる可愛らしいアニメ動画が見つかると思います。「しゃかいもんだいっ!」は「あべりょう」からのインスパイアです。台本には登場しませんが、「しゃかいもんだいっ!どんなもんだいっ!」という自己紹介ソングみたいなのも作りかけました。いらないので捨てましたけど。実は、「カムバック北方領土」もちょっとだけ作りかけました。

歌詞とメロディは僕が作っています。楽器も何もできないので、鼻歌です。僕は楽器もできないし歌も下手なのに、歌うことが好きで、よくカラオケに行きます。即興で歌を作って歌う遊びをすることもあります。その延長線上で作りました。

だから、劇中「wow wow キャッシュバックフラッシュバックチルドレン」と歌われる歌が、嵐の「Love so sweet」に酷似してたりします。「おーもいでずっとずっとわーすれない空」とすげえ似てます。あと「不純異星人交遊録」は、完全に「走れ走れマキバオー」です。

ド素人が脳内で生み出すメロディなんて、こんなもんです。

 

ただ、レモンキャンディが分かんないんですよねー。絶対に聞いたことあるメロディなんですけど。「バイバイ すぐに溶けちゃうよ でもね 口の中に絶対あった」あたりのメロディ、誰か何かピンとこないですかね? Siriに聞いても、「わかりません」って言われましたし。ピンときた方、教えて欲しいです。

 

  • 東京公演と大阪公演

 

確か大阪で700人くらいを動員出来て、劇団最高記録でした。でもゲキゲキが1000人超えてたり、壱劇屋も余裕で1000人超えてたり、ほんとガックリくる。この5月で旗揚げから丸6年経って、7年目に入りました。それを王子で北川さんに話すと「あれ!?意外とオジイチャンなんだね」って言われたし。なんかもうホントガックリくる。今年で27歳。OMS戯曲賞が男性最年少とか言ってたけど、そんなのホントどうでもよくて。憧れの先輩たちはみんな27歳くらいにはイイ感じになってて。少なくとも作演は、ここらへんで食えはじめるとお聞きしていますケド!?なのに食える気配が、一切ありませんケド!?ぶっちゃけ東京公演のあとも、「いや、期待してるよ。これからだもんね」的なことをたくさん言われた。勘弁してくれ。オジイチャンなんだぜ。あるのかよ、これからが。これからなんて、あるのかよ、俺たちに。レモンキャンディ六個食いしたろか、ほんまに。

 

ツイッターを見りゃドキぼの本間さんなんて、ホント意識高ぇこと言ってるし。三好さんやタカイさんなんて年下なのに超優秀だし。なんだよ、俺。なんなんだよ。

 

  • ご来場ありがとうございました!

 

なんだかんだ、単独で長尺の公演をやるっていうのが一年半ぶりで。フラッシュフィクションやPlantMとの合同公演しか昨年はやってなかった。また公演やりますんで、来てください。次はOMS戯曲賞で大賞だった「悪い癖」を再演します。

 

たしかこれも上演後にぐちぐち言ってたような気がするけど、どうだろ。

…今見ると、公演終了後三か月間ブログもツイッターもやめた挙句、8月にこんな記事を書いていました。

https://tokumeigekidan.jimdo.com/2015/08/05/%E6%9C%80%E8%BF%91%E3%81%AE%E5%83%95/

 

だいぶ、メンタルがやられていたようです。

俺、ほんと大丈夫か、おい。土田さんが僕を心配する理由も、過去の僕を見るとわかる。過去の僕は、ほんと心配。めっちゃ病気になりそう。でも、今の自分がそうだとは思わない。でも、未来から見ると、今の僕も危ういのかな。

 

へへ。

 

じゃ、また、アイホールで待ってるから!

 f:id:tokumeigekidan:20170602175409j:plain

(了)

 

 

 

キミって標準体型?

お世話になっております。

 

匿名劇壇『レモンキャンディ』、今週木曜日からスタートする。

えっちらほっちら、作り上げてきた。基本的に演劇の稽古なんてそりゃまあ地味なもんで、コツコツ小石を拾ったり、コトコトシチューを煮込んだり、静かに進めてきた。それでもひとつの作品の稽古中に、「これは良くなるぞ!」という世紀の大発見のようなものが、一度や二度くらいは出てくるもので。今回の『レモンキャン

 

ディ』でも、「ああ!これでもうサイコーの作品になるよ!」となるような発見が、4月24日にあったのでした。それまでは不安を抱えながら、「でも、この小石を拾っていけば必ず…」とか「あと、二週間煮込めば絶対に…」とか、そんなふうに稽古を進めていた。4月24日以降、僕は安心しきっている。「面白くないのではないか…?」という不安から解き放たれて、あとは「ミスをしないように」「芝居をこなさないように」「無意識の瞬間を無くすように」していく作業だ。

それはそれは地味だが、そういうもんなのである。ここでまた「もう一度、あんな世紀の大発見を…!」と考えてしまうのは良くない。次の世紀の大発見は、まず先の世紀の大発見を「当たり前」にしてからしか見つからないのである!

 

ちなみに『レモンキャンディ』の世紀の大発見とは、「落下中なんだから、怖くてたまらないじゃないか!」というものだった。「……当たり前やん?」と思うなかれ。リンゴを見たニュートンのように、天を仰いだコペルニクスのように、大発見とはそんなもんなのだ。

 

さて、もっともっと皆様に興味を持ってもらうために、なんとかこの作品を「オススメ」したいものだが、これがまた難しい。「オススメ」するためには、「この作品のここが良いんですよ!」を言わなくちゃいけない。その情報はある程度、その「良さ」をオミットしてしまうことにも繋がる。例えば、小説の帯や宣伝で「この大どんでん返しを見逃すな!」的なことが書いているのは、やはり基本的にはどうかと思っていて。ネタバレ云々ではなく。

 

世の中には「大どんでん返し」フェチが一定数いて、そこに対する広告効果がバツグンだとは思う。でも、「この本は大どんでん返しがウリの本だ」と思って読んで得られるのって、「ええっ!こんな展開に!?」という喜びじゃなくて、「さぁ…来るぞ…どんでんが来るぞ…!どうなるんや…!わからんけど…とにかくどんでんが来るぞ…!あ…!どんでんが…!どんでん来た!ああ!どんでん!どんでんっ!どんでんっ!ビュルルッ!ビュルルルルッ!」っていう喜びじゃないですか。

 

まるで「どんでん返し」の「どんでん返し性」そのものを盲愛するような。「女子高生」の「女子高生性」そのものを盲愛するような。それが良くない、というつもりはないんだけど、「それって、ちょっと違くねー?」と思うところがある。要するに、「どんでん返しだから面白い」とか「女子高生だからカワイイ」んじゃないはずなんですよ、本来は。

 

だけど、それがパッケージだから。オススメするのはパッケージだから。もし僕がここで、「レモンキャンディは、死を目前にした人間の生き様を描いているところがオススメです」なんて言おうものなら、それがあっという間にパッケージになって、結果「だから、面白い(だから、面白くない)」になってしまうかもしれない。そうじゃなかったかもしれないのに。単に「女優が可愛い」から面白い(面白くない)、かもしれないのに。かといって、「女優が可愛い」だってパッケージにするつもりは一切ないけれど。

 

……おいおい、こんなやつが主宰の劇団、どうやって広報していけばいいんだよ。

 

 

高校生のとき、卒業文集みたいなやつの寄せ書きみたいなやつに、友達がこんなことを書いていた。

 

『      』

 

 

空白。カギカッコだけ。多分、彼もパッケージを嫌ったんだと思う。一方、僕はどうしたかというと、「クラスメイト全員分の名前を書き、全員分へのメッセージを書いた」のであった。そう広くないスペースに、細々と。どっちかというと僕が根暗で、彼がパリピだったので、やり口が真逆なような気もするが、根底にあったであろう「パッケージされたくない願望」が共通してたんだろうな。

 

ただ、いま、ほかのクラスメイトが書いたものを全く思い出せない。多分、「楽しかった」とか「また会おう」とかそんなのだったのかな。なんだか、馬鹿みたいだ。僕と彼が、ほかの誰より自分をパッケージングしてしまってるじゃないか。ある種の無個性であろうとする強烈な個性が、ぷんぷん臭って頭が痛いじゃないか。「俺、こういう人だから」と、アピールが過ぎてどうしようもないじゃないか。そんでしかも、多分誰も僕がそんなふうに書いたなんて覚えちゃいないんだろーなー……。

相手も行司も観客もいないひとり相撲で、自分が太ってるかどうかもわかんねーよ。なあ、俺は標準体型かい?

 

今回の『レモンキャンディ』、豊かな時間がたくさんあります。笑えばいいのか、泣けばいいのか、見下せばいいのか、見上げればいいのか、どうやって見たらいいのかを迷う、豊かな時間がたくさんあります。それは前作『戸惑えよ』でやろうとして、失敗したことでした。それが、うまくできて、嬉しいのです。

 

という、前作を見た人専用のパッケージを残して、このブログを終わります。

どうか、見に来てくださいませ。比べ合いっこしましょ。

 

なあ、君は、標準体型かな?

 

(了)

 

公演詳細はこちら。

tokumeigekidan.jimdo.com

 

大阪公演

携帯からの予約はこちらをクリック!


 

東京公演

携帯からの予約はこちらをクリック!


 

 

f:id:tokumeigekidan:20170515162025j:plain

 

壱劇屋の大熊さんとの対談

お世話になっております。

 

レモンキャンディ、絶賛稽古中です。面白くなりつつあります。

台本を読み返してますが、まあこれは面白くなりますよ。ひと安心です。やっぱり心の傷はそう簡単に言えず、ほんと怖くて堪らないですが。とりあえず、「台本が…あかん…!」と思いながら幕が開けることはなさそうです。

ま、公演終了後は多分「台本があかん」っていうけどね。それはもう、口癖だから。

 

「ゲキオシ!」にて大熊さんと対談させていただきました。

gekioshi.com

 

以前、泉さんやタカイさんと話したとき、「僕は単に逆張りをしたがるだけです。基本的には、“こだわり”が微塵もない人間なので、意見を簡単に翻します。」というようなことを言った気がする。ちょっと、僕はそういうキャラクターであるという前提がないと、もしかしたらこの記事はカンチガイされてしまうかもしれないね。

 

いや、まあ嘘をついているわけではないからカンチガイではないんだけど。

例えば、大熊さんが「劇団員はファミリー」って言ったら、僕はもう「手札」って言うんですよ。言うてまう病気なんですよ。そりゃ「ライバル」とか「ビジネスパートナー」とかいろいろ浮かんだけど、一番逆張りで立ち位置示せるのは「手札」でしょ?

 

んで、大事なのは、だからと言って「手札」が嘘な訳じゃないんですよ。まあ、あえて言うなら「手札」ですよ。でもね、当然、「ファミリー」ですよ。そんなもん。これ、ほんと僕の性格を端的に表しますが、大熊さんが「手札」って言ったら、僕は確実に「ファミリー」って言ってましたよ。マジ顔で。そんで、ファミリーの定義で遊びながら、嘘にはならないように言葉を紡いでいくと思うんですよ。そんなことをやってしまう人間であるっていう、僕のキャラクターを知ってもらえたら嬉しい。

嬉しいというより、今後、僕との関わり方がすごく楽になると思う。

 

「ある種、家族って宿命みたいなものじゃないですか。単に、最初に生まれたのが匿名劇壇の家庭だったってだけの話で。全然、別の家に生まれたらそこでも良かったと思いますし。愛があろうがなかろうが、家族って家族じゃないですか。まともな判断ができる前に、一緒になってしまったってだけの話ですね。仮に僕が父親だとしたら、娘の結婚には全く反対しないです。どうぞ出て行って貰っていい。」

 

みたいな。ほら、もう僕、こんなん言いそうでしょ?

まあ、大熊さんの言うファミリーは、家族っていうよりマフィア的ファミリーの意味合いだったような気がしますけど。なんでもいいんですけど。

 

だから、なんとかこう、「劇団員を手札だと思っている福谷」じゃなくて、「劇団員を手札とか言うてまう福谷」っていうことで認識してもらいたいなーと思っていて。でも、これってほんと難しくて。文章で伝えようとしたら、何度も意見をとっかえひっかえしながら、「あ、この人、ほんとはどっちでもいいんだ」って思わせるように作るんですけど。僕のブログって大体そうやって作られてると思うんですけど。

 

実際にねー…、面と向かって話すのは、口下手だから。

 

ほんで、まあもう僕の作る劇見てもらったらわかると思うんですけど、あのー、劇団員への愛、めっちゃありますから。だからもうムチャクチャなんですよ。僕は。言うてることが。「こいつ、劇団員のことめっちゃ好きやん…!」っていうのがバレる劇になってますから。手札とか言うてても、ね。まあ、別に好きじゃないですけど。

 

ああ、こうなるとまた逆張りしたくなってくるけど、大熊さんの作り方って、劇団員のこと好きそうかなァ…?僕はそれこそ、「これ、誰でもよくね?」を壱劇屋さんの劇で感じたことがあるかもしれない。まあこれは、ディスりすぎか。いや、そこまで否定的な意味じゃなく、劇のタイプとして、どっちかっていうと役者の個性とかってより、なんていうの、こう、ロボ的な、なんていうの、ロボ的な感じがするじゃないですか。そんなことないんですけどね、壱劇屋さんの劇も。なんかこう、ぱっと見のイメージで、なんかロボ的な、ああでも全然ちゃうわ、今、俺アンノウンホスピタルを思い出してたけど、ほんっと壱劇屋さんいろいろやってっからな。見たことないが、ドラゴンナリタ的なやつは、めっちゃ個性とか出してるんだろうな。適当なイメージで語るとやっぱり失敗するな。すみません。失礼なこと書きそうになりました。(書いた。)

 

このあいだの羊とドラコさんとのイベントで「嘘」について話したけど、「嘘」の反対には「本当」があるじゃないですか。僕の世界観では、それがもう等価値で、一緒くたになってるんですよ。一瞬でどっちにでも変化させられるんですよ。

「愛してる。嘘だけど」と「愛してる。マジで」が、完全に一緒なんですよ。だって、「愛してる。嘘だけど」って言ったやつは、絶対「愛してる」じゃないですか!「愛してる。マジで」って言ったやつは、絶対「愛してない」じゃないですか!知らんけど!僕にはそう見えて!でも「愛してない」って自覚してるやつ、絶対愛してもうてるじゃないですか!だからもう、ぐっちゃぐちゃなんですよ!僕は!

 

だからもう!!

 

恥ずかしいから、僕のインタビューとかあんまり読まないでください!!!!!

 

はい、いくよ?

 

ってことは?

 

っていうことは?

 

 

 

読んでくださいねぇぇえぇぇぇぇぇぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!

 

 

(了)

 

P.S.あと、いろんなことを社会とか時代のせいにしてるけど、そっちの考え方もありやと思って最近推してるだけ。なんか、社会や時代のせいにするってのが「悪いこと」っていう常識?流れ?みたいなの、あるでしょ?それがちょっとイヤで。時代のせいにしちゃっていいことは時代のせいにしちゃった方が楽になるよ!僕は、悩んでる君にエールを送るよ!